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 生まれた子犬は全部で四匹、雄雌それぞれ二匹ずつだ。そのうち雄の一匹と雌の一匹には貰い手がつき、すでにこの家にはいない。残った子犬の二匹はころころと庭を転げまわり、母犬にじゃれついてはまた駆けていく。
「どっちか一匹飼わないか?」と子犬を見守りながら義父が言った。
「んー、かわいいけど、いまのマンションじゃ飼えないし」
「ならおまえたちがここに越してくればいい。ここなら飼える」
「またその話? 私たちは夫婦ふたりで楽しくやってるんだから水差さないでよ」
 蒼生子が子犬の一匹を抱き上げて言う。同居の話は結婚当初から出ている話だった。次男坊の暖と、ひとり娘の蒼生子。暖の実家は兄が残って嫁を取った。だからほとんど婿のようなもので、子どもが生まれたらきっと同居の方が色々とやりやすいだろうから、ゆくゆくは二世帯で。それまでは夫婦ふたりで仲良く暮らそうよ、と新婚当初は甘く笑いあっていたものだった。
 それがいまはこの有様だ。一向に同居どころの話ではない。暖はふ、と息をついて眼鏡を押し上げた。後日再度眼鏡屋へ行って弦の間隔を調節してもらったら、慣れもあっていまは前ほど違和感を思わなくなった。
 羞明については、蒼生子には「スマートフォンやパソコン画面の見過ぎによるドライアイから来るもの」と説明してあった。本当のことは話していない。話す気にはなれなかったが、近いうちに向き合わなければならないだろうとは思う。あの夜以降蒼生子からの誘いはなく、荒れていた海が突如凪いだかのような静けさは、かえって暖をぞっとさせている。彼女としてはひょっとすれば「男としてのプライドが傷ついた夫」という見方で、特に反応することを控えている、という風にも取れる。いずれにせよ夫婦生活のない現在、羞明の症状については良からずとも悪くなく、という状態だ。時折突如眩しいのが辛い。
「いつまで夫婦ふたりで仲良くやってるつもりなんだかな」と義父はたっぷりとため息を吐いた。典型的な「昭和のお父さん」という人で、男は偉いと思っている節があるし、だから子どもを産まず夫婦ふたりで暮らしている暖と蒼生子について理解をあまり示さない。
「ちょっとー、いつまで庭で遊んでるのー? 上がってお茶ぐらい飲みなさいよ」と屋内から義母が顔を出した。はあい、と蒼生子は子犬を縁側に据えた大きなゲージに戻す。義父は縁側から直接家に入ろうとして、義母に「犬触ったら手ぐらい洗ってちょうだいって何度言ったら分かるの?」とたしなめられた。
「おまえだって俺が何度言っても煙草やめねぇじゃねぇか」
「え、お母さんまた煙草はじまっちゃったの?」
「口が淋しくなるのよ」
 仲の良い親子を脇に見ながら、暖も屋内に入り手洗いに向かった。
 石鹸で手を洗いながら、犬を飼うのは説得さえ出来ればいいかもしれないけれどやはり難しい、と考えていた。蒼生子の子どもを欲しがる気持ちを紛らわすことが出来るかもしれない。ただ「動物を新生児のいる家で飼ってはいけない」と思い込んでいる彼女にとって、犬を飼うことはイコール子どもを諦めると決意することだ。そうやすやすと犬を飼うと説得されてくれないとは思う。じゃああなたは諦めるのね、私たちの赤ちゃん。蒼生子がそう言ったわけでもないのに、ぐらりと目眩を感じた。
「はるー? お茶飲もうよー」居間に移動した蒼生子から声がかかった。石鹸を流し、手を拭ってついでに洗面台の鏡を見る。薄いブルーの色のついた眼鏡姿は、それでも鏡を見るたびにぎくりとする。知っているはずの人間のことを実はよく知らないでいて、緊張感が走るような心地。
 居間で茶を飲んでいる三人に、暖は「悪いんだけど寝てていいかな?」と申し出た。
「あ、眠い?」
「うん」
「あらどうしたのよ?」そう訊ねる義母の手には煙草があった。
「暖ね、最近夜が遅いんだよ。朝も早いし。仕事が忙しいんだって。ほら、こないだの台風被害。だいぶあちこちの家や建物がさ」
「ああ、そっちはひどかったのよね。いいわ、蒼生子の部屋で休んでなさいよ。マットレスしかないから布団敷いてあげる。ちょっと待ってて」
「いえ、お構いなく。勝手にやりますから」
「男の仕事が忙しいのはいいことだ。なあ?」
 と義父に同意を求められたが、苦笑するだけで特になにもコメントしなかった。確かにここ最近は仕事が忙しかった。台風被害だけでいくらでも記事にすることが出てくる。とりわけ暖が日ごろ取材している地域がひどくやられたので、連日の取材スケジュールは混乱を極めていた。しかも台風はまだこれからやって来る、と注意喚起されている。
 二階に蒼生子の部屋がある。幼いころから洋裁が好きで、小学生のころには手製のスカートを穿いて学校に通っていたほどだという蒼生子の少女時代を見守って来た部屋だ。扉を開けると少し埃っぽかった。時が止まったかのように蒼生子のあれこれが仕舞われもせず置かれている。蒼生子が好きだったアイドルのポスターは日に焼け、端切れを縫い合わせて作られた手製のカーテンが窓にかかる。畳敷きの部屋に無理やり置いた木製のベッドにはマットレスだけが乗っていた。毛布だけ取り出せばいいかと思い、押し入れを開けるも、そこからも蒼生子のあれこれが飛び出してきて暖は苦笑した。擦り切れるほど抱いたうさぎのぬいぐるみ、お菓子の瓶に詰め込んだ色とりどりのボタンやリボン。フェルトの切れ端を詰めた箱。
 ピンクの水玉模様の毛布を見つけ出したが、それを引っ張り出すにも苦労した。端を引っ掛けて学生鞄を落としてしまう。茶色い革製の鞄の中身は健在で、教科書やらノートやらペンやらが出てくる。毛布をマットレスの上に置き、それらを拾った。教科の段階から言って高校時代のものだろう。この教科書おれも使ってたな、と思いながら戻していると、その隙間に母子手帳が挟まっていることに気付いた。
 蒼生子のものだろうか。学生鞄の中に入る母子手帳、というのがちぐはぐな感じがした。蒼生子のものだとしたら三十六年前のものになるのだが、そのわりには新しい気もする。中身をめくってみたがそこにはなにも記されてはいなかった。
 母子手帳を鞄に戻し、押し入れを閉めると「おやすみのところ失礼するよ」と義父が部屋に入って来た。
「すまんね、疲れてるだろうに」
「いえ、どうしました?」
「いや、同居の話。真剣に考えてくれないか、と思ってね」
 義父がひとりで現れたとき、そんな話をされる気がしていた。長くなりそうな予感に心中でため息をつく。
 この家は暖たちが暮らす街から電車で一時間ほどの郊外にある一軒家だ。義父の両親がかつてはここで洋裁店を経営していたと言い、店舗兼住宅なので、敷地含め家は広い。義父と義母はその職を継がなかったが、蒼生子が離れて暮らすいま、広すぎる家は淋しいのだとよく口にしていた。暖の職場へも一時間程度で通えるのだからどうだ、と最近は少々ことが強引に進む気配があった。




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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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