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『卒業証書授与。卒業生、起立』
 ひとりひとりが名を呼ばれ、壇上にあがって校長から卒業証書を受け取る。儀式の中で、藤見の姿を遠くから見ていた。この短期間でやや背が伸びたように思う。肩幅に広がりを感じた。
 まるい後頭部に光が当たり、つむじがくぼんで暗い。いまはあったかそうだな、と以前触れた髪の冷たさややわらかさを思い出した。
 藤見も名を呼ばれ、壇上に上がる。たどたどしく証書を受け取り、流れ作業で壇上から下がっていく。在校生からの送辞があり、卒業生からの答辞がある。お別れの歌をうたい、退場していく。
『続いて三学期の終業式及び離任式を行います』
「陣内先生」
 背後からそっと呼ばれた。三学年の学年主任がそっと戻って来ていた。
「ああそうか、離任式ですもんね。あっち行ったりこっち行ったり大変ですね」
「あっちこっちバタバタねえ、体力がもちませんわ」
「先生はどちらでしたっけ」
「南の方にある学校で教頭です」
「それはおめでとうございます」
「陣内先生も、――ほら、並ばないと」
 促されて体育館の隅に整列する。

 職員室の机を片付けていると、扉の方から「陣内先生いらっしゃいますか」という声がした。低めにやや掠れた声に、聞き覚えがない。振り返ると私服姿の藤見が立っていた。
「――なにしに来たんだ、不良卒業生」
「……おれ、まだこの学校の三年生だし。新聞、見て、」
「ああ、」
 藤見は鞄から今朝の新聞を取り出した。そこにはこの地域の公立学校を異動する教員の一覧が載っている。昨日離任式だったので、今日の朝刊で載る情報だった。
「先生、転勤じゃなくて、退職って書いてあるから、……」
「また指導室行くか。あっちも片付けにゃならん。手伝え」
 ぽん、と頭をはたいて職員室を出る。藤見も後ろをついてきた。
 生徒指導室は、あまり私物化してはいけないと分かっていてつい持ち込んだ本が増えていた。それを段ボールにまとめる途中になっている。普段より片付かない部屋の中で、「卒業おめでとう」と言って職員に配られた紅白まんじゅうの赤い方を渡した。
 自分は白い方のフィルムを剥がし、口にする。
「なんで退職なの、」と藤見はせっかくのまんじゅうを口にしない。
「先生、辞めちゃうの?」
「ああ」
「なんで、……それって、おれのせい?」
「それこそなんで?」
「おれが……タトゥーのことで先生に迷惑かけたから、」
「ばか」
 くしゃ、と手の中でフィルムを潰し、ポケットに突っ込んだ。藤見は不安そうな顔を隠さない。
「別にクビになったわけじゃない。大体、たかがおまえ程度のことでクビになるわけないだろ。自分で辞めるんだよ」
「なんで、……」
「教員を辞めるわけじゃないぞ。公立校の教員てのは地方公務員だから、都道府県の預かりなわけだ。おれが退職するのは、この地方の公務員。――まんじゅう食えよ」
 促すと、微妙な顔をしたまま藤見もフィルムを剥いた。
「おれの実家の話したっけ」
「書道家のお父さんの話なら」
「そうそう。親父がね、去年の夏から病気でね。まあ歳ってやつなんだろうな。おれの実家はHの離島にあるんだけど、遠いからね。姉貴一家もいるけど、書道教室までは面倒見れないってさ。だからこれで帰るわ、ってなったの。今年のHの教員採用試験受け直したんだよ。あっちの方が教員の空きはあるからスムーズだった。それで四月からはHで教員やるわけ。教員やりながら、落ち着いたら家を継ぐ感じかな」
「H、って、遠いよ、先生」
「遠いよ。だから帰るんじゃん」
「離れちゃうの?」
 緋色の目が揺れている。いとこへの思慮でタトゥーを入れて来たときよりも揺れているように思ったから、それぐらいはちゃんと慕われたんだな、と分かって嬉しかった。嬉しくなったことが、悲しかった。
「ばか。卒業する春ってのはそういうもんだ」
「……卒業したらもっと自由に先生に会えると思ってた、」
「――……おまえはさ、せっかく秀でた頭があるんだから、それちゃんと育てて、うまく使え」
「……」
「もうタトゥーなんか入れて、身体を傷つけるようなことだけはしないで。健康に、安全に、過ごせ。……こんなところかな、おれからの送辞は」
「いやだ」
「藤見、」
「そんな、最後のお別れみたいな言葉は聞きたくない。……先生、おれは、先生が」
 その、決定的なことを告げようとする真剣で遊びのない唇を、手で塞いだ。目が見ひらかれ、その目はそのまま私を睨む。
「それは、心にしまっとけ」
「……」
「前にも言ったけど、超えちゃいけない一線なんだよ」
 だが藤見は、塞いだてのひらを上から握り、口元から外した。頬が上気して、唇がいつも以上に赤い。
「いつならいいの、」
「――成人したら、かな」
「じゃああと三年? 三年待ったら、先生に会いに行っていい?」
「いいけど、前に言った通りだよ。その年齢になったおまえに、おれが興味持てなくなってたらどうすんの。それに三年経ったら、おれだって歳取るよ。もう三十路だな」
「だっていまじゃだめだって言うじゃん、先生。なんにも教えてくれないし、見せてくれない」
「頼むからあんまりおれを試してくれるなよ。そんなにいい人間でもないんだ」
 触れている手が熱いのは、お互い様だった。自分の中ではちゃんとはっきりしている。三年経って藤見に会えたら、自分は藤見の成長を素直に喜べると思う。けれど成人の三年と、青春の三年はイコールにはならない、この三年で、藤見はどのようにも変われる。自身も、環境も。
 背中のタトゥーだって消してしまえるかもしれない。
「……今日、本を返そうと思ってたけど、まだおれが持ってていい?」
 手を取っても身体は近付けられない、微妙な距離で藤見は訊いた。
「これ持って、三年頑張る。それで先生にこれ返しに行く」
「やだよ」
「先生、」わがまま言うなよ、と咎めるくちぶりだった。
「三年じゃまだ飲酒年齢じゃないじゃん。どうせなら二十歳で来いよ。ちゃんと全部大人で許されるようになってから来い」
「先生、」
「でも五年もしたらさすがに待ってられなくて、おれは結婚するかもしれないし」
「先生、」
「おっさんになって、太ったり、禿げたり、してんのかもしんないし、」
「先生、」
「おまえにはかわいい彼女が、彼氏でもいいけど、……いるかもしんないし、……おれじゃどうにも決めらんねえんだよ。未来の約束なんて、……分かんねえよ。出来ねえ」
「先生、怖いの、」
「……」
「先生の方が震えてる」
 言うなり強く手を握られた。それで自分が鳥肌を立てていることに気付いた。
「おれぐらいの年齢で、先生、なにされたって言うんだよ……」
 その質問に、答える余裕は持ち合わせていなかった。震えたまま、ひと言、「怖いよ」と答える。
「おまえは、怖い。おまえを考えてしまうおれが、怖い……だから離れるんだよ。距離と時間を置けば」
「先生、陣内先生。おれ、何年後か分かんないけど、ぜってーHに行く」
 震える手を、強くつよく掴んで、掴んで、藤見はそっと離した。
「そのときのおれが、十五歳だった先生を助けてあげられるように、なる。おれは、そういう人間になる。先生がおれを散々助けてくれたみたいに、なる」
 そうして藤見は、いままで見たことのない顔で笑みを作って一歩後ずさった。
「いま決めた。先生みたいな大人になったら、会いに行く」
「……藤見、おれはそんな大人じゃない、」
「またね、先生」
 深く頭を下げ、「大変お世話になりました」と言い、子どもの軽やかさで藤見は卒業して行った。
「……キレーサッパリで、おまえには未練はねえのかよ、あほたれが」
 そういうひとり言しか出てはこず、息をついて窓を開ける。三月の外気を吸い込んでむせて、涙が出た。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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