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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 いま、女王は酷く落ちこんでいる。
 ことの顛末は聞いた。聞いたが曜一郎にはどうしようもない。それよりも彼女と今後をどうすべきかを、真剣に悩んだ。何度も別れを決意しておいてそれは決意などではなく、ほんの僅かな揺らぎでまたはじめに戻っていた。転んでは白紙に戻るの繰り返し。
 本当は共にいたかった。それはなにごとにも代え難い本音で、だが手の指の攣る癖が、痛みが、曜一郎を竦ませる。
 この指でいる限り彼女の全てを満たすことは出来ない。
 曜一郎が別居を解いてようやく家で眠りつくようになって、半年ほど経過した。茉莉とは表面上はなだらかで、だが彼女は明らかに元気がなかった。生来の気の強さ、激しさがごっそり抜け落ちていて怖いぐらいだ。娘たちがいる場でもなんとなく反応が遠い。物思いにふけって、呼びかけても返事がないことがままあった。
 曜一郎と茉莉は、寝室を共にしない。茉莉は茉莉の部屋を持ってそこで眠るし、曜一郎は曜一郎で部屋があった。もう彼女とはずいぶんと長いこと一緒に眠っていないな、とベッドに体を横たえたときに思いがよぎった。もう十何年も夫婦をしている。だと言うのに彼女との距離を誤る。どうしていいのかよく分からない。
 熱帯夜で寝苦しかった。空調を効かせたまま眠ると喉を痛めるので夜間の睡眠のあいだは窓を開けて眠るのだが、今夜はちっとも風が入らない。こういう日はいっそ眠ることを諦めて、居間にでも行って寝酒を煽ろうかな、と考えていると、部屋の扉が控えめにノックされた。「入っていい?」妻の声はか細い。
 起き上がり、曜一郎から扉を開けた。パジャマ姿で茉莉が立っている。もっとも今夜は、この家にはふたりしかいない。長女の藍も次女の茜も、学校主催のサマーキャンプに出掛けている。
「こんばんは」と妻は夜の挨拶をした。
「どうしたの?」
「寝苦しいから、こっちで寝ようと思って」
 この台詞にはとても驚いた。
「いいけど、僕の部屋も暑いよ。暑いから居間で酒でも飲もうかと思ってたところ」
「じゃあ、私もそうする」
 ふたりで居間へ向かい、茉莉は冷房を入れ直し、曜一郎はアルコールを用意した。茉莉ははっきり言って酒豪だが、曜一郎はほとんど下戸に近い。飲酒のペースが合ったことはなかった。
 水で割ったごく薄い梅酒を自分に、茉莉にはロックの梅酒を渡した。これは茉莉の弟・樹生からもらってきたものだ。正確に言えば彼の育ての親・草刈早が漬けたもので、この梅酒をはじめて飲んだ時の美味しさが忘れられなかったので彼女にお願いして毎年梅酒を分けてもらっている。
 広いカウチに、ふたり並んで座る。梅酒をひとくち口にすると、茉莉は「もう他の誰とも寝ない」と言った。
「もし誰かと寝たら、私を殺していいよ」
「いやだよ、そんなの。……ごめんだ、」
 滅多なことを言わないでくれ、と言うと、彼女は大人しく「ごめんなさい」と言った。
「でも、本気よ」
「きみにそんなことが出来るのか、僕は思えないな。実行できたとして、……僕はきみを満足にしてあげられない。なんてったってへたくそだからね」
「知ってる。仕方がないよね、指が攣るんだから」
 その台詞にハッとして隣にいる妻を見た。誰にも、親にも、兄弟にも、妻にさえ言ったことのない曜一郎の癖を、彼女は気付いていた。
「分からないとでも思ってたの?」と言われる。
「はじめてデートしたときにもう気付いてた。指、痛い?」
「痛いわけじゃないんだ。痛いときもあるけど、……びっくりした」
 茉莉は曜一郎の手を取って、中指をやさしく撫でる。こういうことは過去の誰にもされたことがなく、安心感と心地よさと、少しの申し訳なさを曜一郎にもたらす。
 そのまま指とゆびを絡めて手をつないだ。つないだまま酒をちびちびと舐める。
「子どもが欲しい」と茉莉が呟く。曜一郎は再び驚く羽目になった。「え?」
「なんて声出すの。それとも私とのことをもう、嫌だと思う?」
「そうじゃない、そうじゃないんだ。えっと、……これから産もうって話?」
「そう。今度は男の子を育ててみたいなって」
「いまから産むのは、大変だろう? 高齢出産になるんだし、」
「確かにそうだけど、初産じゃないならなんとかなるでしょう」
 茉莉はふっと笑った。心から穏やかな顔をしていて、彼女のこんな表情を曜一郎はいままで見たことがなかった。
 彼女の中で、なにかが変化した。
 笑顔を見て、曜一郎は泣きたくなるような、嬉しいような、複雑な気持ちになる。胸が熱くて鼻の奥がキンと痛む。少しうなだれてから、「きっと大変だよ」と妻に告げる。
「そうかな。楽しいと思うわ」
「藍や茜の頃みたいな体力が僕にはないなあって」
「藍や茜を巻きこんじゃえばいいのよ」
「家族みんなで育てる?」
「私はよく分からないんだけど、そういうものなんじゃないの、家庭って」
 その台詞が辛かった。彼女の身の上に起きた話を、もうこれ以上彼女に重ねたくなかった。
「男の子なら、樹生くんみたいに背の高い格好いい子になるかな」と、努めて明るく言った。
「まさか。曜一郎との子なのに、なんであの子みたいな子どもになっちゃうの。あなたに似るわ」
 妻はきっぱりと言い放つ。つないだ手は汗ばんで来ていたが、離そうとは思わない。
「男の子、いいね」
「でしょう?」
「女の子ももちろん」
「ね。なかなか素敵なアイディアだと思わない?」
「思うよ」
 その日は夜じゅうふたりで喋っていた。くだらないことも真剣なことも全て巻き込んで。
 手はつないだまま、けれど曜一郎の指はその夜、攣らなかった。


End.


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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