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 日野辺医院は診療を終えて明かりは消えていた。裏口にまわると、奥さんの噂通りに喪服の人間とすれ違った。濃い線香と樟脳のにおい。洗っても洗っても落ちず染みついているのだろう。
 その、喪服の人間にふかく頭を下げていた男は、顔をあげてこちらを見た。ずり落ちる眼鏡を戻す。
「――イズミくん」
「常盤の奥さんが、あんたんとこ持ってけって」
 りんごの入ったかごを渡す。秋が深まる手前のこの時期、採れるのは青りんごだった。
「ああ、いつもすまないな。もうこの品種が採れる時期なんだな」
 りんごをひとつ取り、日野辺はにおいを嗅いだ。
「さっきの人たち、」
「親戚。日野辺葬儀社……おれの叔父さんといとこ」
「町で噂んなってるけど、……いよいよだって」
 不躾は承知、でも言った。日野辺はくるりと背中を見せて「当たってる」と答えた。
「多分、あと二・三日ぐらいには」
「……大先生、いんの、」
「いや、さすがに見てらんないんだろうね。黙っていなくなったから多分どっかに打ちに行った。上がれよ。週末だから来るだろうと思ってさ、ビール買ってある」
 りんごのかごを手に、日野辺は別室に下がった。姉――日野辺いずみの病室に向かったのだろうと分かる。もうなんべんも来て勝手がわかりきっている家を勝手に進んで、居住スペースの台所へやって来る。日野辺が先ほどまでもてなしていたのか、二組の客用湯呑みがテーブルに出ていた。
 この町へ来たのは、夏のすこし前だった。梅雨で大雨で、あてなく電車から電車を乗り継いでいたら、この町で止まった。大雨で動かないとアナウンスが告げる。仕方なくバックパックを背負って降りた。ちいさな町は、山が近く、果樹園ばかりが広がる。ホテルか民宿、と思ったがそんなものはなかった。コンビニすら見当たらない。駅舎に戻ってどうすべきか難儀していたところを、日野辺に拾われた。旅の人? 泊まるところないでしょ、この辺。うち来る? そんな流れだった。
 旅ではないことを告げ、この辺で契約できるアパートと仕事はないかと日野辺の家の風呂でひと息ついてから訊ねた。日野辺は驚いた顔をしていたが、ここは案外いろんな事情の人が多いんだよ、とおおらかで、しばらく家に置いてくれた。後に常盤果樹園を住み込みの仕事先として紹介してくれて、いまに至る。
 その中で、日野辺の家の不幸を知った。日野辺の姉、日野辺いずみが植物状態で日野辺医院の一室に寝かされていることだった。
 日野辺医院はいかにも町の診療所、というところで、基本的には内科だ。植物状態の姉を治療できる施設となると、外科のある隣の市立病院に運ばねばならない。日野辺は姉の延命を拒否してここで看護を続けているとのことだった。
 日野辺いずみは春先、自死を選んで日野辺医院の薬品庫から致死量の薬を服毒した。が、至らず、意識が戻らないままだという。
 自分で栄養が摂取できないのであれば、胃にチューブで栄養を送るしかない。そうやってでしか延命できないと分かっていたから、日野辺は姉の身体をいじらず、自然に亡くなるままに任せようとした。自力ならばもって三か月、と自身の知識と経験から理解していた上で。
 いま日野辺いずみはかろうじてバイタルを保っている。だがそれも終わりに近いようで、ここ数週間の日野辺の疲労具合は見ているこちらが辛くなるほどだった。
 日野辺の疲弊を見ていたくないから、いっそ日野辺いずみの首を絞めておれが殺してやろうか。
 たまに、そんな考えが浮かぶ。そもそもそんなことで疲れているなら医者などやめちまえ、と思う。それでも日野辺は姉の看護を続ける。日野辺いずみが自死を選んだ背景には、産んだ子どもをたった一か月で亡くしてしまった、という追い討ちに追い討ちをかけるようなどうしようもない話が待ち受けていた。
 ――乳が張る、って言って泣くんだ。絞らないと痛いって言って。
 いつか飲んだ夜、日野辺はそう言った。
 ――子どもは死んだのに、自分は子どものためにお乳が出るって。胸がさ、本当に濡れてるんだよね。あれを見ちゃうとさ、死ね、とも、生きろ、とも、おれは言ってやれなかった。
 そうして缶ビールの中身をちゃぷちゃぷ振って、ここにイズミくんが来たのは、と続けた。
 ――姉貴とおんなじ発音のきみを寄越したのは、おれを試してるとしか思えないんだよな。ばかげてるだろう。医者として、おれはだめだな。すごく、だめだな。
 日野辺は泣かなかった。あの日も、今日も、日野辺と酒を飲む。週末になればこの家でふたりで飲む。
 冷蔵庫を漁ると栗の甘露煮があった。医院を訪ねた誰かが手作りを寄越したのだろう。ツキッと心臓が痛んだ。それを見ないふりで、隣にあったバターを取り出して野菜室の野菜を適当に炒めて酒のアテを作る。
 もう甘いものなんかほとんど口にしていない。
「ああー、腹減った」と、ようやく白衣を脱ぎながら日野辺がやって来た。
「なに作ってくれてんの?」
「野菜炒め。テキトー。しいたけとサバ缶ぶち込んだ」
「あ、ならちょっと貸して」
 さっと立場を入れ替え、日野辺はフライパンを握った。指と指がそっと触れ、離れる。
「バターか。ならしょうゆかな」
 はいはいはい、とあれこれ足して、出て来たのは野菜炒めではなく、パスタだった。
「酒飲むっていうか、めしだな、これ」と言ったら、日野辺は笑った。
「食えるならちゃんと食うのがいいんだよ」
「説得力が違うね、センセイ」
「これはビールじゃなくてワインだったかな。大島さんからもらったワインがどっかにあったと思うんだけどなあ」近所のぶどう農家兼ワイナリーの話をする。
「いいよ、大島さんとこのワインって高いんだろ。大事に飲んどけよ」
「イズミくんと飲む時間も大事なんだよ、おれにはね」
「そういうのいいから。ビールくれ」
「ん、」
 かん、と缶同士を打ち鳴らして、どうしようもない同士で夜は更ける。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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