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それから数日、テストを返却し終えたり勉強したり教えたりの日々の中で、職員室に藤見がやって来た。陣内先生に用事があって来ました、と職員室前で堂々と宣言して入室してくる。
「なん? どしたの」
「タトゥーの件って、あれからどうなったのかなって思ったので」
「どうなったもなにも。上原先生からお聞きしてないの?」
「特になにも言われていません」
「じゃあそういうことなんだよ。今回のことで特になにか言う必要はない、というのが学校側の判断」
「でも、おれ、本当は」
「なんだか長くなりそうだな。場所変えるか」
ちょっと外します、と隣の席の同僚に言い置いて、校舎の隅にある生徒指導室に入った。
生徒指導室にある椅子にそれぞれ腰かけて、「本当はシールなんかじゃない、んだろ」と単刀直入に切り出した。
「……」
「未成年相手にどこで入れてもらったかはさすがに怖くて訊けねーな。ま、知らない体で訊いとくか。頼むから問題は起こしてほしくないんだけど、どこで、誰に入れてもらった?」
「……いとこが絡んでるのは本当なんです。いま大学生なんですけど。いとこのバイト先がライブハウス? クラブ? なんか、そういうところで。そこに来るお客さん相手に商売している彫り師の人がいて。若い兄さんでしたけど、……その人のスタジオで、入れてもらいました」
「胡散くせーな。いまも連絡取ったりしてる?」
「いえ、単純に店と客、って感じなんで。入れてもらってからは、全然」
「じゃあもう絶対に連絡とるなよ。いとこってのも怪しいもんだけど親戚だと難しいな。……てことはそれ、簡単には消えねえわけな」
それ、と肩の辺りを指さすと、藤見はうつむいたが、ややあって「後悔はしてないので」とはっきり答えた。また、あの目。
「なんでタトゥーなんか入れたよ? 好きなアーティストでもいたか?」
「……」
「理由は、とりあえず置くか。あのさ、海外じゃ事情は違うんだけど、ここは日本で、おまえはまだ未成年だからさ。これはすごく問題なんだよな。いますぐ思い当たる問題といえば、進路だな。まあ、背中だとそんなに滅多に目にする場所じゃないけど、機会はあるよ。人の目に触れる機会。水泳の授業なんかあれば一発だ。毎回絆創膏貼ってるわけにもいかないだろうし。この先一生隠し通せるものじゃないだろうな」
「……別に、進路はおれが希望したわけじゃ、ないし」
「ん? じゃあなんだ、それが理由か? 反抗、というやつ」
「それも違う、……」
藤見はそれきり黙った。私は息をつく。
「これからおれは生徒指導らしく、説教、というものをするぞ」
なんて言ったらいいんだか、ただでさえ最近はキャパシティからいろんなものが漏れているのに、と髪を掻いて椅子に深く腰かけた。
「まだ、未成年なんだ。それがいちばんの問題だ」
「……」
「未成年というのはつまり、親や、周りの大人に、保護される立場にある、ということだ。社会的な話でいえば、おまえの年齢ではカードローンは組めないし、飲酒も、喫煙も、車の運転もだめだ。なぜだめにされているかは、発達段階である、という身体の理由であることがいちばん大きいとおれ個人では思う。いろんな考え方の人がいるからそこは見識を広めてほしいとは思うけどね。身体も、精神も、生きてる年数も、まだまだ伸びていく段階なんだ。そこには不安や不満、憤り、怒り、悲しみ、苦しさ、不安定さ、そういうマイナス要因がついてまわる。経験不足から無茶な行動に走りがちであったり、驕りや侮りがあったり、精神の不安定さから苛々して暴言を吐いてしまったり。発達途中の身体は、おまえの将来をいとも簡単に左右する。成人してからの方が人生は長いからね。いまこの時間を適正に過ごすことが大事。そのための保護者であり、未成年、という立場だ。これ、わかるか?」
「……すごくよくわかります」
「よかった。じゃあ続ける。今回おまえが自分の身体に入れたものは、賛否両論があるけれど、この国では基本的には未成年には入れられないものだ。この地域で言えば、青少年条例に違反する。おまえに施術をした人は逮捕される可能性もあるし、これからのことを考えるなら感染症やアレルギーのリスク、就職、保険、病院で適正な検査が受けられないとか、ハードルは色々とあるんだ。入れる、入れないの判断を、未成年の段階でしてはいけないよ、という意味だな。おまえのこれからの将来に、影響する。ピアスなんかもそうだけど、それは身体に傷をつけて入れるものだろう? 一度身体に入れたら簡単には元に戻せない。その判断をおまえの年齢でするのは早い。まあこれは、入れ墨に偏見のあるうちの国に限る話かもしれないけどな。……簡単には戻らないんだ。身体ってのは、心もそうだけど、傷つけていいものじゃない。せっかく健康な身体を持っていて、数学に秀でる頭もある。おれ個人の見解だけど、今回入れたもので今後に不利益が出るならすごくもったいない話だ。あとは、せっかく綺麗な身体してるんだから、とおれなんかは思っちまう。これは背中に変な痣のある男のやっかみだけどな」
そこまで話して息をつき、「どうする?」と訊ねた。
「おれからの説教は終わりだ。『それ』を今後どうするかだよな。そのタトゥーの話は、親御さんはご存知なのか?」
「いえ、知らないはずです……」
「いま十月に入るところだから、卒業まであと五か月か。水泳の授業は終わってるし、冬になる時期だし、体育や身体測定をうまくごまかせるなら隠し通して卒業はできるだろうな。ぶっちゃけて言うとなーんにも知らない体でつるっと卒業してくれるとおれは楽だなあ。それはさ、結構、結構な大問題ですよ」
「ぶっちゃけすぎじゃないですか、先生」
「秘密ってのはさ、大人になればなるほど増える。そういうもんだ。いまから持つのは精神的にも身体的にもしんどすぎる。軽い気持ちで入れたようには思えないから、きちんとした主義や主張があってカミングアウトするなら、それを尊重するよ。だから、おれはどっちの選択をしてもおまえの味方をする。隠し通すか、公にするか。どうする?」
「……」
「自分の意思で入れた。それは、間違いないか?」
「はい」こくりと頷いた。
「それを入れて、どう思う?」
「どうって、」
「ファッションで入れたなら、格好いいと思う、とかさ。信仰で入れてたら、お守りみたいで安心するとか」
「……尊敬している人の気持ちに、なってみたかったんです」
絞るように、でも、言葉を間違えないように、藤見は語りだした。
「尊敬? 憧れの人の真似して入れたか?」
「その人、には、そういう、その、……が、ある……せめて同じようなものを入れてみれば、その人を慕う気持ちに収まりがつくんだろうかと、うまく言えないですけど、先生の言う『信仰』だと思います。お守りみたいだと、勝手に思ってる……」
思い当たる節があるようなないような、そわそわする心地で訊いた。それはさ、やっぱりおれを意識してのことだろう、と、本当は正面きって訊ねたい。訊いても彼は隠さないだろう。
「先生は、背中の痣に、コンプレックスが、ある?」
「またその話か」
「さっき言ってたから。やっかみだって。……秘密は大人になればなるほど増えるっていうのは、背中のことですか?」
「言っとくけど、おれの背中には観音様も龍も蛇も入ってないからな」
急に喉が渇いてきた。藤見の臆さない目がこちらを見ている。
「自分じゃ見えないところだから、普段はあんまり気にしない。けど、生まれつきあって、親がそれをずっと気にしてたから、気にするようにはなったかな。着替えとか人前だと本当に嫌だし、銭湯やプールも行かない。医者も決まったところにしか行かない。シャツの下には絶対にインナー着るし。女性が胸を出せないような感覚なのかな。基本的には、見せたくない。……さっき言ったけど、綺麗な肌のやつは素直に羨ましいよ。おれの場合はね、触るとちょっとざらっとしてるから。毎日見える場所にあったら本当に嫌だったと思う」
「……すみません」
「なんで謝るんだか。まあ、でもそうだな。おまえみたいに滑らかな背中――」
思い出したのは、先日確認した若い肌のことだった。熱気や湿度まで思い出せるような、生々しさが胸に湧く。こんなちいさな子どもに欲情してんじゃねえよと、やっぱりため息をつきたくなる。
この少年は、自分を明らかにしようとする。明らかにされる、それが、とても嫌だ。
「――……綺麗な肌の人は、羨ましい。でもそんなことを言ったら、若い人のことはおおむね羨ましくなっちゃうし。歳を取れば痣なんかに構ってられなくなって、しみだ皺だたるみだなんだかんだ。人の数だけ業はあるよな」
「――陣内先生、」
「なん、」
「おれ、今回のことですごく悩んでいるので、先生には話を聞いてもらいたいです。そして先生と話す内容のことは、他の先生や親や友達には、知られたくないです」
あーあ、と思った。その狡猾で優秀な頭を、こんなところで使うな、と。
こんなにひりひりして目の離せない少年のことを、自分は抱える。多分、結構望んでいる。魅力的だから。とっくに当てられて参っているから。目、が。
燃えるように綺麗に激しく透き通っていて。
あと五か月。さっさと卒業しちまえよ。
「しょーがねえなあ。おれおまえの先生だもんなあ。相手してやるよ」
「その言い方」
「個人的な面談をしている、ぐらいのことは報告せにゃならん。それは制度的な話で許してくれよな。内容は守秘しよう。そういやおまえ、そろそろ受験じゃねえの? その、特待生なんとか試験。あれ? 私立一般と同じだっけ?」
「いえ、来月ですね」
「じゃあ追い込みじゃねえか。おれと話してる時間なんかあっていいわけ?」
「言い方」
藤見は笑った。いつもの固い表情が崩されて、子どもが顔を出す。
「やることないんです。出題範囲は勉強しつくしちゃったから。もっと面白いことをやりたいので、他の勉強してます」
「すげーな、余裕じゃん。さすがだね」
「褒められてる気がしないですね」
「なんの勉強してんの?」
「いま面白いのは、和算」
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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
****
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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