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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「――それで、私はいったいどこへ連れていかれる、んでしょうか」
 梅雨明けて八月、世間は夏休みという時期。三倉の要望した夜からは半年以上が経過していた。四駆のハンドルを握るのは伊丹、その助手席に遠海。三倉は後部座席で、まったく訳が分からない、という顔をしていた。経緯は話していないので当然の疑問が出る。
「あれ? 遠海くん話してないの?」
「休みかどうかを確認しただけです。休みだったら、出かけませんかって」
「それは誘拐とか連れ去りに近いものがあるねえ」
 ははっ、と伊丹は軽快に笑う。後部座席を確認すると三倉は目で不可解を訴える。お茶飲みますか、とペットボトルを一本渡した。
「え、なに? 遠足的な?」
「今日はこれからHへ行きます」
「これから? もしかして一泊?」
「いえ、僕らは日帰り」
「日帰り!? ますますなにしに!?」
 と三倉はびっくりしていた。確かにこれから乗ろうとしているのは高速だったりする。
「前に伊丹さんのお店でちらっと会ったことありましたが、覚えてますか? 春原さん、というピアノの修理工場の」
「あ、」思い出してつながったのか、三倉はようやく頷く。「確かHって。お店のピアノの面倒見てくれた人だよね。今日はそこへ?」
「うん。伊丹さんの姪御さんがピアノをやりたいとかで、手頃なピアノを探してもらってたんだって。それを見に行く。そのピアノに決まれば伊丹さんは春原さんとピアノの配送。僕らはこの車をまた伊丹さんの家まで戻す役割」
「遠海くんもそこですんなりそう話せばよかったのに。付き合わせてすみませんね、三倉さん」
「いえ、ピアノの工場ってなかなか入れるところではないので、そうとわかったら俄然楽しみになりましたよ」
 状況が把握できればすんなりと順応できるところが三倉の素晴らしい長所だ。持ち前のトークスキルを発揮して三倉は運転に気遣いつつ伊丹と話し始めた。このあいだの店のセッションで和楽器のミュージシャンがいたことは驚いたとか、最近遠海に勧められて聴いたC Dが良かったとか。伊丹もリラックスして運転を楽しみながら三倉と話している。遠海は窓の外を眺めていたが、途中のS Aで休憩した際に三倉と席を代わってからは、腕を組んで眠るふりをした。頭の中ではつたない亜麻色の髪の乙女が鳴る。
 Hに到着し、春原の工房に通された三倉は、カメラを持ってくればよかったと興味津々にそこらに安置された修理待ちのピアノを眺めていた。そのうち奥から春原がやってきて、候補のピアノの置かれた一角に通してくれる。小型だがグランドピアノで、音質はまろやかだと言う。他にもいくつかある候補を見てまわりつつ、遠海はひとつのピアノの、ひとつの鍵を、ポーンと鳴らした。
 お、という顔で皆足を止めた。
「いい音質だね。高音は?」
「こんな感じ」パラパラと鳴らす。
「悪くないな。低音も」伊丹も手を伸ばして混ざる。
「これは製造の割には結構伸びのある音出ますよ。粒揃い、というか」
「伊丹さん、弾いてみては?」
 低音付近を触っていた伊丹に、そう話しかける。
「え?」
「このピアノは、伊丹さんの方が好きそうだなって」
「そうかな」
「そうでしょう」
「そうかも」
 伊丹は鍵を撫でる。気を利かせた春原が、ピアノの椅子を替えてくれた。
「三倉さん」
 それまで後方でこちらを覗っていた三倉に、伊丹が声をかけた。
「リクエストにお応えしましょうか」
「え?」
「遠海くん、そっちでオケを」
 伊丹の向かいにあるピアノに、遠海は座った。曲目は聞いていない。けれど多分、弾ける。超絶技巧だから、伊丹は。
 伊丹は息をすっと吸うと、唐突に低音を鳴らした。静けさから、次第に近づく遠近感で。最も近づいたところで、最大音量で下り落ち、凄まじい技量で指を滑らせた。
 ラフマニノフ、ピアノ協奏曲第二番。
 伊丹を立てるようにして、遠海はオーケストラのパートを弾く。三倉が息を飲んだのが聞こえた気がした。いまはジャズバーなんかをひらいている伊丹だが、学生時代はバリバリのクラシックだった。これぐらいの難曲を、難なく弾ける人だ。
 跳ね回る鍵盤、しなやかに大胆に動く指先や手首。こういう腕の動かし方は僕には出来ないな、と伊丹の音を聴きながら、三十分以上ある長い曲を弾き続ける。あっという間に終わってしまう、終わる、と思っていたら、惜しむ気持ちを察せられたのか、伊丹に目配せされた。
 今度は遠海の番、ということだ。
 ならば、同じようにピアノの協奏曲。最近好きなのは、プロコフィエフ。
 弾いているうちにいつの間にか曲が変わる。伊丹がそう弾いたから。間をはかりつつ、流れを止めず。やっぱり夏だから、と次第に夏の曲へ傾く。ヴィバルディの四季より、夏。それがジャズのアレンジになって、現代作曲家の曲になって、また古典に戻って、あるいは国を悠々と越えて。
 どれだけ遊んだのか、というぐらいにたっぷりと遊び倒して伊丹のトリルで曲を終わらせた。気づいたら一時間ほど経っており、やべ、と焦った。
 三倉を振り向いたら、いつの間にか録音機材を手にしており(春原から借りたらしい)、「貴重な音源の入手」と実に満足そうに微笑んでいた。だがその笑みに隠して、感涙が察せられた。
 機材を置いて、盛大な拍手が三倉と春原のふたりから湧き起こった。
「すごいな、――すごい。本当にすごかったです。鳥肌が止まらなかった。それでいま、なんでか泣けてます。すごいものを聴かせていただきました」
「いやほんとにね。伊丹さん、国際ピアノコンクールの入賞って嘘じゃなかったんですねえ」と春原。
「え、初耳」
「鴇田さんも出てたらいい線いってたって音出しますね。惜しい才能がここにふたつある。世の中ままならないねえ」
「あのね春原くん、僕は結構ままなってるんだよ。そっちの彼は知らないけど」
 と、伊丹に目配せされたので、「ままなってます、充分」と答える。
「伊丹さん、姪御さんにはどのピアノ?」
「うーん、僕の好みならこれだな」弾いていたピアノを指す。
「初心者にこれはどうだろうか、って音出すね。変な風に育っちゃったら煽った遠海くんのせいということで」
「僕煽りましたかね?」
「まあきみの音の好みを育てたのも僕だから、変態寄りになっても仕方がないか」
「僕も変態ですか」
「なにをいまさら」
「あんな音出すの変態しかいないですよ」
「そうそう」
 笑いあっている春原と伊丹に、微妙な顔をしていたら、そこで「ぷっ」と電子音がした。
「演奏後の雑談まで入手。貴重な音源をありがとうございました」
 三倉も笑った。まだ録音を止めていなかったらしい。
「――やられた」


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粟津原栗子
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非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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