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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「人工授精を試みて、うまくいかなかった。彼女はあのとき何度も『産んであげられなくてごめんなさい』って謝りながら泣いて、それをなだめるのに本当に神経を使った。おれとの子どもをそんなに望んでくれていて、叶えられなくて申し訳ないとも思っていた。けど、違うよな。彼女は高校のころに産めなかった命に対して謝ってたんだ。おれとの受精卵がどうのこうのじゃなくてさ、……『子ども』が欲しかったんだよ。『子ども』が。……それが今日、ようやく分かって、」
「――はい、」
「おれはものすごく衝撃を受けて、だけど、納得もした。ちょっと荷が下りた気もした。彼女はおれとの子どもにこだわってるわけじゃないって。おれが頑張んなくてもいいんだって、」
「はい、」
「でも、そう思ったら、――いままで頑張ってたおれはなんだったのって、報われない気がして。徒労感って言うのかな。なんかもう、ぐちゃぐちゃで――……」
 瞬間的に頭痛を感じた。喉の奥や、目の奥、頭の奥、とにかく奥という奥に力が入っていてみんな痛かった。痙攣のように肩を引き攣らせると、その肩を鴇田が力強く抑えた。壁に押し付けられるようにされて、暖は顔を上げた。この人はこんな触れ方をするのかと思った。
 目の前の鴇田はうなだれていた。
「――あなたのそこまでの苦しみのことを、僕は知らなかった」
 ほろっと涙が出た。ぬるく頬を伝う。
「僕はあんたが苦しんでいることは、嫌です」
「……」
「僕が苦しいだけだと思っていました。なんにも考えないであんたは僕に近づいて来るから。こっちの気も知らないで、ひどい人だと思っていた。それはあんたが本当に僕と遠いと思ったから。こんなに違うから。家庭があって、奥さんがいて、理解して触れ合える人がいてっていう、僕にはないものをなんでも持っていると、思ってて。だから僕への共感は無理な話で、ひどいことも平気なんだって、」
「……鴇田さん、大丈夫?」
 鴇田の手は震えている。慣れない触れ方に戸惑っている事が伝わる。尋常でない力加減が肩に食い込む。人間に対する力加減ではなかった。
「……僕たちは、本当はものすごく近いところにいたんですね。僕は人に距離を許せないことを苦しみに思っていたけど、あんたは人に距離を許さなきゃいけないことを苦しく思っていて、それは多分そんなに、遠くない」
「……」
「遠いから惹かれるんだと思ってた……」
「……案外近かったから、嫌いになる?」
「好きです」
 鴇田が顔を上げた。深々と黒い瞳が暖に向けられている。再度目を見ながら「あんたが好きです」と言った。肩を掴む指は力の込めすぎで白くなっていた。
 暖は鴇田の頬に触れた。鴇田の身体に力が入ったが、逃げたり、暴力を振るわれたりはしなかった。
 身体の重心を移し、鴇田に顔を近づける。鼻先が微かに触れて、全身の産毛が逆立つ感覚がした。ゆっくりと唇と唇が触れる。鴇田の吐息を冷たく感じた。人の吐いた息ではないかのような。
 急な雨雲を察した時の、気温の下がった風に似ている。鴇田の身体を巡る雨雲、と思った。嵐かもしれない。轟々と唸っている。
 自分は暴風雨の中を外に出ようとしている。とても愚かな行為だ。
 危険は承知していた。不思議と心から納得している。
 鴇田の頬から指を這わせて、至近距離でずっと暖を見ている瞳を覆った。



 鴇田が肩に込める手の力が緩み、暖はそっと唇を離す。目蓋に被せたてのひらを外して、鴇田の目を開けさせた。至近距離で男は衝撃を隠さない。
「……いまの、嫌だった?」
「……いいえ」
「そっか」
 鴇田の手が肩から離れ、床に落ちる。どうしていいのか分からないのだろう。暖はそれ以上を求めず、鴇田の脇から抜けて立ち上がった。
「台風、ひどくなって来たな」
 窓の外はとっぷりと暗い。雨風が窓ガラスを叩きつける音が響いていた。
「もう交通は完全に麻痺しているでしょうね」
「うん……」
 しばらく無言でいたが、暖はあえてそれを破った。
「今夜泊まらせてほしい」
「僕が承知しなければ帰りますか?」
「いや、……行き場はない。職場にたどり着ければラッキーだ。家には帰らない」
 鴇田はとても困った、もしくは嫌な顔をした。
「……こんな嵐の中、移動する方が危険ですね」
「うん……」
「キスが嫌なのは僕じゃなくてあなたの方じゃないんですか?」
 鴇田の台詞は唐突で、直球だった。
「あなたは僕のことなんか好きじゃないはずだ。大切なパートナーのいる人で、」
「さっきのおれの話聞いてくれたじゃん」
「……パートナーに不信感や拒絶の気持ちがあっても、おれに触れることは、違うことのはずです」
「分かってるんなら聞くな。きちんと言っとくけど、決してやけっぱちな気分でキスをしたわけじゃないよ。性癖でいえばおれはノーマルです。そこらの男を見るたびにキスをしたいなんて絶対に思わない」
「ならなおさら、どうして」
 鴇田は眉を寄せて俯いた。
「……あんたの気持ちがよく分からない……」
「情なんだと思う」
「情?」
「感情の情。情けない、の情け。りっしんべんに亡くせば『忙しい』だけど、りっしんべんに青い方。こころそのもののことだ。詳しく知りたければ後で辞書でも引いて。……おれの気持ちを表すならこの言葉しか伝えられない。目の前の相手に情があるからキスをした。おれはいま――あなたに触れたいと思った」
 鴇田は黙った。理解不能だとでも言いたげで、でも懸命に暖の言葉をかみ砕いて理解しようとしている。理解不能なら、暖だってそうだ。「情」としか言いようがなかった。愛や恋という細かな感情とは異なる。その前の、本当に根幹を支えるみなもとだ。目の前の男の存在が暖の「心」をかき立てるなにかであることがはっきりした。
 そして暖はそれに納得していた。鴇田には「心」を持っていかれる。それはもう、はじめて見たときからそうだった。いま思い返せばきちんと分かる。
 不明瞭だった感情の正体が見えはじめた。まだ「端」で「淵」である気がした。だが遠くの星を見るためのレンズが見つかって、ほっとしたのか不意にあくびが出た。ここのところ睡眠時間が取れず、取れないところで今日の騒ぎだったので、眠るどころかますます疲弊していた。緊張とストレスが解け、いまごろになってぐいぐいと睡魔が身体の中で水位を上げてくる。
 鴇田はまだ難しい顔をしていたが、眠くだるくなった暖のことは伝わったらしい。「休みましょうか」と言ってベッドを空けてくれた。
「宿泊許可」
「ありがとう。とてもありがたいです」
「ベッド使ってください。僕は床に寝袋敷きます」
「だめでしょ、家主ほったらかしたら。寝袋はおれが使うよ」
「いいんです。使ってください」
 眠いんでしょ、と言われ、抗えなかった。「鴇田さんが眠れなかったら代わるから」と言ってベッドに潜らせてもらう。
「大丈夫です。僕は意外とどこでも眠れる男です」
「……ありがとう。あ、」
「ん?」
「鴇田さんのにおいがするんだと思った。当たり前なんだけど」
 遠慮なく思いきり顔を埋めた寝具から、普段の鴇田のにおいがした。ごみ収集作業員という仕事上どうしても臭くなると言って、においには気を遣い、まめに身体と衣類を清潔に保つようにしている、といつか言っていた鴇田。そういう彼のにおいはさっぱりと清潔なのだが、不意に鴇田そのものの、いろんなエッセンスを混ぜたエキゾチックなにおいがする。
 鴇田はあからさまに困った顔を見せた。
「やっぱりシーツだけでも替えます」
「なんで?」
「なんでって、落ち着かないでしょう」
「どうして。なんか鴇田さんが近いと思う」
「……」
「気にならない。安心する……」
 目蓋を閉じると途端に眠気が襲って来た。それを合図に、眠りに引きずり込まれる。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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