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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 その青年は、ショルダーを下げて、船着場で海の方向をぼんやり見ていた。誰なのか、はじめははっきりとせず、ただ目を奪われるような若い人がこんなところにいるな、と眺めていた。車を停め、改めて船着場へ近づくと、青年は振り向いた。振り向いた顔に備わった目の透き通る力強さで、一瞬にして射抜かれ、五年の歳月を引き戻される。
「――先生、」
「藤見、おまえ、……でっかくなったなあ」
「うん、あれから身長が二十五センチ伸びた。先生、越したね」
 目線は高さが微妙に合わなかった。自分はそんなに低身長なわけではないけど、藤見の成長は私をとうに超えていた。
「声もすっかり変わったな。誰かわかんなかった。車こっち。よくこんなとこまで来たよ。メールもらってびびった」
 離島の船着場で待ちぼうけしていたのは、五年ぶりに会った藤見だった。おもかげはあるけれど、すっかり大人の身体つきでいる。あのころ以上にみなぎる若さには、たくわえた筋骨の逞しさや、伸びた手足の太さに、生物としての確かな人間味を感じる。
 少年、から、青年、へと変化した、大人の男。
 船着場近くの駐車場に停めていた車に乗り込んで、「遠かったろ」と車を発進させる。
「そうでもないよ。おれ、いま、こっちの大学通ってんだ」
「え? 東京でも京都でも筑波でもなくてか?」
「ちょうどいい研究室がこっちの大学にあって、進路を選べた。先生、この車どこに向かうの?」
「ああ、おれがいま住んでる教員住宅。っても土地があるからさ、向こうにいた時よりははるかに広い部屋に格安で入ってる」
「実家は?」
「親父は病気持ち直してな、まだ書道教室を頑張ってる。週末だけ帰って手伝ってるよ。でもこの週末は休暇だ。スーパーで飯の材料買ってこう。料理振る舞ってやるよ」
 島内の道は狭い。だから軽自動車を採用しているぐらいだ。坂を上がったり下ったりして、途中で買い出しをして、藤見を部屋に招いた。
 ファミリー向けの教員住宅で、部屋数のある一軒家タイプだった。駐車スペースもある。ささやかながらの裏庭には洗濯物を干しながら、ちいさな畑がある。この冬は白菜と大根とほうれん草を収穫できた。すだちの樹が元から植えてあるので、その実も収穫できた。
「ここがキッチンダイニング。そっちが風呂場とトイレ。縁側の向こうが物干し場と畑。ひとりだからリビングで寝起きしてる。あともう二部屋あって、ひとつで書を書いたり授業準備したり、もうひとつは書庫になってる。屋根裏もあるよ」
「すげえ、いい暮らしだね。こっちの大学来て物価の安いのびっくりしたけど、ここはもっと贅沢な感じする」
「物価は高いよ。離島だから。大きな買い出しは島外に出ないといけないし」
「見てもいい?」
「いいよ」
 部屋の隅に鞄と上着を落として、藤見はそこらを歩きまわる。食事の支度をしながら、単純に大きな質量が部屋の中を動いている感覚が、慣れなかった。藤見に会うまでは当然ながら少年期の藤見のことしか思い描けていなかったから、会って本当に驚いた。まさかこんな精悍に変わっているとは。五年という歳月の遠さを実感する。
 あちこち見てまわっていた藤見は、軒下に吊るしてあった干し柿を齧りながら戻って来た。
「柿、まだ早くなかったか」
「うん、こんなもんじゃね? 庭に猫がいた。三毛とぶち」
「ああ、よく来る。たまに餌やっちゃうけど、多分あれはどっかの飼い猫だ」
「飯、なに?」
「刺身と鍋。つみれにしようと思って」
「手伝う? おれ、魚さばけるし刺身引けるよ」
「え、それはすごい進歩」
 冷蔵庫を指すと、そこを探ってまるごとそのままのいかとアジとイワシを取り出した。先ほどスーパーで買ったのだったり、近所からもらったのだったり。
「じゃあいかとアジ、刺身に引いて。イワシはこっちにくれ」
「うん。包丁どこ?」
「こっち。魚のさばき方なんてどこで覚えたんだ」
 包丁とまな板を渡しながら訊くと、「寮」と返事があった。
「いま寮生活してる。料理の上手い先輩がいて、教えてもらったんだ。昔はあれだけ苦手だと思ってたんだけど、手の動かし方が分かったら面白くなった。こういう作業ってアタマにもいいんだね。手を動かしながら数字のこと考えてる時間は楽しいし、すっきりする」
 ずいぶん変わったな、と思った。ただただ黙って熟考していくだけのタイプだと思っていた。少なくとも、中学時代はそうだったと思う。
 キッチンで手を動かす私に背を向けるかたちで、ダイニングテーブルで作業しはじめる。
「ラジオでもつけるか?」
「んー、いい。先生の声聴いてたい」
「声って。落語じゃあるまいし」
「先生、いまも中学の先生?」
「そー。去年まで本島で教員やってて、異動が叶って今年からこっち来た」
「え、じゃあそっちの方が大学に近かった? おれいまH大だけど」
「距離的には近かったかもしれないけど、時間はかかる場所にいたと思うよ。山の中だったから。おまえは大学で相変わらず数字いじって遊んでるのか」
「言い方」
「高校で国際数学オリンピックの日本代表に選出された話は聞いたよ。だからもっとそっちに強い大学に進学したかと思ったけど」
「数学なんかどこでもできるよ。あ、でも、卒業したら院には行こうと思ってる。東京か京都か」
「夢ひろがるなあ」
「国を出ちゃえばタトゥーのことなんかまったくなんにも言われなくなるから、海外の方がいいかなって、最近は考える」
「……そうか」
「寮だとさ、風呂とトイレが共用だから。タトゥーのことはみんなに突っ込まれたよ。大人しそうな顔して意外にやんちゃだったって」
 軽く笑い、藤見は「お皿ある?」と振り向いた。
「後ろの食器棚からテキトーに」
「食器、たくさんあるね。買ったの?」
「まさか。前の持ち主の残しものだよ」
「食器とか調理器具とかって、ひとりで揃えようと思うと大変だね。こっちにひとりで来るまで、そんなの分からなかった」
「そういうものだよ」
 こちらも食卓が整い、ダイニングテーブルを片付けて並べる。藤見の整えた刺身は綺麗に透きとおっていた。喉が渇くのは、食欲があるからじゃない。「飲めるのか?」と訊いたが、断られたときのことも、頷かれたときのことも、なにもかもの答えを考えるのはやめていた。
「飲めるよ。おれ」
「じゃあせっかくの鍋と刺身なら焼酎出すか。グラスそっちから出してくれ」
「ん、」
 すだちと水で割って氷を浮かべ、杯を分ける。くつくつと煮える鍋の向こうには暮れかかる冬の空があった。藤見とはよく食べ飲んで話していたはずだが、気が付いたら天井の蛍光灯を自分は見あげていて、場所もダイニングではなく寝室だった。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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