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 深夜営業のスーパーで買った弁当を下げて、学校へ戻る。学年主任には藤見を引き取った報告だけ入れておく。職員室ではなくいつもの生徒指導室へ向かうと、入るなり藤見は立ち止まった。
「先生、なに、これ」
「これやるために教室借りてたんだよ。待ってろ、いま片付ける」
 教室に広がっていたのは、大きな書道用紙だった。太い筆も、墨も、バケツにある。書道用のマットを机をどかして床いちめんに敷いてあった。何枚かの紙は、すでに墨が載っている。
「院展の締め切りが近いもんでね。おれのアパートじゃ狭くて大きな作品制作はできないんだ。教員はじめてからは学校の教室借りて書いてる」
「……これ、先生から借りた本に載ってた、」
「ああ、……そう。今年はね、おまえと話をして思い出して、これを出そうと思ったから」
 藤見は書を眺めている。そこには藤見に貸した歌集に載っている歌を書いていた。

『こうこうと空にうかべるしろき雲何月何日とは識らねども』
『かぎりなく憂愁にわがしずむとき水辺にあかき椅子はおかれる』
『いま にわの糸杉の樹にかぜがきて枝が動いているということ』

「この人の歌は激しい色彩や湿度があるから、正直難しい。まだどれにするとも決まってないんだけどね」
 書きかけを隅にまとめ、机をがたがたと引っ張り出した。弁当と茶を置き、椅子に座るように促す。
 いつもの椅子、いつもの机にかけ、ようやく力を抜いて、藤見はふ、と息をついた。
「食いな。食って身体あっためろ。まだ顔白いから」
「先生、訊かないの、」
「食ってから訊くよ」
 自分は弁当を広げて箸をつける。そのうち藤見もサンドイッチを齧りはじめたが、しばらくして一枚の紙片を取り出した。
 新聞の切れ端である。事件記事で、見出しは「ライブハウス捜索 青少年条例違反の疑いで」とあった。
「――さっき婦警さんが言ってたやつ、」
「いとこ、タク兄のバイト先で……タク兄も取り調べ受けてたんです。このライブハウスを根城にして、未成年相手に色々と商売やってるみたいで、とか、背景には指定暴力団が絡んでる、とかで。タク兄づてに……おれにタトゥーを入れた人も、取り調べを」
「藤見の件で?」さすがに箸を止める。
「いえ、おれのことは表にはなってないみたいなんですけど、おれの他にも、未成年で施術をしてもらった人が多いとかで。……さっきの婦警さんにも、訊かれました。ライブハウスにかかわりがあるのか、と。未成年相手に顧客名簿なんて作ってないですから、おれたちが『入れてもらった』と言わない限りはばれたりはしないでしょうけど、出入りがあったことぐらいは、防犯カメラ調べれば一発だから、怖くなって、」
「それはそうだな。まあ、特定しようとする気があれば、だろうと思うけど。誰かひとりが『入れてもらった』ってゲロって、客同士で繋がってれば芋づる式にもなる。さっきのいとこの兄さんとおまえにタトゥーを施術した人は、どういう繋がり? ただの知り合い程度か?」
「……タク兄の、恋人、です」
「――」
「だからタク兄は、もしその人が逮捕されるようなことになれば重要参考人、になっちゃうらしいです。いまはまだ調べが進んでなくて、本人たちも黙っているけど、……」
 藤見は黙った。サンドイッチは机の上に齧りかけで置かれてしまう。新聞記事を見て、私は憂慮すべき事柄を訊いた。
「タク兄って人にはさ、当然なんだろうけど、タトゥーが入っているんだろう」
「……」
「おまえとタク兄は、ただのいとこか? なにかされたりしてないか? ……未成年に刺青勧めるようないとこってのは、正直、悪影響を与える存在としか思えない」
「……タク兄は、……」
 藤見は黙る。せめて温かなものを、と思う。部屋の暖房を最大にする。
「前におまえ、おれに、誰に捨てられたのかと訊いたな」
 こんなことは喋るつもりもなかった。けれど、もうじきおしまいだから、藤見には話す。許せるぎりぎりのところまで。
「おれは、捨てられたよ、確かにね。十五歳だった。おまえに同じ思いをしてほしくないと思っている。……捨てられたか、捨てられようとしているのは、おまえもそうなんじゃないのか、藤見」
「……先生は誰に捨てられたの?」
「いまは言わない。吐きたいぐらいむかつく話だから、いまのおまえにはぜってぇ言わねえ。おまえが大きくなって、多感な時期を抜けたら、話すかもしれん」
「……」
「おれはさ、おまえが入れたタトゥーってのはもしかしておれを意識して入れたのかなんて勘違いした節もあるんだけど、……おまえが尊敬して入れたタトゥーってのは、タク兄っていう人を真似た……んじゃないのか?」
 そこまで指摘されると観念したのか、藤見は机に顔を突っ伏した。
「タク兄って大学入るまではすごく真面目で、頭もめちゃくちゃよくて、人なつこくて。にいちゃん、って感じで、勉強も教えてもらったり、……格好よかった。憧れの人です」
「うん」
「だけど大学入って変わっちゃった。それでも好きで、尊敬してたけど、……タク兄の背中にはね、月齢のタトゥーが入っているんです。恋人に入れてもらった、って。円形に、月の満ち欠けが背中にあって。見せてもらったとき、胃がねじ切れるかと思った。タク兄はこれっぽっちもおれのこと見てなくて、恋人に夢中。悔しかったし、自分の非力さに腹が立った。……タトゥーを入れたのは、タク兄とお揃いになりたかったのもあるけど、恋人って人がどういう人なのかを知りたかった、ってのもあった。左肩にまんまるの満月入れてもらって、おれはやっぱり、淋しかった……」
「ばかだな」
「おれ、先生の背中が見たい」
 今度は顔をあげて、隠さない目で藤見はこちらを真正面から見た。
「先生のこと、ちょっとタク兄に似てるなって。最初はそう思って見てただけなんです。でも全然似てなかった。タク兄はおれにひどいことをするけど、先生は正そうとしてくれたし、道を示してくれる。……先生のこと、知りたい」
「見せねえよ」
 目を見てくるから、自分も目を見る。相対するとどうしても負けそうになるのを、必死でこらえる。
「失恋の痛みを、ちょっとやさしくしてくれる大人相手に紛らわそうとしているだけだ、おまえのは。ちゃんとおれに興味があるなら、時期が来てタイミングが合えば、見せてやるよ」
「時期ってなに」
「おまえはまだおれの生徒だし、未成年だから。どんなにおまえがおれに興味があって、おれもおまえに興味があったとしても、それは超えちゃいけない一線なんだ、いまはね」
「……いまじゃなければ?」
「それにどうすんの、おまえ。おれがさ、おまえをかわいがってるのは、この時期のおまえのことに興味ある性癖ってだけだったら。少年であるおまえに価値があって、大人になったおまえに価値はない、っていう性癖だったら、どうすんの」
「そしたら一生先生の話は訊けないし、背中も見られない?」
「そのころにはおまえにもいい人がいるかもしれないし」
「……おれ、もし、とか、かも、とか、そういう仮定の話するの嫌です」
「数学の世界じゃ常套手段だろ」
「この話に裏付けはない」
 言い切って、藤見はようやくお茶に口を付けた。
「――大人になったおまえに価値はない」
 また目を見てくる。緋色の目だと思う。赤く燃え盛る極彩色の瞳。
「そう言って捨てられたのは、先生?」
「……ぜってー言わねえ」
 弁当を食べ終えてからは、現状の把握とこれからの方向性の話をした。藤見はタトゥーの件を明らかにしてもいい、と言う。隠していても分かることだから、と。それを踏まえて職員会議がひらかれ、結果的に藤見のタトゥーの件は事件として社会的に扱われなかったことから公にはされなかったが、藤見は入学予定の学校から合格の取り消し処分となり、別の私立高校を一般受験して合格通知を受け取った。
 ライブハウスは営業停止となり、藤見のいとこも、タトゥーを入れた恋人も、行方が知れなくなった。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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