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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「Aの出張許可」
「そう。先方は明後日なら都合がいいそうだ。早い時間の方がいいというから前乗りを許す。明日出発で」
「いえ、僕明日も取材詰め込んでるわけですけど」
「ならギリギリまで取材して、行けない分は高岡に引き継げ。で、明後日のうちに戻って来いよ。とにかく締め切りが焦げついてるからな」
「それ僕に休みのないコースじゃないですか」
「企画発案者がいまさらあだこだ言うなよ。発行になったらいくらでも休ませてやるさ」
 と言って笑うが、目は笑っていない。上司の言葉に暖は「はあ」と頷く他ない。いや、わりと願ったりなのか?
 あおばタイムス創立六十五周年記念になにかやろう、と言い出したのは社長だった。役員はこれと言った案を思いつかぬまま「なにか」の中身の発案を下へスライドさせた。なんで六十五周年っていうタイミングで? もう三十五年待つのが難しかったとして、でも五年ぐらいは待とうよ、と誰もが思った。思ったが紙面を盛り上げよとのお達しで会議をした結果、暖がやけくそで出した「六十五年前のあおば地区を振りかえろう」案が無難に通ってしまった。
 六十五年前の地図と現在を比べる。変わっている地区名はその変遷を振り返る。六十五年前を知る人へのインタビュー。六十五年前の世相や世間を賑わせたニュース。その頃流行っていたもの。ありとあらゆるものを調べる中出て来たのが当時の地区名で「御鈴」出身の若手ダンサーの地元凱旋公演の記事だった。野田真角(のだますみ)、当時十五歳。国内に創立された極めて実験的で前衛的なモダンバレエ学校で才覚を現すも、ダンサーとして食べられる時代ではなく、活動期間はわずか五年という短さだった。二十歳で結婚した際に就職し、その後の活動は記録にない。
 たった五年であれど、若い貴重な時間と身体を舞台に捧げたのだから話を聞いてみたいと思った。存命か故人か分からぬ中でせめて親族にでも話を当たれないかと下調べを続けた結果、本人はまだ生きていることが分かった。取材も可能だという。ただし住まいを移しており、それがAだったのだ。さすがにそこまで実際に行く許可は下りないだろうと思っていたが、ほろっと叶ってしまった。仕事をこなしつつAまでの経路を調べる。新幹線が早いが新幹線を降りた先が長い。結局「安い・自由」を優先して社用車をすっ飛ばしてAまでの弾丸ツアーと相成った。
 大慌てで荷物を準備しながら鴇田に連絡を取るかどうかを考えた。通常の距離感であれば「出張行ってくる」ぐらいは伝えてもいいように思うのだが、連絡を取り合っていないいま、それさえもしていいのか躊躇う。
 鴇田の「触れられない」は、暖には分からない。散々触れて来て、内臓の内側まで舐めるようなえげつないこともしていて、唐突に「嫌悪感がある」と言う。このまま鴇田は暖を拒んで終わるのだろうか。いや、そんなこと絶対にさせないけど。絶対に足掻くけど。
 まさに「経験が太刀打ちできない」。全く別の思考と身体なのだと実感する。だからと言って諦めて引く理由はない。愛想を尽かされたのならともかく、苦しみながら「時間が欲しい」と言われたのだ。
 ……いや、もし「触れられない」に「嫌いになった」が含まれていたらどうしたらいいのかな。嫌いな相手には触れられたくないだろうし。むしろ会いたくないし。すると自身を省みて改善する必要があって――思春期ならともかく、いまさら自己否定の沼になんか足突っ込みたくないけれど。
 頭を打ち振って考えるのをやめた。一泊の取材旅行の準備をしてアパートを出る。



 前乗りでA市街のビジネスホテルへ車を突っ込んだのが夜七時。本来ならば旅先ぐらい地元の名産と酒とでやりたいところだが、調べる暇もなくて駅前のうどん店で腹を満たした。部屋に戻って明日の取材の手順を確認する。市街からは離れる海沿いに住宅があるといい、早めにホテルのチェックアウトを済ます必要がある。取材は朝八時半からだ。
 普段暮らす街より北に位置するこの街は、夜になればやはり気温が違う。部屋の窓を開けると冷たい夜風が部屋に吹き込んできた。痛みを感じるほどの気温の風だ。遠くで救急車のサイレンが聞こえた。中の人は無事かな。なんとなく部屋の空調を消し、しばらく夜風に当たった。くしゃみをして窓を閉め、眠りにつく。
 早朝、チェックアウトの支度をしていると電話が鳴った。社用で使っている方だ。知らない番号からだったが対応した。取材を予定していた野田老人本人からで、自宅の固定電話からではなく孫のスマートフォンを借りてかけていると言った。
『妻が庭で転んでしまいまして、いま病院なんです。取材時間を遅くしていただきたいのですが』
「それは一大事ですね。こちらのことは気になさらないでください。奥様のお加減はいかがですか?」
『骨折まではいかなかったと思うのですが、もう歳ですのでね。念のために精密検査をしとります。私もずっとついていなければならないわけではなく、むしろそういうことは息子や孫たちに任せた方がいいですので、昼までには家に戻る予定です。時間、そこらでよろしいかな?』
「ああ、お構いなく――では一応十三時にお伺いします。ですが無理なら無理で仰ってください」
 淡々と電話は切れた。午前中に取材を済ませて車をすっ飛ばして帰る予定がまるきり変わる。まあいいか。観光でもしようと考え、ひとまずホテル内で無料の朝食を取る。
 せっかく車があるのだからとドライブをしてみる。地図を見てルートを見て、暖が選んだのは海岸線のドライブだった。鴇田とIに行ったの何年前だっけ。あの時は最悪で最高の最西端ドライブだった。それを思い出しながら車を走らせた。途中あちこちで車を停めて写真を撮ったのは記事になるかもしれない予感であり、鴇田に見せたらどんな反応があるだろうかという期待だった。道の駅で土産を買ってみる。渡せるかどうかも怪しいので生鮮はやめる。持ち運びと軽さで選んだら馬をかたどった小さな工芸品になった。かばんに仕舞い込む。
 時間を見てドライブをやめ、軽食を済ませて野田の家に向かった。出迎えてくれたのは少年で、彼は野田の孫だと言った。高校生で、古い記事に載っていた野田によく似た、どちらかと言えば野暮ったい顔立ちだった。馴染みやすいというか、田舎臭いというか。嫌いになれない面立ちだ。
「祖父はもう戻ってます。遠いところをわざわざだったのに、さらにお待たせしてすみません。おじいちゃーん、あおばさん来たよー」
 玄関先で大きな声を出しながら廊下の先を促された。通された客間は庭に面していた。部屋の隅にレースのカバーのかけられた茶色いオルガンが置いてあった。
「どうも、お待たせいたしました」
 縁側に面した廊下から野田は現れた。小柄ではあるけれど背筋のしゃんとした人で、とても八十歳には思えぬ若さがあった。顔は相応にしわがあるが、それでも若いと感じた。
「改めまして、あおばタイムスの三倉と申します。奥様のご様子はいかがですか?」
「心配と面倒をおかけしましたねえ。まだ病院で結果待ちです。息子の嫁がついててくれておるので心配はしとりません。ちょっと打ち身程度で済んだでしょう」
「庭で転んだというのは、そこで?」縁側の向こうに見える庭を指した。
「ええ。庭木に水をやってから、縁側に上がろうとして足が上がらなかったんでしょう、落っこちましてね。頭、というより顔を打ったのです。それで思いがけず大ごとに」
「いえ、大事なところですよ。下手に出血でもしていれば脳は危険です。お顔というのも、女性には辛い話ですね」
「この歳になれば顔はシミとしわでくちゃくちゃが当たり前です。若い人よりは気にすることはない」
 野田の家は古い日本家屋で、庭の向こうには海が見えるような立地だった。地震で津波でもあれば一発ですね、と野田は豪快に笑った。海からの潮風を潮に強い庭木を植えることで防ぎ、また家の屋根や建材も琺瑯引きや焼き物で錆びぬように工夫がされていた。聞けば結婚の際にこの家に婿に入ったとかで、野田の本姓は「沖」と言った。
「――まあ、あの時代にダンサーで食える人間なんぞおらなかったのでね。しかもミュージカルでもなく、クラシックバレエでもなく、モダンバレエでした。アカデミーに通いながら劇団に所属して踊りましたが、経済的にはずっと苦しかった。妻の父親のつてで漁業組合に就職しまして、ようやく落ち着いたわけです」
「それで活動期間が短かったわけですね」
「華のない顔立ちだ、とよく言われます。体格に恵まれたわけでもなかった。けれどそれを超えて純粋な身体能力だけでやっていける強さというか、目新しさがモダンにはあったのです。私はこの通り小柄で手足も短いですが、体幹には優れていましてね。腕を広げて身体を大きく見せる方法もありますが、重心を確実に丁寧に動かして身体の隅々まで表現に活かせたのです。これを高く評価してくださったのがアカデミーの創立に携わった小平先生という方で。小平先生は戦前には日本舞踊の先進者だったわけですが――」
 一度話し始めれば暖が訊ねるまでもなく野田はすらすらと語り出した。孫にせがまれて何度もしてきた話なのだという。地味で華のない顔立ちだと言うが、語る仕草は洗練された人のものだった。暖は仕事を忘れて話に聞き入る。取材でなければメモさえ取らず、ただ脳に刻み込むのに徹して表情を窺っていたかった。
 やがて玄関先が騒がしくなった。野田の妻と息子の嫁が帰宅したのだ。孫が「おばあちゃん大丈夫?」と訊ねているのが聞こえた。そのうちに足音がして、野田の妻が顔を覗かせた。頬にテープが貼られていたが、他に目立つ傷は見えなかった。
「美津子、どうだい?」
「おかげさまで顔はこんなですけどね。腫れるでしょうとは言われましたけど検査結果は大丈夫ですって。ごめんなさいね、三倉さん。こんなところまでわざわざいらしてくださったのにばたばたしてしまって」
「いえ、ご無事でなによりですよ。ドライブの時間ができましたので私としては貴重な時間をいただきました」
「もう夕飯の支度になるのですけど三倉さんは今日中にお戻りですか? よろしければご一緒にいかが?」
 時計を確認すると、確かに夕食の支度に取り掛かるような時間だった。これから会社まで車をすっ飛ばしたとして深夜着は間違いない。取材が押したのだからもういっそ帰るのは明日にしてやろうか、という気になる。
「お言葉に甘えてしまいますよ」
「ええ、もちろんどうぞ。お酒は召し上がる? 地酒があるのですけど」
「ああ、そうしたいですけどねえ。車で来ていますし、宿も探さないといけませんので」
「あら。お嫌でなければ泊まってらしたらいいわ。ねえ、真角さん」
「うちは全く構いませんよ。家族が多いのでやかましいですけれど、布団と部屋はありますし」
 ならば、ということで遠慮せずに早速会社に電話した。電話口で上司は渋ったが、「取材の予定が変更になった」を繰り返し主張して、明日の戻りで渋々了解を得る。
「そうと決まれば張り切って支度いたしますね。ああ、あなた。海を案内して差し上げたら?」
「海?」
「ええ。すぐそこに見えている海です。今日はとても澄んでいるから、きっと夕日が綺麗なんじゃないかしら。沖までくっきりしているわ」
「そりゃ本当か?」
「ええ。早くご案内して差し上げた方がいいわ」
「見られるかもしれんな。行きましょうか、三倉さん」
「見られる?」
 なにを、と問う前に野田は立ち上がった。
「海、行きましょう。カメラをぜひ」

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寒椿さま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。

今までのこだわりがどうでもよくなる瞬間はありますが、やはりどうしてもわだかまるときもあるのだと思います。一筋縄ではいきませんね。

私も海を見たくて旅行に行きたくて悶えているこの秋です。近場の喫茶店でさえ気軽に出かけることをためらうような状況になってしまいましたね。
これをきっかけに動画見てくださるとのこと、作家冥利に尽きます。ぜひ有意義な晩秋の一日を過ごしてください。

あと少しで更新終わります。最後までどうかお付き合いを。
拍手・コメントありがとうございました。
粟津原栗子 2020/11/22(Sun)06:06:03 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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