忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「こっちはあったかいわね」
「寒そうだけど」
「ファッションよ。コートの下は薄いドレスだし」
「ホテル直行でいい?」
「結構よ」
 彼女のスーツケースを持ち、駐車場へと戻る。一応掃除ならした車に乗り込んだ夏衣は、ぽつっと「運転手ありがとね」と言った。
「鷹島くんも来ればよかったのに、ってみんな言ってた。だから言ってやったの。『藍川(あいかわ)先生の退官記念パーティならともかく、それ以外で受賞パーティなんて、そんなところにあいつが来ると思う?』って」
「確かにね」私は笑った。「あの教授――いまは名誉教授だっけ、におれの作品が評価されたことはなかった」
「古い人だったのよ。古い人だったけど、立ち回りは上手かったの。だから文化勲章よ」
「今回の帰国は夏衣だけ?」
「家族とはこっちで用事を済ませたら台湾で合流する予定なの。いまホリデーだから」
 車はどろどろと幹線道路を走る。指定されたホテルで夏衣を下ろし、一時間後に再び迎えに来る約束でホテルを去る。
 旧姓・灰枝夏衣(はいえだかい)。鷹島夏衣を経て再び灰枝姓に戻った彼女は、現在は再婚してカイ・ウォーレンとなった。建築事務所在籍中にウォーレン氏と知りあい、再婚に至った。六歳と四歳になる子どもがいる。ロンドン在住で、会社からは独立した。建築士のウォーレン氏と事務所を立ちあげ、多忙な日々を送っていると聞く。
 説明するまでもなく、私の妻だった人だ。結婚生活は三年。
 今回の夏衣の帰国のもっとも大きな理由が恩師を祝うパーティへの出席である。美術学部の学部長まで勤め上げ、私の作品を「安易」「未熟」「勢いだけ」と評した人物が、このたび長年の功績が認められて文化勲章を受賞した。その祝賀パーティである。都内の大きなホテルの宴会場でひらかれたらしいパーティは、私の実家にも招待状が届いたらしいが、母親に処分を依頼している。出席者は総勢何人になったのか。関わった学生すべてに招待状が送られていたとしたら恐ろしい数になったはずだ。みな第一線で活躍している人間ばかりだろう。いい思い出もなければ、自身を誇れる活動もない。行く理由はなかった。
 そして彼女がパーティ会場の都心からわざわざ特急でこちらへ出向いたのは、私と会うためである。食事をしましょう、と連絡が来たのだ。だってほら、あなたの誕生日だから。結婚記念日で、離婚記念日だから。
 店のチョイスは夏衣に任せてある。普通、離婚した男女が会って食事に出かけるのは不貞に値するのだろうか。私にはよく分からない。けれど彼女は私を気遣ってくれているのだ。「よき友人として」「ひとりで誕生日を過ごすであろうあなたを祝う」。
 一時間後、夏衣はラウンジでコーヒーを飲んでいたが、格好は日本に溶け込むようにゆったりめのニットにスキニータイプのジーンズに変化していた。
「西川が教えてくれたの。もつ鍋の店。セノのことだから高級な店は好みじゃないでしょう?」
「西川とまだ連絡取ってるんだ」
「わりとしょっちゅうね。日本のトレンド知るならあいつは便利だから。行きましょ」
 夏衣は極薄のダウンジャケットを羽織り、ホテルを出て車に乗り込む。夏衣のナビゲート通りに車を走らせると、店にはすぐに着いたが駐車場が空いていなかった。夏衣を先に降ろし、コインパークを探す。
「こんなことならホテルに車置かせてもらえばよかったね。歩いて来られる距離だった」と合流した彼女は言った。
「そんな靴で歩けるのか?」と私は彼女の履いているブーツを指す。ヒールの高いショートブーツは、もはやどこのブランド品なのか分からない。夏衣は完璧な笑みを作る。
「連れが来たら料理運んでくださいって頼んであるから。飲み物は?」
「烏龍茶だな。すみませーん」
「飲めばいいのに」
「日本の飲酒運転の罰則規定が強化されたの、知ってる?」
 間もなく店員がやって来て、私はソフトドリンクを頼む。夏衣には焼酎の水割りが運ばれた。料理も追加され、そっと杯を合わせる。
「Happy Birthday, Seno」
「サンクス」
「これ、プレゼント。ていうかお土産ね」
 そう言って彼女が寄越した紙袋には、王室御用達の菓子と紅茶の缶が入っていた。「ウィリアムが買って来てくれたのよ」と旦那の名前を出した。ここの夫婦はそういうところに変な感情が入り込まない。ビジネスパートナーとしての面もあるせいかもしれない。
「おれもあるんだ。お土産。てか、願掛けだな」
 コートのポケットから私は小さな紙袋を取り出す。初詣で買った鈴だった。
「あら、チープな可愛さね。梅の柄、てことは菅原道真?」
「初詣で近所の天満宮に」
「子どもよりウィルが喜ぶわ。いまなんかオリエンタルなものにハマっててさ。オークションで梨材の衝立なんか落としちゃったり」
「ああ、だからホリデーに台湾か?」
 目の前にはもつ鍋がぐつぐつと煮えていた。プリプリとした弾力と独特の油分が美味しい。店もほどほどの混みようで、苦痛がない。いい店を選んでもらったことが分かった。
「誕生日に、元妻ともつ鍋なんてね」と夏衣は漏らした。「色気はないわね」
「分相応でいいよ」
「制作、進んだ?」
「……全く」
「まだ抜け出せないのね。発作は?」
「それは起きてない。もう大丈夫なんだと思う」
「やっぱり結婚生活のストレスか」
 夏衣は呟き、焼酎の水割りをお代わりした。
 夏衣との結婚生活は、はじめは順調だった。お互いが自分のことしか見ていなかったから、単なる同居人としか認識していなかったせいもあるだろう。だが気づけば荒れ果てたデザイナーズマンションの一室を目の当たりにして、ある日突然、一気に、私は力が抜けてしまった。もしくは力んでしまった。これを結婚生活と呼べるのか? 
 まず家の片付けをはじめた。整理整頓、掃除。シーツやカーテン、カバーの洗濯。取り替え。整えた部屋で私は料理をこしらえた。一般的な和食だった。仕事から帰る妻を待ち、共に食事を取った。彼女は忙しく食事を取ったが、沸かした風呂には浸かってくれた。
 以降、私は学校の仕事から帰ると作業場ではなく自宅を整えるようになった。ハウスキーピングに腐心したし、生活の改善にも努力した。彼女がストレスなく仕事に出かけられるように努め、帰宅した妻にはマッサージなども施した。それですっかり比重が変わり、気づけば私は作品に向かわなくなっていた。
 あの時の絶望や焦燥を、いまでもはっきりと思い出せる。
 こうしてこのまま家庭を守って暮らすのか。一生涯をこうやって安穏と過ごすのか。
 気の遠くなるような思いがした。大きな木にチェーンソーや鑿で向かっていた私はいまやどこにもない。この先もない。もう一生、ないのか?
 作品制作への依頼は重複してあった頃だし、出したいコンペもいくつもあった。だがそこに向かえない。作品制作へ至らない焦り、安定への満足感と反する失望。周囲からの新作への期待。プレッシャー。ついに私が発症したのはパニック発作、過呼吸の症状だった。
 心療内科にかかり、カウンセリングと投薬治療を行なった。経過はよくならず、そのうち行くのをやめた。薬のせいで身体がだるい。仕事も辞めざるを得なくなった。
 そんな私を見て、夏衣は言った。
 ――そんなに作品を作りたい?
 濁った目で私は頷いた。
 ――それはね、あなたにとって業なんだろうね。安定を手放さないと、ひとりにならないと、あなたは作品を完成させることはできないよ。セノ、別れよう。私は私で生きていける。いい人もいるのよ。ごめんね、慰謝料はふんだくっていいから。……私じゃあなたに添えない。もしかしたらあなたに添える人は誰もいてはいけないのかも、……いまあなたはひとりになるべきよ。
 それを聞いて私は――安心してしまった。確実に荷重が抜けた。喪失であり、安堵であった。
 もう彼女を大事にする安定した日々は諦める。けれど野望を追い求めていられる。
 それは彼女の言うとおり、私の業であった。
 離婚して私はしばらく旅に出た。身軽なうちに見たいと思うものを見た。そうして離婚から一年して、ミナミ倉庫に住み出した。南波家の面々と知り合ったのはこの時期だ。
 大きな川のある町で心機一転、やれると思った。けれど相変わらず作品発表には至れていない。
「前よりは楽だよ」と私は烏龍茶を口にして答えた。


→ 10

← 


拍手[5回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501