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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 その日の作業は三人一組で行った。大型の収集車に運転手ひとりと、遠海と日瀧で乗り込んだ。運転手の男は作業中の事故の後遺症で片足がやや不自由である。ゆえに運転手の業務しか行わないため、収集車から降りてごみを回収し積み込んでまた乗り込む作業は遠海と日瀧のふたりに限られた。
 汗だくになって黙々とごみを積み込む。積載量がいっぱいになったのでほぼ予定していた通りに集積所へ向かった。その途中、住宅地の中で寄り添って歩く男女を見かけた。春の日差しの中を小柄な女性と標準的な体格の男性が歩いている。女性のショートカットと白いシャツの後姿、男性の身体にぴったりと添ったシャツの後姿で、ぎくりと身体がこわばった。三倉と蒼生子だと瞬間的に思った。
 男性の方はベビーカーを押して歩いている。ゆっくりと歩く夫妻に、そうか、と心臓が冷え込む。不妊治療中だと言っていた。いつ子どもが出来ても不思議はなかった。それが叶ったのだと思い、トラックに揺られているだけの視界が砂嵐かのように霞んだ。
「鴇田さん?」
 遠海の身体のこわばりを、隣に座っていた日瀧が察した。声をかけられたが、遠海は夫婦から目を離せない。嫌だ、と思った。三倉がはるか遠くへ行く。そうあってほしいと願っていながらその準備はちっとも出来てはいなかった。
 車は徐行しながら夫婦の横を抜ける。ハンドル操作を誤って夫婦に突っ込んだらどうなるだろう、とばかげた想像がよぎった。車が抜ける際、サイドミラーで後方を確認した。きちんと確認すれば女性は蒼生子ではなく、男性も三倉ではなかった。ベビーカーに乗る子どももだいぶ大きい。人違いであったことにほっとしつつ、こわばった身体から力をうまく抜くことが出来ない。
 それでも通常通りに仕事をこなし、昼すぎに会社へ戻った。作業は終えていたので車を清掃し、今日の業務を報告して休憩に入る。あとは事務処理が残っているだけだ。胸ポケットから社員証を取り出し、中に収めてある紙片の内容を頭の中で思い浮かべた。そうか、そうだな、とそのときようやく納得した。三倉には子どもが出来たのかもしれない。夫婦念願の。
 昨年の十一月に掲載された三倉のコラムを難解だと思いながらもずっと持ち歩いていた。このコラムの意図するところが見えたとき、三倉の思いを知れるかもしれないと期待したからだ。なんだと思う。少年の未来とか、生命のありかとか、直接的なことが書かれているのに分からなかった。自分にはよっぽど遠い話であるからだ。三倉には、子どもが出来た。
 そう思ってしまったら、もうそうとしか思えなくなった。確証はなかったし、確かめようもないが、遠海の中で確実になにかが切れた。ぶちっと音を立てて身体から剥がされた気がする。その隙間を狙って重たいなにかが流れ込む。
 休憩で口にしようと思っていたゼリー飲料すら飲み込める気がしない。身体の内側でアラートが響く。手足が重たく痺れている感覚があった。疲れた、と思う。
 不意に目の前にラップで包まれた丸いものが差し出された。蒸したまんじゅう、と認識して顔を上げる。別の箇所をまわっていた西川も帰社して日瀧と合流し、揃って遠海の前に座ってこちらを窺っていた。
「疲れたときって甘いものですよね」
 西川はそう言い、日瀧は「なんでまんじゅうなんか持ってんだ、ばあちゃんか」と西川に突っ込む。
「明日の歓送迎会、無理に出席しなくていいと思いますよ」
「……」
「いつか僕とヒタキくんを個人的に誘ってください」
 普段はお喋りにまとわりつくだけの新人は、そう言ってすんなりといなくなった。遠海は額に手を当て、しっかりしろと言い聞かす。
 あのときから時間も経った。けれどいまだに、こんなにも動揺している。
 あの人を好きなまま、遠海はなにも変わらない。周囲だけが星の速さで遠海を置いて過ぎ去っていく。




「なんだ、元気そうじゃん」
 焼肉屋の二階、大人数の予約に対応するための座敷席で、向かい合った田代はそう言った。
「さっき耳にしたのはあんまり元気ないみたいですよって噂だったんだけど」
「どこの噂ですか?」
「事務のおスズ姉さん。でも噂の出元は新人らしいな」
 翌日の歓送迎会には、意地でも来た。ひと晩寝て過ごしたらすこし軽くなっていた気もしたし、それは多分まんじゅうが効いたのだと思うことにした。ありがたい新人が入ったなと思っていると、「おまえを気にかけてくれるような新人でありがたいよな」と同じことを田代も漏らした。思わず苦笑する。
 先ほど社長の挨拶があり、幹事の仕切りで乾杯を済ませている。場は一気に騒がしくなり、肉を焼く音があちこちからじゅうじゅうと響いている。目の前の田代もタンから焼き始めた。田代は仕切りたがりで、こういう宴会の際は自らトングを握って人の皿を支配する。
「でもまた痩せたか? 一時期よりはまともな気もするけど」
「田代さんこそ痩せましたね。ストレスですか?」
「いや絞ってんの。さすがにこの腹がこのまま成長し続けたらおれ操縦席座れねーわって気づいた。近所の公園走ってんだわ。あと食事制限」
「じゃあ焼肉もビールもやめた方がいいですよね」
「今夜は特別。こういう日もあるだろ。久々の鴇田だしなー」
 そう言って田代は笑った。ですね、と遠海は烏龍茶を口にしながら同意する。
 この四月の異動で田代は遠海たちと職場を別にした。過去の経験を生かし、現在は指導員として大型機械の研修に参加する傍ら、自らも操縦士として集積所に勤務している。これまでは遠海ら収集作業員らの直属の上司として勤務していたわけだが、本人いわく「もっとヒリヒリする現場に出たくなった」とかで、配置換えの希望が叶った形である。
 田代の手で鮮やかに焼かれたタンが次々と皿に放り込まれる。同じテーブルになった同僚は田代の仕事ぶりに相槌を打ちながらも肉に噛り付いている。なかなか噛み切れない肉を口の中で咀嚼し続けながら、食べる気がない、そもそも噛もうという気がない自分に気づく。怖くて体重計には乗っていないが、そのうち健康診断があるだろうから、判明するに違いない。三倉と会ってから自分はどこまで消耗し続けるつもりなのか。
 田代が「次カルビ行くぞー」と網の交換を店員に頼む。遠海の皿には冷えかかったタンが残っていた。「早く食えよ」とトングで指される。
「おお、すごいなこのカルビ。骨付きだ」
「ここの店のはうまいんすよ。いまはなくなっちゃったんですけど、昔はレバ刺しも食えてそれが最高で」
「あー、生レバーな。いま食えなくなっちゃったもんなあ。生で内臓食ってるのっていかにも肉食のケモノっぽくて妙な背徳感あるよな」
「で、女とかはきゃーきゃー言うんすよ。こんなのグロくて食べれなーいって。でも結局食うんすよね」
「女の方が内臓には慣れてんじゃない? だって子ども産むじゃん。産んで終わりじゃないんだよな。後産とかさ、おれそんなのあんの? って嫁さんにびびった」
「胎盤出すんすよね。あれも焼いたら食えるんすかね?」
「食えないことないんだろうけど、……いまこれ以上の話はやめるか」
 音を立てて焼ける肉を見て、思うところがあったらしい。田代も同僚も既婚で子どもがいる。遠海には到底共感しがたい話だ。ついていくことを諦め、飲み込めていないタンを烏龍茶でようやく流す。
「鴇田はいー人いねーの?」と同僚は酔って赤らんだ顔をこちらに向けた。
「やめとけ。人には人のペースがあんだから。鴇田がこういう話に乗ってきた試しないだろ」
 田代がそっとかばってくれたが、同僚は「若いよなあ、いいよなあ」としきりに絡む。
「いまいくつ?」
「再来月で二十九です。そんなに若くもないですよ」
「二十九かー。俺結婚した歳だ。いねーの、鴇田」
「なにがですか」分かっていてしらばっくれる。
「彼女か、結婚したい女か、やらせてくれる女か、やりたい女でも」
「鴇田はおれの姪っ子と純愛を貫くことになってるんだよ。肉焼けたぞ」
 ほいほいと肉が配分される。同僚はビールをぐびぐびと飲み、肉にかじりつき、嫁と子どもの自慢と職場の愚痴を散々田代と語りあい、別のテーブルへと移って行った。よく喋るなと思って黙っていたが、こういう場を必ずしも苦痛に思うタイプでもない。伊丹の店に行けばこんなのはよくある話だし、もっとえげつない駆け引きを繰り広げるカップルだってたくさん見ている。BGMに徹することは得意なので特に困りはしなかった。
 もっとも場を気にする田代は困っていたようで、「あいつもストレス溜まってるな」と同僚のフォローをした。



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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