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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 私にされるままに揺さぶられていた八束は、私の肩に手を添え、「そうか」と呟いた。
「……きみは苦しいんだな……」
 そのぽかりと宙に浮かせたような物言いに、私は顔をあげた。八束の表情は至って普通だった。もう怒ってもいなかったし哀れんでもいなかった。ただ、納得した、という顔だった。
「ずっと苦しんでいるんだ」
「……」
「だからきみの作るものは美しいんだな。はじめて理解した。普通の人、とくくると失礼だけど、きみのような繊細な才能を持ち合わせない人は、もっと大雑把で図々しい。だから雑音の中で生活を営める。きみの感性は鋭い分、相当に過敏なんだろう。センサーの目が細かい。だからこそのきみの作品で、裏返しがきみの不調なんだ。……それだけ長く苦しんでいる人に、僕がかけてやる言葉もない。きみのそのセンサーの鋭さを最大に発揮できる環境さえあるなら、とんでもない芸術を生み出すのは分かる。分かるから、……だからTなのか」
 八束は私の手を外し、座り込んだ。
「きみと別れるのは、納得しない。しないけど、……前にきみは言ったな。自分のことが好きじゃないと。僕といても、ひとりにしてくれよと言うぐらいなら、きみにとってこの交流は、辛いだけだ」
 やけに冷静に語るので、私も冷静を取り戻しつつあった。だが八束のそれは見せかけの話で、実のところ八束はちっとも納得などしていなかった。目の前の事実を淡々と述べたに過ぎない。そしてヒュ、と喉を鳴らしたかと思うと、八束はぎりぎりまで引き絞った矢のように張り詰めた声で「きみと離れたくない」と言った。
「別れたくない……きみのためにならなくても」
 それには私の半分が同意している。残る半分がTへ行けとものすごい剣幕で訴えていた。
「きみの前妻という人は、出来た人だなと思う。こんな状態のきみをひとりに出来たんだから。僕には耐えられない。僕は、」
 八束は震え出した。
「僕のエゴで、鷹島静穏の芸術の邪魔しかできない」
「八束さん」
 ふるえる八束には添わず、私はようやく言葉を発した。
「わがままと我が身のかわいさで首を絞めているのはおれだ。自分のためにならないと思いながら、人恋しくて、誰かの傍にいたくて、傷つけられて喜ぶあなたが可哀想で、おれから付きあおうと言ったから」
「僕のこと、好きか?」
「可哀想だと思う。そして強い人だとも思う。繊細に歪んでみえてとても強か。そういうところに、惹かれたかもしれない。はじめっからおれは、辛かった」
 私は息を吸い、目を閉じた。とてもじゃないけど直視していられなかった。
「おれと別れてください」

 別れを切り出して、八束がどういう顔でなんと答えたのか。先程のことだったのに記憶が曖昧だ。気づいたら自分で運転して、倉庫に戻っていた。車をガレージに停めたまま私は思考を、というより行動自体を停止していたらしい。ぼんやりとあけた窓から夜風を浴びながら、八束はなんと言ったかな、とどうしても思い出せないことを思い出そうとしていた。
 ――君がそうしたいなら。
 ――僕は承知しない。
 ――どうしていま言われなきゃならないんだ。
 八束が言いそうな言葉を色々と思い浮かべてみたが、どれもしっくり来なかった。ということは言われなかったのだろうか。八束はなんと言ったのだろうか。
 息を吐き、車を降りる。気だるい真夏の風は、水の冷気で多少やわらいでいる。車から倉庫の入り口へと向かうと、その入り口に人影があった。アルミの扉を背にうずくまって通路をふさいでいる。人感センサーでついたきつい明かりの下、人影の正体は即座にあらわになる。宅間だった。
 なぜ、こんな夜に限って、と苛立ちより疲労が肩にのしかかる。けれど宅間には追求すべき事柄もあった。
「よぉ、遅い帰宅だな」と痩せっぽちの若者は私を見あげて言った。
「約束を破ったな。八束さんに接触したと聞いた」
「なんだ、八束と一緒にいたのか? あいつとは接触したが、危害を加えることはしてないし、もうしねえよ。あんたに会いたかった」
 ずらずらと並べて漏れる文句の意味が分からず、私は暗い目で宅間を睨みつけた。
「忘れらんねえんだ、昨日の衝撃が。あんたにだったら解剖されていい」
「何言ってる」
「あんた、引っ越すんだよな、Tに」
 尻を叩き、宅間は立ちあがった。
「盗聴してたからな、知ってた。だったら早くあんたの立場を追わないとと思って貼り出した写真だったが、なんかうまくいかなかったよ。やり込められて、おれが参っちまった。おれはこの通り文なしで宿なしだ。なあ、おれも一緒にTに連れてってくれよ」
 その台詞は、あまりにも意表をついて言葉が出なかった。
「……何言ってる?」
「ターゲットが変わっちまった。八束を傷つけたくてたまらなかったのに、あんたに罵られて脅されておれは気持ちよかったんだ。なあ、おれ割と手先は器用だぜ。八束よりも役に立つ。立たなくても、傍に置いてくれるだけでいい。あんたの傍にいたいんだ」
「……おまえの脳は、どうやらなんにも入っていないようだな」
 宅間を乱暴に避けて、鍵を取り出し、私は扉をあけた。
「頼むよ、傍にいさせてくれ」
「ごめんこうむる。おれたちに一切関わらないと約束させたはずだ」
「ならここを出てくあんたにおれが勝手に引っ付いてくだけなら自由だよな」
「次は警察沙汰にすると言ったはずだ」
「あんたと一緒に行ったら、おれは八束には手を出せない」
 その台詞に振り向くと、宅間は卑しい顔でニタリと笑った。
「あんたがおれの弱味を握ってるように、おれもあんたの弱点を分かってんだよ。八束だろ? おまえは八束には優しくしてえんだ。それを八束が望んでなかったとしてもな。八束の身の上に起きる不幸は許せない。だからおれを懲らしめた。……あんたがおれを連れてく方が、八束のためだと思うけど」
 そう言ってのける男の顔は人の不幸を糧に生きてきたのだろうと思わせた。男の生い立ちまで知らぬがろくな人生でもなかったのだろうと分かる。だがそこに同情の余地はない。
「おまえなんかとTに行くのはごめんだ。帰れ」
「だから帰る家はねえんだよ、おれは」
「ならおれの視界から消えろ。八束さんの視界にも映るな」
「おれもTに行くからなっ!」
 嫌な叫び声を背後に、倉庫の中に入って扉を閉め、施錠した。

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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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