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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 性急なセックスの後、外へ出た。夕立はあっという間に過ぎ、暗くなった空には星が見えている。雨のおかげでそこらはひんやりとしており、ここのところ熱帯夜続きだったので冷涼な風は気持ちがよかった。
 ふたりとも腹が減っていた。近いところでいいか、とアパートの傍にあるラーメン屋に入る。冷やし中華を注文してから、暁登が「そういえば今年は冷やし中華を食べるのがはじめてだ」と呟いた。「もう夏も終わるのにな」
「おれは早先生の家で食べたよ。暁登のいないとき。ああ、藍も一緒だった」
 この夏、樹生の姪・眞仲藍は早の家に滞在していた。二週間の約束だったのですでに家に戻ったが、その後早の元には丁寧に礼がつづられた手紙と、写真が送られてきたそうだ。それは新生児を抱いた母親を中心に家族が取り囲む、眞仲家の記念スナップだった。
「藍ちゃん、元気?」と暁登が尋ねる。
「おれが会った時はあんまり元気じゃなさそうだったから」
「元気だよ。藍はあのテンションが通常だから。そう、暁登にもお礼を言ってくれ、と頼まれてたんだ」
 思い出して、樹生は財布に挟んでいた紙片を取り出す。年頃の女の子が使うようなパステルブルーの便せんを複雑なかたちに折りたたんである。暁登に渡すとわけが分からないという顔で紙片をひらく。中にはまるっこい字で「水晶、ありがとうございました。綺麗です。大切にします。」と綴られていた。
 暁登はそれを読んですっと目を細めた。照れや喜びを、この男はこういう表情で隠す。樹生はすこし笑った。
 紙片は樹生の財布から、暁登の手帳へと移る。やがて冷やし中華が運ばれてきた。ふたりで麺をすする。
 店を出た後、暁登が「少し歩きたいけどいいか?」と言うので、アパートへ戻る道をわざわざ大回りに外れた。車通りのない道を選んだら、住宅街に入ってしまった。家々にはそれぞれの明かりが灯り、時折、食卓のこうばしい香りや、風呂場の湿気た入浴剤のにおいが漂った。空き地で花火をしている親子もいて、そのちいさな火力の閃光をふたりで眺めつつ、歩く。
 子どもらのはしゃいだ声を遠くに聞きながら、「留学する」と暁登が唐突に言った。樹生は驚いて恋人の顔を見る。暁登は前を向いたままだ。
「――え、」
「うん、すこし日本を離れて生活するんだ」
「いつ?」
「早ければこの冬から。遅くても来年の春には、かな」
「どこへ?」
「ウェールズ……イギリスの、西の方」
「……どのくらい?」
「まず、三カ月がめどかな。長くて半年」
 それを聞いて、樹生はなにも返答できなかった。暁登は樹生の顔を見上げて、「そんな顔するなよ」と言った。
「するだろ、『そんな顔』……。どういう経緯? 仕事は? せっかく続いてるのに辞めちゃうの?」
「辞めないよ。そもそもこの留学ってのは会社と相談して決めたんだ。海外部門をもう少し拡充させたいって前々から社長は思ってたみたいでさ。人手不足もあるし、おれをバイトから正社員にあげようか、って話があった。ただ、語学にもうちょっと堪能であってほしいんだよねって言われた。
 それはおれも思ってて、出来れば海外留学をしてみたいんです、って思い切って言ったんだ。そしたら社長、その必要性を感じてくれたみたい。日本を懇意にしてくれているイギリス在住の絵本作家がいて、その人のところにホームステイしながら語学学校に通うってのはどうだっていう案を出してくれたのは同じ部署の先輩。いまその絵本作家とやり取りして話を詰めているところ。……それで戻ってきて、一定の語学力を認めてもらえたら、正社員に」
「……すごい話じゃないか」
「おれもそう思う。もちろん、ある期間内に結果を出さなきゃいけないから、プレッシャーや、怖いって気持ちがないわけじゃないけど、チャンスだから、……だから行こうと思ってて」
 暁登の表情に迷いがなかったので、樹生はほっとしつつ、淋しさに貫かれた。帰って来るのだ。帰国を前提に話が進められている。けれど三カ月から半年はこの国からいなくなる。その間、会えない。
「淋しい」と口をついた。本来ならば「おめでとう」とでも言って祝福すべきだったのに、本音がぽろりとこぼれる。
「あんたには早先生も姉ちゃん一家も、職場の仲間もいるだろ、」
「うん。だけど、あきに対してはそういう淋しさじゃないんだ」
「……分かるよ」
 暁登は周囲をそっと見渡してから、手に触れてきた。約束ごとをするみたいに、小指と小指だけを絡ませる。
「でも、行くって決めた。これから準備で慌ただしくなると思う」
「そっか」
 繋いでいない方の手で樹生は額を押さえた。「あー」
「あんた、浮気すんなよな」
「こっちの台詞だって」
「あっという間だよ、きっと」
「いや、……淋しいよ」
 淋しい、淋しい、と子どもみたいに口にする。「うるさい」とまたうんざりした顔で言われると思ったが、暁登はなにも言わなかった。
 軽く握られていた手に力がこめられ、それからすぐに離された。しばらくして車が通りかかる。ライトで照らされ、車が過ぎて、また暗くなる。とん、と指に触れ、それを合図にまた小指同士を絡めなおす。
「アパートはどうするの?」
「借りてても仕方がないから解約だろうな」
「まあ、……そうだよな、」
 大回りしているはずが、いつもの道に戻った。明日はお互い仕事なので、今夜のうちの暁登は帰るだろう。だがそれが嫌だ。今夜はひとりで夜を過ごしたくない。
 アパートの前まで来て、手が離れる。じゃあ、また、で去ろうとする背中に「帰らないで」と懇願していた。
 暁登は驚いた顔でこちらを向きなおした。
 それからふっと笑う。
「――どうもおれはだめだな」と言った。
「あんたには甘くなる」
 どうやら今夜は一緒にいてくれるようだ。樹生の傍までやって来ると、背をはたき、先立って部屋への階段をのぼり出す。
 留学を自分で決めても、離れることが辛くないわけじゃない。暁登も暁登の淋しさを抱えている。
 部屋の鍵を開けると同時に樹生は暁登を抱きしめた。よく抱き馴れている体だけれど、抱きしめるたびに自分は恵まれていると実感する。こういうぬくもりをいつでも誰もが手にできているかは分からない。人と人とのことだから。
 暁登の心臓が速い。自分のそれも速い。抱きしめ返されてうっとりとその感触に酔う。こういう日がこの先も幾晩も迎えられますようにと、願う。


End.


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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