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〈宿舎の部屋のベッドの下からこれが出て来ました。この近辺では産出されない石だと専門家が言ったので、あなたにお返しします。大事なものであってもなくても。ケイ〉

 ラボのデスク宛に届いた荷物に、こんなメッセージの葉書が添えられていた。国際郵便が届くぐらいには治安が回復したらしい。近況は全く書かれていなかったが、表面的な話では聞いている。大変な状況であることは承知で、でも郵便を送る余裕はあるのだから、元気な証拠だ。
 書かれた文字の言語はあの土地のもので、日本語でも英語でもない辺りに、数年を共にした若い男の決意が滲んでいる気がした。日系であることを器用に受け入れて生きている男だと思っていたが、どこかで「どうでもいい」と醒めるような、投げやりな一面も見ている。ついに彼は覚悟したのだろう。自分は日本にルーツを持つが、生きて行く場所はここだという覚悟だ。
 自分はどうだろうかと夜鷹は考える。いつまで経ってもふらふらと、居場所を決めない。覚悟をしていないというよりは、覚悟を放棄する決意をした、と言うべきか。いつだってどこへでも行ける準備で生きている。夜鷹は夜鷹の思うように飛びたいから。
 まあ、そういう腹づもりだったな、と封書に収められていたものを取り出しながら思う。人生はどう転がるか分からないもので、蛇行運転も予定調和のつもりだったが、だいぶ大きくカーブして、気付けば一回転。
 新聞紙に包まれた白い石塊を見て、とっさに握り潰してしまった。やわらかい石は夜鷹の手の中であっけなく崩れる。だがガラス繊維がざくざくと肌を刺し、疼きに似て夜鷹を刺激する。
『やだヨダカ、一体なんのサンプルを砕いたって言うの?』
 デスクの傍を通りかかった同僚が、散らかった床を見て大仰にため息をついた。
『日本にある山の山頂の石だ。花崗岩』
『血が滲んでるじゃない。見てもらった方がいいんじゃない?』
『舐めりゃ治るよ。舐めてくれるか? ミランダ』
『いやよ。指輪の相手に恨まれたくないわ』
 ちゃんと片付けろ、と言わんばかりに箒を渡された。仕方なく受け取る。
『それより今夜の便でしょう? お土産よろしくね。大好きなの、アンコ』
『なんの話だったかな』
『あのヨダカがこんなに短期間で日本に帰る日が来るなんてね』
 同僚は肩を竦める。全くだ、と夜鷹も頷く。
『巣なんかかけるつもりはなかったんだけどな』
『潮時、って言うのよそれ。みんなそうやって歳取ってくのよ』
『みんなそうやって、ね』
 箒で寄せた石塊をダストボックスへ払い落とす。
『一番嫌いな言葉だね』
 右手の中にはまだちくちくと痛みが残り、そこを舐めながらデスクを後にする。


 夏の盛り、地獄のような湿度を払いたくて真っ先にシャワーを浴びた。高温多湿の国への派遣経験もあるけれど、どちらかと言えば夜鷹のこれまでは標高の高い山岳地帯が多かったので久しぶりの東京の夏がものすごく堪える。シャワーの前にクーラーを入れておいたので、さっぱりした身体で涼しい居間に戻ることが出来た。冷蔵庫を開ける。ビールがない。どんな生活してるんだよあいつは、と考えてしまう。飲めない身体でないくせに、麦茶で過ごしてるとか言うのか。
 諦めてミネラルウォーターを飲み、ソファではなく床に寝転んだ。フローリングの床が冷えていて心地よい。まめに掃除をしている辺りがさすがだと思う。部屋は綺麗に片付けられている。
 帰国の途について約二日。右のてのひらは相変わらずちくちくと疼いた。ひょっとするとガラスが入り込んでいるかも知れなかった。あれ身体の中に入るとどうなるんだっけ。そのまま傷が塞がると体内に残るよな。
 戦中に落とされた原爆の中で生き残り、背中に熱風を浴びた少年の話を思い出した。ただれた背中は治療されたが、ガラスが埋まって治らなかった、そういうドキュメンタリーを見たことがあった。少年は生き残ったが傷が完治することはなく、後に妻となった女性は初夜のしとねで夫となった青年の背中をはじめて目の当たりにする。彼女は傷に薬を塗る役割になった。それでも夫は手術を重ねる。塞がらない傷のまま、確か彼は亡くなったはずだ。
 なんでこんなこと思い出したかな、と目を開けて、カレンダーを見て納得した。原爆の投下された日。もちろん夜鷹に戦争の記憶はない。その時代には生きなかった。けれどサマースクールの中にはそういう講座もあったので覚えている。オキナワの地獄、ヒロシマ、続くナガサキの地獄。トウキョウ他多くの都市での空襲。疎開、学徒動員、カミカゼ、B29、マツシロ大本営。みんな習ったから覚えている。だが習ったこと以上に追究はしていないから、語る言葉は持たない。
 そして再び慧のことを思い出した。戦争にはならなかったが、抗争は発生した。慧のルーツを辿ればいくらでもこの国へ逃げることは可能であるのに、彼はその選択をせず、残ることを決めた。
 ただ見てみぬふりをしていた目に、これからの光景はどう映るだろうか。痛いか。痛いだろうなと想像する。だが夜鷹は思い入れない。慰めない。援助も、返信も、なにもしない。
 飢えたまま飛び続けていた夜鷹に、ひと時だったが大事な若い温もりをもたらした。あの健康で伸びやかな肉体。
 それを思い出すぐらいはいいと判断して、目を閉じる。


 物音で目が覚める。いつの間にかカーテンが引かれ部屋には明かりが灯っていた。夜鷹を気遣って照度は落とされている。そして夜鷹自身にはタオルケットがかけられ、冷房の当たりが防がれていた。
 キッチンで動いていたせいたかのっぽが顔を上げ、キュ、と水道を止めて夜鷹を見た。
「おれはおまえを迎えに空港へ行ったことが一度もないんだけど、どうやったらそれが出来るようになるかな?」
「足がないわけじゃねえ。困ってないから心配すんな」
「前触れぐらい連絡してくれ」
「家主が家に帰るのに断りが必要か?」
 起き上がり、グラスに飲みかけの水を口にしようとしたら、冷えたビールが出て来た。
「さっき慌てて買いに行った」
「分かってるな。おまえも飲めよ」
「おかえり、夜鷹」
 青はそう言い、夜鷹の肩先に縋ってきた。夜鷹はその髪をくしゃくしゃと掻き回す。汗と整髪剤の混ざった匂いがした。
「あ、悪い。まだシャワーを浴びてないから汗臭い」
「いまさら言うことじゃねえな。青、飯は?」
「いま用意してた。これも慌てて買った惣菜だけど」
「おまえって案外自炊をしないよな」
「するよ。ひとりだから気ままに手を抜いたり本気出したりするだけだ」
 夜鷹の傍から離れ、青はキッチンでまた作業をはじめた。再会のハグに至らない不器用さが青らしいなと思う。
 両親から相続した家に青を住まわせて管理させるようになって数ヶ月が経った。冬の終わりに一度帰国しているが、それ以来なので、数ヶ月ぶりの実家だ。だが二十代の終わり以降で全く日本に寄り付かなかった夜鷹にとって、これは同僚も指摘した通りの驚くべき頻度である。潮時、と言われたことを思い出した。潮の傍に営巣するなら自分は鷹ではなく海鳥だったようだ。
 出て来た惣菜は海のものが多かった。夜鷹が好きだと分かっていて。偉いな、と夜鷹は口角を上げる。
「慣れたか、この家は」と刺身を口にしながら訊ねる。
「順調だよ。近所付き合いはあんまりないけど、困るような隣人じゃないってみなされたのかな。たまにおじさんもメールをくれる。残したもので分からないことがあればいつでも聞いてって」
「でもそんなに残ってないだろ」
「本だけ書斎にだいぶ残ってるんだ。次に帰国したときに古書店に査定を依頼すると言ってたけど、次がいつかはまだ聞いていない。まあ、眺めているだけでも面白いから、残してもらってもおれは困ったりはしてないよ」
「そりゃなにより」
「夜鷹の本もだいぶ残ってるよな。親子だなと思った」
 嬉しいような羨ましいような、もしくは淋しいような。そういう複雑な表情で青は笑った。
「おまえどこの部屋使ってんの?」
「とりあえず寝室は一番西側の角部屋に。夜鷹のお姉さんが使ってたっていう部屋」
「ああ。おれの部屋でもよかったのに」
「だめ。学生時代思い出して心中複雑になるから」
「相変わらずご繊細なご様子で」
「おかげさまでつつがなく」
 惣菜をつつきながらも、だが夜鷹はあくびをこらえられなかった。
「眠い? 休むか?」
「そうする。実はもう明日は予定があるんだ。Gに行かなきゃならん」
「なんでまた」
 青は箸を止めた。
「おれがただ休暇で帰国したとでも思ったか?」
「違うのか?」
「ボスが変わってな。まあこれは予測してたことだから驚く話でもない。ただ方針はだいぶ変わった。おれは日本人なんだからと、そっちへの出張が増えた」
「てことは、出張で来てるのか?」
「そういうこと。まあ、休暇も兼ねてるから、二週間ぐらいはこっちにいるけどな」
「Gでなにするんだ?」
「研究所が学術提携しているジオパークがある。そこの研究者と会合だったり、学会だったり」
 ふあ、とあくびが出た。止まらないあくびを青は笑った。
「休めよ。おまえの部屋のベッド、そのままだから」
「おまえは一緒じゃないのか」
「疲れてる相手に盛れない。ベッドはシングルだし。それにおれも仕事持ち帰ってるから」
「ご苦労なこった」
「お互いにな」
 青は食器を下げ、テーブルを片付けはじめる。だが夜鷹が自室に戻る直前、腕を引かれて肩を抱かれた。顔が近付く。夜鷹は口を開けた。キスを交わす。
「なあ、体内に入ったガラスってどうなるか知ってるか?」
「大きさは?」
「トゲみたいなもんだ」
「抜いた方がいい」
「妥当な答えだな」
 おやすみ、と言って部屋に入った。



→ 2





これを更新する頃には梅雨明けして暑い盛りだろうな、と思っていました。
全然ですね。



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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