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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「――あれ?」
「あ、起きたね先生」
 キッチンダイニングと寝室とを分けるすりガラスをあけて、手を拭いながら藤見が顔を覗かせる。
「先生、酔っぱらって寝ちゃうからここに動かしちゃったよ」
「……なん、おまえ平気なわけ、」
「言ったじゃん。飲めるよって」
「ざるかよ……」
 どんだけでかくなったんだよ、とひとりごとのように呟くと、「先生みたいな大人になるって決めたから」と答えがあった。
「……おれ、そんなに身長ないし酒もそうでもない」
「そうなんだよな。今日はじめて知った。大丈夫? 水、飲む?」
「……ちょっと吐いてくる、」
 よたよたに歩いてトイレで胃の中を空にする。口をゆすいで戻ると、ダイニングの方は綺麗に片付いていた。
 藤見は、布団の傍にクッションを持って来て本を眺めていた。いくらか頭はすっきりしていても、身体はふわふわしている。布団に崩れてうつぶせになると、「大丈夫?」と再度訊かれる。
「こっちの人って酒の強いイメージだけど、先生って全然だったんだね」
「酒は好きだよ。ちょっとの量で眠くなるだけで」
「眠い?」
「いや、身体が思うように動かないだけ……」
 くたくたの背中に、こつっと固い背を当てられた。
「本、返しに来た」
「んー……ありがとう」
「おれちゃんとこれ守ったんだよ」
「なん?」
 わざわざ枕元にまわり、貸した本の一ページをめくって見せた。

『失恋の〈われ〉をしばらく刑に処す アイスクリーム断ちという刑』

「寮だとおれ、甘いもの嫌いってことになってる。アイスクリームだけ食べないって言ってるのに」
「あほか……」
「ひとりだけ、『失恋したの』って言い当てた人がいた。その子もこの人の歌が好きだって言ってた」
「……その子のこと、好きになったりしなかったのか」
「ちょっとだけいいなって思った」
「……そう」
「これ、めちゃくちゃ読み込んでぼろぼろになっちゃった。だから別の買ったんだ。先生ごめんね。そっち返すよ」
「別のって、おれが買ったときすでに古本だったんだぞ、この本」
「でもそんなに高くなかったし、入手も難しくなかった」
 返すね、と言い、本棚に本を納める。確認するのも億劫で、ずっと枕に顔を埋めていた。
「――中島先生。学年主任だった、」
「ああ、」
「に、連絡してみて先生にようやく繋がって、ほっとした。卒業するとき、無理にでも先生のアドレス訊いておけばよかったなって後悔してた」
「そんなん、教えるわけないだろ、」
「なんで?」
「教えちまったら、……連絡なんて、すぐに取りたくなるよ、」
「……」
「連絡なんか取ったら、すぐに会いたくなるよ」
 正直、この五年を、私は疑っていた。藤見が律義に約束を守る青年に育つと、信じていなかった。そんなのを信じるほど若者を信用していないはずだ、と。自分がそうじゃなかったんだから、そう言い聞かせていた。
 それでもかつての同僚づてに届いた藤見からのメールは、もらったときに、待っていた、ととんでもない喜びに貫かれた。焦燥で興奮していた。本当は若い人のことを信じたいのだ、と自分を理解していやになった。そういう大人が子どもに見る夢を、若者に押し付けていいわけがない、と。
 また、背になにかが当てられる。今度は本の背ではなく、意思を持った藤見のてのひらだと理解できた。
「先生、おれちゃんと大きくなったろ、」
「――……だいぶ予想外に」
「予想外のおれは嫌だと思う? ちいさいまんまの方がよかったって思う?」
「……」
「先生、あんまり変わってなくてそっちの方がおれはびっくりした。あんだけ自分のことどうのこうの言ってたくせにな。どうなってるんだろうっていろんな想像してた。あ、でもおれよりちいさくなってたのは想像してなかった」
「うるせぇ……」
「先生、おれのこと、嫌だと思う? 思わないなら、起きてよ。おれ、先生の話訊くためにここにいんだよ」
「……」
「そういう大人になるって決めて五年暮らしたおれのことを、先生は、ちゃんと見てよ」
 ぐ、と背中に圧がかかる。腰のあたりでわだかまっている手は、セーターを握りこんでいた。手の熱さは、吐息の熱さだと思う。軽く呻いて声の出を確認してから、「そのまま上」と言った。
「上?」
「手。裾まくって、背中見ていいよ」
「……いいの、」
「ろくなもんでもないから、後悔するかもな」
 藤見はシャツの裾をズボンから引っ張り出し、セーターごと背中を明らかにした。
 そこには、月面が再現されている。そう言われた。腰から肩甲骨にかけての広範囲に広がる、クレーターまである痣なのだという。少年のころはうっすらと赤いのだと言われていたが、以降で誰かにちゃんと確認して訊ねたこともないので、現状は知らない。
 シャツをめくってしばらく黙っていた藤見に、「人様にお見せするようなものじゃないだろ」と言ってやる。
「おまえが入れたタトゥーの方がよっぽど綺麗だろうな」
「……ここまでちゃんと『月』なんだと思わなかった。痛く、ない?」
「痛くはない。……そんなひどい色してんの、そこ」
「なんか、月が赤いときってあるじゃん。赤銅色、っていうの。ああいう感じ」
「ふうん。なら、そんなに昔と変わってないんだろうな。その、腰の近くの、ちょっと色が濃い、らしい、ところ」
「触っていい?」
 答えを待たずに月面地図を辿られた。
「――ここ?」
「……多分そこ。ちょっとざらざらのひどいところな」
「本当に月にあるクレーターみたい」
「それ、ティコ、っていうらしいよ」
「ティコ?」
「……そう言われた」
 ――ちゃんとティコまであるじゃないか。ミサト。
「昔の天文学者の名前のついたクレーター。実際に月にあって、おれにもあるってさ」
「……誰に言われたの、」
「……」
「こんなところ、ちゃんと見ようとしなきゃ見えないだろ……」
 なぞっているのか撫でているのか。判別しない感触は酒に熱い身体をさらに煮立たせる。たまらなくなって身を捩り、天井を見あげた。

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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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