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 三日後は半休を取った。都合よく取れたと言っていい。取材の予定を他の記者に代わってもらい、取材先には別の人間が行く旨を連絡した。午前中だけ仕事をして、昼休み前に会社を出る。なまぬるい風が吹き荒れていた。曇り空を見上げ、こういう日の方が目が辛いな、と感じた。痛みに近い感覚で目を開けていられない。空を見上げるのはやめて、早々に立ち去る。
 蒼生子とは映画館の入るショッピングモールで待ちあわせていた。そこで食事を取り、雑貨や服飾品を見てまわって、十四時からの映画を観る予定でいる。前回は暖の希望で観た映画だったので、今回は蒼生子の希望で見る映画だった。確か海外のアニメーションを実写化した映画だったと思う。先日観たテレビの歌番組で、日本語吹き替えの声優を務めることになった俳優が(どっちなんだ)主題歌を披露していた。
 映画を観たら買い物をして家に帰る。今夜は暖がささやかに贅沢な食事をふるまう。それで風呂に入り、準備をして、小学校の授業みたいな義務の時間。
 思わずついたため息を拾った人間がいた。顔を上げると面倒くさそうな、困ったような顔をした男が目の前に立っている。軽装だったので彼もまた休日で出歩いているのだと分かった。――そうか、前にも別の映画館で会ったな。
 暖と目が合うとさっと踵を返す。それを追いかけて捕まえた。手首を取ると大げさでなく長い身体がこわばったので、ああそうか触れるのだめなんだよなと思い、手を離して代わりに名を呼んだ。
「鴇田さん」
 男は暖の顔を見ないままうつむいた。もう逃げる気はないらしい。
「また来てたの、映画館」と暖は笑った。
「……雰囲気が好きだから、」
「観る映画決まってる?」
「……いえ」
 男は振り返った。背丈は暖とそう変わりないが、プロポーションが暖とは全く違う。痩せ型だが、きちんと備えるべき筋肉を備えている。それは仕事上必要だからだろう。そしてそれ以外をシャープにそぎ落としている。また痩せたかもしれない。目と鼻と唇がそれぞれにちょうどよく顔の輪郭に納まっていて、だから不愛想でも不快にならない。いい顔してるよな、と思う。
 蒼生子だって、どうせ義務で行うならこういう身体をしたこういう顔の若い男の方がいいと思った。というか暖ならそう思う。おれなら、と思ってから、そういうのはこの人に対して見かけで判断するみたいで失礼だな、と思い直した。内面の誠実さやナイーブなところは知っている。人の話を丁寧に聞いて相槌を打ってくれる、優しい男だ。じゃあますますなんにも問題ないなと考えて、めぐる思考にあれ、と思った。なにを考えてるんだ。おれだったらって、なんだ。
 蒼生子との夜が憂鬱で余計なことを考えるんだな、と思った。振り払うように明るい声を出す。「鴇田さん、めし食いました?」
「まだです。もう帰ります」
「用事でもある? これから蒼生子さんと待ちあわせなんだけど、一緒にどうぞ」
「だから、あんたにはびっくりするぐらい僕の気持ちって伝わってないんですね。奥さんと一緒ならなおさら食事を一緒になんてありえません。帰ります」
「あんた、」
 ふ、と吹き出してしまった。いままで散々丁寧な言葉遣いだったのがほどけた。それだけ暖に対して呆れているのだろう。笑っていると鴇田は険しい顔をして、そっぽを向いた。
「――すみません、馴れ馴れしすぎました」
「いや、鴇田さんは普段が遠いから気にならない。食事しませんか。そのあとの映画も」
「前にもありましたね、そういうの」
「あ、あんときは虹が凄かったよなって、唐突に思い出した」
 あのときの虹は後から知れば実は虹ではなかった。雲に含まれる水蒸気が太陽光を回析することで出現する彩雲という現象だった。さほど珍しい現象ではないが、あのようにはっきり現れたのは珍しかったらしい。暖が撮った写真は記事には採用されなかったが、別の場所から同僚記者が撮った写真が暖の勤める新聞社の記事になったし、そこには専門家のコメントもついていた。
「あのとき」
「ん?」
 鴇田がなにかを言いかける、と鴇田の背後に蒼生子の姿を認めた。暖は鴇田に「またあとで」と軽く腕に触れてから、妻へ手を挙げて合図した。気づいた蒼生子が近寄って来る。傍らにいた鴇田を見て軽く驚いていたが、すぐにいつも通りの穏やかな笑みに変えた。
「また鴇田さん誘っちゃったの?」と蒼生子が言う。
「いえ、そこで偶然会っただけです。僕は帰ります」
「あ、気にしないで。どうせ暖が無理やり引き留めてたんでしょう? 鴇田さんさえ構わなければ一緒にいてください。今日の映画は私の趣味だけど」
「……なんの映画ですか」
「ええと、あれ」
 蒼生子が指さした先には今日これから観る予定の映画のポスターが貼られていた。鴇田は観念したように眉間にしわを寄せ、珍しくぶっきらぼうな口調で「ご一緒します」と言った。
「じゃあ先にごはん食べましょうか。ここ、新しくレストラン入ったんだよね。タイ料理屋さん」
「鴇田さん、エスニック平気?」
「あまり食べませんが、好きです」
「じゃあ行こう」
 暖を真ん中に三人で歩き出す。タイ料理屋で好きに食べ、時間になったのでそのまま映画館へ移動した。前回と同じ席順で座り、前回とは違う華やかな音楽で映画は幕開けになった。暖はあくびをかみ殺す。こういう映像も音響も派手な映画は好みではなかったが、蒼生子の気分を高めるためなのだから従う。蒼生子が楽しい気分になって、心からくつろいで、リラックスしきって、そのまま夜は楽しいお遊戯のような性交を。――あれ、おれの気持ちってどこにあんのかな。
 映画の序盤で隣の椅子からバイブレーションの音がした。音響にかき消されてちいさいが、周囲を気にして鴇田が慌てている。スマートフォンの電源を切り忘れていたらしかった。「すみません」とささやき声で暖に謝り、ポケットからスマートフォンを取り出すのをなんとなく眺めていた。逆隣に座る蒼生子にまでは聞こえていないようで、彼女は映画にすっかり夢中になっている。
 隣だからスマートフォンの画面が視界に入る。電源ボタンを長押しして画面を暗くする直前に、その画面に気づいてぎくりとした。前回の映画のあとの彩雲。暖が撮って送った写真を、鴇田は丁寧に待ち受け画面にしていた。鴇田はすぐにスマートフォンを上着のポケットに仕舞う。暖はたわむれに靴の先を隣へ滑らせる――鴇田の靴先に当たった。
 鴇田の身体が硬くなった。靴先でしか触れていないが、緊張感が伝わる。この人はこんなにも自分を好いてくれていると分かって、暖は淋しくなった。暖はこの映画が終われば妻と帰宅して、食事をしてベッドに入る。この人はひとりで帰るだろう。ひとりのアパートへ。
 やるせない気分のまま隣を見る。視線に気づいた鴇田もこちらを向いた。映像からの反射で左目が光っている。男は映画でなく、真摯に暖を見つめていた。視線が刃物になるなら暖は殺されていると思った。そういう力強い瞳を、暖も見返す。
〈あんたはひどい〉
 と言った。と思う。音までは聞き取れなかったし、鴇田も発声しなかった。けれど暖には確かにそうと分かった。
 そうだな、と唇の動きだけで同意して、お互いを剥がすように無理やり映画のスクリーンを向いた。


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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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