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 出立は、一週間後にした。大家にもそう話していたし、早く藍川の元へ向かいたかった。話ではすでに制作に入っているという。私の他に三人ほどアシスタントがつく予定だが、ひとりを除いて通いだと聞いている。名前を訊けば知っている人たちだった。第一線で活躍している者も、若手注目株も、皆一様に藍川を慕っている人物だ。
 とにかく作業場を片付けて倉庫を綺麗にしなければならない。大汗かいて資材をまとめ道具類をまとめる。これを日用品でも行わなければならない。こうして引っ越してきたな、と私は五年前の記憶を手繰った。
 ――アトリエ、ですか。
 物件を決めたとき、大家とともに八束もいた。休みだからと運転手代わりにされていたのだ。
 ――そう言えば聞こえはいいですけど、ただの作業場ですよ。アトリエを持てるような優雅な生活は送れません。
 ――どんなものをお作りになるんですか?
 ――立体彫刻ですね。材質は木が主ですが粘土でも石膏でも金属でも、なんでも。最近は寺の坊さん伝いに持ち込まれる仏像彫刻や社殿なんかの修復の依頼が多いので、主にはそれの制作になります。だからアトリエとは言い難いですね。
 ――いや、僕なんかには逆立ちしたって成せないような素晴らしいお仕事でびっくりしました。
 ――大したものではないです。
 ――彫刻と関わりのある方と出会えて嬉しいです。僕は好きな現代彫刻家がいるんです。ご存知かな。鷹島静穏ていう。
 ――……いえ、私は、あの。
 あの時、まさか自分の活動名が出てくるとは思わなくて驚いた。もう何年も制作発表に至れていないのに、作品を知っていてくれている人がこんな小さな町にいたこと。
 あれは間違いなく喜びだった。八束の無表情にはひっそりと笑みが潜んでいて、その眼差しにじくじくと甘くむず痒い痛みが走った。私がここで制作に戻れればこの人は喜ぶだろうかと考えた。そういう記憶だ。
 重い資材は機械がないと積み込めない。トラックとフォークリフトを借りているのは三日後からの予定で、道具と日用品の片付けを優先した。ひとりで黙々と手を動かす。段ボールに詰め込むのは割れて困るようなものだけにして、あとは大きなビニールで包み込んでしまうことにした。トラックでの引っ越し、業者を頼むわけでもない。大学に通うためにひとり暮らしをはじめた時も、妻との結婚で引っ越した時も、もしくは離婚した時も、引っ越しは全て自力で行ってきた。
 真夏のさなか、昼間の行動は堪えた。汗まみれになって濡れた頭の上からホースの水をかぶる。このまま昼寝して夜やろうかな、と考えていると、光に満ちた明るい庭先にひらりとスカートの裾がひるがえった。
 セーラー服姿の四季が、快活にこちらへ走ってくる。元より扉をあけ放している。びたびたの髪にタオルを引っかぶり、慌てて近くへ寄った。
「セノくーん」と四季は入り口をくぐってやって来る。
「お邪魔しまーす。あれ水遊びしてたの? ねえねえスイカ食べない?」
「なんで制服なの? 夏休みでしょ?」
「ああ、今日はね。命日だから。おかーさんのお墓参りしてきたの」
「――ああ、そうか」
 南波家は盆より少し前に悼む人がいる。若死にしたから四季が成人するまでは命日に墓参りをするんだ、と何年か前に八束が言っていたと思い出す。去年あたりが七回忌だったかと思う。
 スイカを食べるか、と訊いてきた割には四季は手ぶらで財布すら持たないようだった。
「四季ちゃんここまで何で来たの? ひとりは危ないんだけど」
「あ、ヤツカくんと車で来たよ。ヤツカくんも来るよ――ほら」
 バタン、と後方で音がした。炎天下を、ネットに入った大玉のスイカをぶら下げて八束がやってくる。姪が持つ軽やかな動作よりも少し重い、けれど夏の重さに負けず実直に歩く確かな骨肉。このモーションの豊かさは南波家の誰もが持つのか、いつ見ても魅入る。
 八束も喪装だった。
「――やあ」と八束は眼鏡の弦を押しあげながら屋内へやって来た。どういう顔をしていいのか分からずわずかに下を向く。
「スイカを買って来た。この家、たらいがあったよな。冷やして食べよう」
「……こんな大きなスイカを、この三人で?」
「四季が選んだ。文句は四季に」
「私ねえスイカも好きなんだよねー。これ、えっちゃんちで買ったの。セノくんちに持ってくよって言ったら、店番済んだらえっちゃんも行きたいって言ってた。えっちゃんも夏の果物は大好き。だから終わっちゃうよ、こんなスイカ。すぐだよ、すぐ」
「だそうだ。水道借りるよ」
 と、庭の水場へと進む八束に、端に寄せておいたたらいを渡す。八束はそれを不機嫌に受け取り、蛇口にホースをつないで流しっぱなしにして水を張り、スイカを冷やす。
「引っ越しの準備、順調?」と四季が訊ねる。
「いや、全然。資材は日頃から整理してたから梱包して積み込むだけなんだけど、日用品がね。散らかってる」
「セノくんちってそんなにものがあったっけ?」
「ないように思ってたんだけどな。なんだかんだで五年暮らしてると、ひとりでも増えるもんだな」
「……いつ引っ越すの?」
「ええと、六日後、」
 言いさして、だが八束の声が「いや、明日だ」と割って入った。手をハンカチで拭いながら八束が再び屋内へやって来る。
「明日?」
「正確には、きみのこの倉庫の契約期限が明日切れるという意味だ。これは払ってもらった今月分の家賃から明日までの家賃の差額を引いた分の金。返金するものだ。親父から預かってきた」
 そう言って八束はポケットから封筒を取り出し、私に寄越す。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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