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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 結局、仲間とも鴇田とも飲みには行かなかった。
 蒼生子から連絡があり、駅近くまで出ているから落ち合えるなら外で食事でも、という話になったのだ。待ちあわせ場所を決めて蒼生子と合流する。そのころには雨は止んでいた。目がパーティ会場の明るさをまだ引きずっているような感覚で、やたらと眩しく感じた。
 鴇田さん、と蒼生子は言った。
「もしかして、一緒だった?」
「なんで?」ドキリとした。
「さっき地下鉄のホームをのぼるところですれ違ったから。黒い服装だったから、どこかでセッションでもあったのかな、とも思ったけど、暖が前に『鴇田さんはあの店でしか弾かないそうだ』って言ってたし」
「あ、ああ」
 暖は頭を搔いた。
「そうなんだ。実を言うとマコに頼まれて鴇田さんに式の最中のピアノ演奏をお願いしてた」
「あ、じゃあやっぱり一緒だったんだね」
「隠してた訳じゃないけど、言うタイミングをなんか、逃してた」
「やだな、言い訳みたいなことしなくていいよ。問い詰めてる訳じゃないし」
 蒼生子はふ、と笑った。
「嫌じゃない?」
「んー、微妙ではあるけどね。鴇田さんがあのときもう会わないって言ったからにはきっと今回のピアノ演奏は暖が頼んだんでしょう? 無理に、押せ押せの態度で」
「反省してます」蒼生子には見抜かれているようだったので正直に答える。
「人を好きになってそれを告げるのって、とても勇気とエネルギーのいることだから……鴇田さんのことを思うと本当に申し訳なくなる」
「え、あなたはそっち側に立つのか?」
「別に鴇田さんが人の夫取るような人だとか、そんなこと考えないよ。あの人、見た目はクールっていうか無表情で取っつきにくいんだけど、とても素直で、誠実だよね」
 演奏どうだった? と訊かれ、暖は素直に「よかったよ」と答えた。
「……マコも嫁さんも喜んでくれたみたいだし」
「ならよかったね。――これからなに食べる?」
「んー……おれは式で食べたから蒼生子さんにお任せするよ」
「それ丸投げって言うんだよ」
「あなたが食べたいものでいいんだって話。おれは隣でちょっとアルコールでも飲めれば充分」
「そうだなあ。なら新規開拓より知ってるお店の方がいいのかな?」
 蒼生子があれこれと候補を挙げる。それに答えつつも、暖は鴇田にまた会う気でいた。
 これでもう会わないという選択肢を暖は考えていない。それはやはり鴇田のことを真剣に考えていないからかと、自嘲気味に思った。



 また台風が近づいている、と気象情報が告げている。暖はスマートフォンをひらいて今後の天候を窺っていたが、不意にスマートフォンに通知が入ってそちらへ指を動かした。蒼生子と共有で使っているカレンダーのアプリがあり、そこに彼女が予定を入れたのだ。予定が書き込まれると通知が来るように設定してある。アプリを開けばそこに記されていたのは日付の元にある「★」のマークだった。
 急激な眩しさを感じて目を開けていられなくなり、暖は目を閉じる。星のマークが記されていたのは三日後だった。ハートマークは嫌だからと彼女が決めたこのマークは、蒼生子の排卵予定日を示している。
 つまり、子どもを作るのにセックスするならここ数日だから、三日後の夜の予定はいかがですかという彼女からのメッセージなのだった。
 蒼生子は月経の周期があまり整わず、ゆえに排卵日も予測しにくいのだという。彼女はまめに基礎体温を測り、グラフをつけ、きちんとカレンダーに記す。出来るだけ妊娠しやすい身体を作ることを目指して、食事もそのようなものを希望するし、漢方も飲んでいる。ストレッチをしたり、リラックスする時間を大切にする。だが暖はそのひとつひとつをどうしてもむなしく感じてしまう。可哀想に思う。そこまでして必要なのかな、と。
 過去にはもちろん、暖自身が不妊体質なのではないかという検査も行った。暖には問題がなく、ならばやはり自分なのだと責める蒼生子の落ち込みようは見ていられないほどだった。蒼生子自身に「自分は子どもができにくい」「私さえ頑張れば子どもは出来る」という思い込みがあるように思う。
 二十八歳のころ、と昔のことを思う。結婚して三年目、離婚の危機、といつか鴇田に話したころだ。あのときはいまよりもっとふたりの過ごし方が鬼気迫っていた。自然なかたちで出来にくいのなら人工授精をやってみようかと話し合って試したが、受精卵を作れても蒼生子の身体にうまく着床せず、何度も流れた。身体をいじることは負担も強いる。あのとき蒼生子は泣いて「ごめんなさい」を繰り返した。泣き疲れるまで泣いて、何度も「産んであげられなくてごめんなさい」と詫びる。暖はどちらでもよかったから、謝られると苦しくて仕方がなかった。そんなに自分は蒼生子に望んでいることはないのに、一緒にいるだけでいいのに、彼女はそうじゃない。一体なにに対して謝られているのか、どうしていいのか、ただ肩を抱くことしか出来ず、全てに靄がかかったかのように見通しが悪く暖には分からないことばかりだった。
 蒼生子のメンタルが崩れたことで妊娠を考えることをいったんやめにした。女には肉体的なタイムリミットがあるから、としきりに年齢のことを気にする彼女に、いまは医療が進歩していて高齢出産も当たり前だから大丈夫だと繰り返し説いた。頼りなく痩せて尖った肩を抱いて、暖自身が発狂しないように注意しながら、辛抱強く添った。おかげでいまはあのときほどの危機じゃない。けれど当たり前に妊娠を目指す蒼生子には相変わらず心が追い付かない。
 人工授精を決めたとき、精子の採取の仕方があまりにもお粗末で苦痛だった。クリニックの採取室は暗くカーテンが閉め切ってある。テレビがあり、いくつかAVを見られるようになっていた。アダルト雑誌もあった。それらを使ってマスターベーションを行え、という指示だ。別に妻を想って抜くのがいいとも思わないが、興奮のありどころは妻に求めないんだなと思ったら、裏切りのようにも思え、むなしかった。ここで過去数多の男が同じ思いをしただろうとは安易に想像がつく。クリニックのベビーピンクの内装がいっそう腹立たしく、だったらいっそきわどく卑猥なピンク色でもしてろよ、と壁に怒鳴り散らしたかった。
 それでも別室で妻が待機している。採取した精液を挿入するために暖を待っている。腹をくくってまじめに性器を擦った。世界一むなしい部屋だと思い、世界一哀れな男だと思い、あのとき暖の中でセックスと快楽が結びつかなくなってしまった。ぷつっと途切れてしまったのだ。
 パートナーと睦みあう、心から気持ちが良くて楽しいセックスを経験していたはずで、だが暖の中で回路が切れた。人工授精は結果が出なくても何回か試す必要があると言われ、そのたびに採取室に通った。蒼生子のケアはしてもおれのケアは誰もしてくれないんだなと、クリニックで呆然と蒼生子を待つあいだに考えていた。
 それも成果が出ず、あくまでも自然なかたちで妊娠を待ちましょうということになったが、暖は自然なかたちってなんだと心中で笑っていた。排卵のタイミングが不明瞭な蒼生子は熱心にクリニックに通い、ときには医者から「今夜夫婦生活をしてください」と指示される。仕事で疲労していても、これを逃せばまた次まで待たねばならないから、精力剤を飲んで夜に挑む。苦痛でならなかったが、そうまでして子どもを欲しいと願う妻の気持ちを無下には出来ない。パートナーだから。ふたりは結婚したのだから。
 だからだろうか。暖は蒼生子がカレンダーにつける星マークを見るたびに、気が滅入る。暗い気持ちになる。夫婦間の努力義務性交には助成金でも給付してほしいと思ってしまう。金がもらえて、それで美味しいものでも食べに行ければ、もうすこし楽しい気持ちでセックスが出来るようになるのかも、などと。
 三日後か。台風でみんなそれどころじゃない場合でも、夫婦の営みは遂行される。興奮するのか自信がない。スマートフォンの画面はとっくに暗くなっており、再度タッチして明るくさせたが、目が眩んで眉をひそめた。
 最近はこういうことが多い。やたらと目が疲れているのか、パソコンの文字が読みづらかったりする。老眼のはじまりか? いや早すぎないか。疲れてると枯れるのも早いのかな。とにかく日中でも夜間でも、会社でも家でも出先でも、どこでも眩しさを常に感じている。目つき悪いんだろうな、と眉間を揉んだ。
 二十八歳のときの綱渡りみたいな日々を思えばいまの状況などたいしたことじゃない、と言い聞かせる。ふといつか『二十八歳はなにをしていましたか?』と訊いた男の声が蘇った。
 あの人は知らないままだ。夫婦間に生じる義務に対する苦痛なんてもの。そもそもセックス自体を知らないのだから。のんきなものだとは決して笑えない。けれど羨ましくもある。もし彼が通常の人間と同じように触れられるなら、どんな風に触れるのだろうと思ってしまった。
 きっとひどく臆病に、こわごわ触れる。祈り縋るように背を丸める。まるで彼が日ごろ触れているピアノのように。



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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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