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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 タクシーの中で紗羽との会話の続きを訊いた。
「なんて言おうとしてたの?」
「あー、どういう流れだったっけ」
「もしおれがまだ子どもを持ちたいとか、愛想を尽かしても仕方ないなって思ってた、って話」
「ああ」
 鴇田は窓の外を向いた。外光からの反射で横顔にオレンジ色の光が当たって、すぐに消える。
「でもあんたがそういう判断をしても、僕はその結論を支持しないって話です。好きな人ができたって言われたら嫌だって言うし、子どもが欲しいから別れてくれって言われたら、僕には難しいんですけど、努力や理解は怠りたくないなって。要するにあんた以外のピアノもオレンジも僕は興味がないし、食べたくないので」
「そっか。よかった」
 満足してそっと手を握る。握り返される。
 タクシーは暖のアパートの前に停めてもらった。鴇田もそこで降りる。寒いと思ったら雪が舞っていた。ちらつく程度だったが初雪にはずいぶんと早い。
 冷えるので、部屋が暖まるのを待てなくてふたりで風呂に浸かった。鴇田の髪を洗い、自分の髪を洗われる。鴇田が「白髪」というので苦笑いするしかなかった。四十代も半ば近く、そういうものが目立つようになった。
「ほっといて」
「切らなくていい?」
「そのうちナイスグレイになるから待ってて」
「うん」
 ほっこりと温まって浴室を出るころには部屋も暖まっていた。部屋の照度を落とし、もうすこし話をする。腹はよかったのでミネラルウォーターをグラスに汲んでカウチに腰をおろす。
「鴇田さん、いま家賃いくら支払ってる?」
 と訊ねると、鴇田は「藪から棒だね」と苦笑した。
「八万円ぐらい。会社から住宅手当下りてるから満額じゃないけど」
「じゃあやっぱり一緒に暮らそう」
「いいんだけど」鴇田は首を傾げた。「防音室はいいから」
「うん。防音は諦める」
「ん?」
「で、おれも書斎っていう部屋はまあ、いいや。ちょっと物書きの出来るテーブルあれば」
「どうしたの?」
「単純な計算の話」
 鴇田の肩に頭をもたせる。しっかりとした肉体があるなと思った。
「いまここの家賃が九万ぐらい。おれも住宅手当出てるから満額ではないけど、それにしたってふたりで住めば多分そこそこの広さの部屋に十万ぐらいで住めるよ。鴇田さん八万、おれ九万で合わせれば十七万だけど、そんなに払わなくていい。そしたら貯金が出来るから」
「節約してなにか欲しいものでもあるの?」
「うん。伊丹さんからあのピアノ買おう」
 そう言うと、鴇田は驚いたのか顔をあげた。身体の距離ができる。
「伊丹さんから、ピアノ?」
「あのピアノは伊丹さんの商売道具だからそう簡単に売ってはもらえないかもしれない。でも交渉はしていいと思う。いますぐじゃなくていいからって。いつか店をたたむ日でも来て、鴇田さんがあのピアノを弾けなくなることの方が淋しい」
「……先の話?」
「先の話。いまはね。こまこま貯金しておく。そのうちおれやあなたも定年退職って日が、まあまっとうに暮らしていれば来るよ。そのときに伊丹さんからピアノを買って、あなたが好きに弾ける部屋のある家で暮らす」
「夢みたいなプランだね」
「でもわるくないんじゃないかな。いまあなたと電子ピアノのイヤフォン分けて聴くのもいい時間なんだけど、音割れてるなってのはおれにも分かるし。将来は」
「僕とあんたの将来のことを考えていいの?」
「そういうこと言ってるとまた喧嘩するぞ」
 額同士を合わせ。目を間近で見合って言うと、鴇田は笑った。
「あなたがピアノを鳴らしている傍で、おれは新聞読んで文章でも書いてるから」
「気が向いたら散歩でもして?」
「動物でも飼って」
「風呂に浸かって、飯食って、掃除をして、寝て」
「たまに遠出もして。――そういう、誰にでもありふれて起こっておかしくない生活を、あなたと現実にしたい」
 至近距離で鴇田の瞳が揺れる。震える呼気で「また部屋の探し直しだ」と言った。
「いいじゃん。これから部屋探して、家具とか家電もちょっと整えて。春前には引っ越せるんじゃない? いつもと変わらない毎日を送りたいから、そのために変える努力はしないと」
「……会ったばっかりのころに、蒼生子さんが言ったの思い出しました。暖が好きなのは何十年も漬物漬け続けて来たおばあちゃん、スローなライフスタイルが好き、って。結局あんたは変わんないんですね。あれからずっと」
「都度やり方は考えるんだけどね」
「……あんたの傍にいると、あらたまる」
「あらたまる?」顎を取られた。
「いつも新しい気持ちになって、新しい経験をくれる。その度に新しい僕を見る気がする。……僕は変わったのかな?」
「改悪していくなら困るんだけど、鴇田さんって実はすごく前向き。そういう強いところがあなたはとてもいい」
「わるくなったら、叱って正してね。あんたの前では新しい僕がいい」
「おれもそう思う。……今日の論にはだいぶ面白くない思いをしたけど、これで清算でお釣りが来るな」
 唇を合わせる。じゅ、と音を立てる。目を見てまたキスをする。角度を変えて深く口付けるうちに鴇田が上に重なって来た。
「布団行こっか」
「シーツが冷たそうだな」
「気にならなくなるよ、そのうち」
「そういえばクリスマス、欲しいものある?」
 上になった男に見下ろされる。もう背筋が危うい。胸がざわめく。頰に手を伸ばして触れた。
「いつもの店で聴くいつものクリスマスソングがいい。鴇田さん、欲しいものは?」
「前に食べた水炊き、あれで一杯やれると充分」
「安上がりだなあ」
「あんたもね」
 笑いながら寝室へ移った。冷たいシーツにふたりで潜り込んで、寒気に肌を粟立てながら互いの衣服の下に手を這わす。
 プレゼントを願うならたったひとつ。死ぬまでこの生活を。鴇田と過ごす日々を。鴇田だけのオレンジでいられるごく当たり前の毎日を。


ラーナ・ニーニャ/エル・ニーニョ End.


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あと数日更新します。最後までどうぞお付き合いください。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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