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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 映画館を出るころは、外は雨がひどくなっていた。
 電車が止まらぬうちに帰ろうと話し、鴇田と別れた。マンションにはずぶ濡れで帰宅する。風もだいぶ強くなっていた。映画を観たあとだからか余計に視覚が調整出来ず、暖は帰るなりぐったりとソファに沈み込んだ。
「――先にシャワー浴びる?」と蒼生子が訊ねる。そうだ、まだイベントはこれからだったな、と暖は眉根を寄せて唸る。嵐で周囲はこんなに暗くなっているのに、やけに眩しくて目を開けづらい。
「はるー?」
「いいよ、蒼生子さん入りな。冷えるのもまずいんだろ」
 手で目元を覆い隠すと、不快感はすこし消えた。暖が動く気がないことを察した蒼生子は、雨の中帰宅して疲れたのだと思ったのか、特になにも言わずに浴室へ消えた。
 しばらく目元を覆い、浴室から水音が聞こえたのを聞いてようやく起き上がった。LEDの白すぎる照明が辛いので、設定をいじって照度を落とした。大丈夫、と言い聞かせるようにキッチンに立つ。今夜のメニューは野菜と魚がメインだ。肉ばかりで満腹になると満足なセックスが出来ないらしいから、食事はあっさりと身体によいものを。どこかで聞きかじった、本当か嘘かもわからない情報を信じている。ばかばかしいと思うが、これで子どもが出来たら彼女は積年の悩みから解放されるのだ。……多分、きっと。
 子どもが生まれたら、自分は好奇心を持ってかわいがり、安全に気を配って、きちんと育てると思う。思うようにしている。けれど心のどこかで醒めた自分が「そんなに必要?」と訊ねる。もしかわいくなかったら放棄、なんてことは出来ない。育てる方がセックスの何百倍も大変のはずで、じゃあこんなにもいま足掻いている自分は、蒼生子も、この先どうなってしまうか分からない。もっと苦しい目に遭うのかもしれないのに、いまは「子どもが生まれたらゴール」に目標がすり替わっている。生まれたらスタートのはずだ。
 もう、蒼生子も、暖も、決定的に間違えているのだ。それでもこの道を引き返すことを考えない。暖は考えている。自分は蒼生子ほど熱心ではないから。卑怯者だから。蒼生子は意地になっている。それは彼女自身が一番感じていると思う。だが彼女は進む。……今夜のセックスでだめだったら彼女をきちんと諭そう、と思う。このままのこの先には多分、ふたりが夢を見られるものはない。
 たっぷり一時間ぐらい、蒼生子は浴室から出てこなかった。そのころには暖による手料理はあらかた準備が済んでいた。テーブルをセッティングし終えて、暖はテレビをつけた。各地の台風被害を伝えている。この付近でも交通がだいぶ麻痺しているようだった。
 ――鴇田さん、帰れたかな。
 ある程度は濡れて帰ったと思う。彼には湯を張ってくれる妻も、食事を作ってくれる旦那もいない。オーストラリアに帰った友人らとは連絡が取れているのだろうか。とにかくこの嵐の中ひとりで凍えていないことを祈る。――いや、鴇田ならあり得そうで嫌だ。とても嫌だ。
 スマートフォンに触れ、鴇田のアドレスを呼び出す。表示されたナンバーにメッセージを送る。それはすぐに既読がついた。
『無事に帰れました?』
『帰りました』
『映画観る前、鴇田さんが言いかけてたことを聞きたい』
 その質問には既読はついたがなかなか返事がなかった。
 やがて鴇田の返事を諦めたころ、スマートフォンが反応した。
『あのとき嘘をつきました。前に映画を観た日。本当は僕のところから虹なんか見えてなかった。虹が見えたって子どもみたいな興奮をしているあなたを好きだと思ったから、嘘をつきました。とにかくあなたに好かれたかった』
 そうだよな、と当たり前に納得してしまった。好きになったのだから当然そう思うだろうに、鴇田がなかなか口にしなかった言葉だ。
『でもあなたには好かれないと分かっていたから、同時にすごく辛かった。それがあのとき僕が思ったことです』
 好きになった人から好かれたいと思う。心から。



 夜半、窓の外でひときわ大きく風が唸った。やわなつくりのマンションではないはずだが、窓ガラスが鳴る。自分の心臓の音の方がうるさかったので、その風の音で我に返った。気付けば裸の暖の下で蒼生子が不安そうに暖を見上げ、懸命に暖の二の腕をさすっているのだった。
「――やめようか。ね、はる」
「……ごめん」
「謝ることないでしょ。そういう日だってあるよ」
 暖の下から蒼生子は抜け出て、下着とパジャマを拾って身に着けた。暖は風音がうるさい窓の外を見遣る。ブラインドが下りているので外の様子は窺えないが、雨風がひどいことだけは伝わる。
 蒼生子への挿入がなかなかうまくいかなくて、ひたすらに焦っていた。落ち着け、大丈夫だ、とずっと心の中で唱えていた。目も老眼気味だし、枯れて来たのかもしれない。いや、早くないか。まだ三十五歳だぞ、おれは。勃起障害なんて無縁だと思ってたのにな。
 改めてベッドに転がり、長く息を吐く。蒼生子がちいさく流していたヒーリングミュージックを止めて、そのままラジオに変えた。深夜ラジオは放送予定を変更して、淡々と台風関連のニュースを流している。この辺りは暴風圏内ぎりぎりであるらしかった。
「明日の朝までには収まるかな?」と隣へ蒼生子が潜り込んでくる。暖はそのやわらかな身体を抱えなおし、髪に鼻先を埋めた。甘ったるい花のにおいがする。
「明日は朝早いんだっけ」
「台風が過ぎたらすぐに出たいかな。被害確認しないと」
「報道が仕事だもんね」
「蒼生子さんは?」
「先生にドレスメイキングしてほしいっていうお客さんがいてね。それを手伝うから、しばらく忙しくなる予定」
「――そっか」
 正直ほっとした。蒼生子が塞ぐ思いでこの家にひとりでいることだけはあってほしくないと思っていた。なにかに手間を見つけられるなら、その方がいい。
「あ。でもね、再来週は時間取れない?」
「なに?」
「実家行こうと思って。ポチに子どもが産まれたんだって。見に行きたいって言ったら、暖もたまには一緒にって言われて」
「ああ」ポチ、とは蒼生子の実家で飼っている柴犬だ。雑なネーミングのメスで、義父が同じ柴犬の相手を見つけて子どもを産ませたという。おかげさまでこちらはこんなに苦労しているのに、さすが犬は安産だ。「いいよ」
「ほんと? 日程は?」
「任せるよ」
「じゃあ再来週のどこかでお母さんに連絡しとくね。カレンダーに書き込んどくからだめなら言って」
「うん」
 目を閉じる。花の香りが強くなる。風とラジオの音が響く。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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