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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「……帰ったのかと、」
「学校に四季を迎えに行ってただけだ。四季には今夜は遅くなると伝えてきた。……コーヒー、入れたんだ。タンブラーに入れた。まだ洗濯をしてないから、これからコインランドリーへ行こう」
 意図が掴めなかった。
「洗濯?」
「僕がするって言ったんだ、約束は違えない。コーヒー持って行こう」
「……ふたりで一緒に?」
「一緒に、」
 手首を掴み、引っ張られて私は立ちあがる。八束の車にランドリーバッグを載せて、近場のコインランドリーへ向かった。ランドリー内には複数名の人気があったが、やがていなくなった。私は八束と休憩スペースに着席し、洗濯の終了待ちでコーヒーを飲んだ。
「ちょっと冷めちゃったな」と八束はひとりごとのように呟く。
「……雨、当たってきたな」
「……ずっと訊こうと思ってたけど、セノさんはあの倉庫で怖くないの、」
「怖い?」
「川の傍だから、こういう雨季は色々と気にすることが多いんじゃないかと思って。増水するし、水音が気になって眠れないとかさ。湿気るし、川霧で真っ白になる時もある。怖いっていう意味では、あそこは事故物件だし」
「事故の詳細は気にならないし、安いから助かってるよ。湿気は気を使うけど、音で眠れないことはない。川霧で白い朝は結構好きだ。おれを隠してくれてる心地になる」
 コーヒーはぬるい温度で浅煎り特有の酸味がきつく、ようやく目が覚めてきた気がした。
「セノさんが髭を生やしてるのってさ」とどしゃぶりになった屋外とまわる洗濯機の音の中で、八束が言葉を発した。
「ファッションとかものぐさとかなんでもなくて、自分を隠したいからか? 誰だかわからないように。タカシマセイオンだって分からないように?」
 私は目を閉じた。コーヒーを飲んで息を吐く。
「……どうだろう。よくわからないんだ」
「セノさんは自分に対して実はすごく否定的だよね。人にはおおらかなのに。なぜ?」
「……作品制作をしていない。発表に至れていないんだ、もう長いことずっと」
 外の雨は、バケツをひっくり返すかのような騒ぎになっていた。またコーヒーを飲む。
「彫刻家鷹島静穏は、なぜ作品の発表をしなくなったの?」
 八束のその問いは、意外にもあっさりとしたものだった。なぜ発表できないのだという責めも、こんなに待っているのにという懇願も、これから発表するんだよねという期待も込められない。彫刻家鷹島静穏に訊ねるというよりは、私に訊ねているのだと分かった。おまえなにかあったのか? と近い人を思いやり添おうとする姿勢が見える。人をひとりにしたくない八束。
 これを得たくなかった。得たら後悔する。それぐらいに渇望していたことだった。
 話していいのだ、と、思えることがこんなにも優しい。
「きっかけは、結婚生活がうまく行っていなかったことだ。相手の浮気も一端だったけど、お互いのことに夢中になっていたから、夫婦というよりは共同生活者みたいな感じで。整えようとしなかったからいつの間にか家がすごく荒れてた。彼女が帰って来ない夜は何度もあったし、おれが帰らない日もあった。そういうのがいきなり堪えてしまったんだ。こんなの違うじゃん、寮生活してんじゃないんだよ、って。子どもも作らなかったからますます好き勝手。それをさ、整えようとしたんだよ。ちゃんと夫婦にってか、彼女と家族になろうと思った。掃除して洗濯して風呂沸かして食事作って、食べさせて、片付けて、寝かす。そういうことをやっていたら、ウェイトが変わって作る時間がなくなった。高校の非常勤で美術を教えている時で、仕事から帰って家事やって、アトリエに制作に行く時間はなくなったんだ。でもそれはそれで充実したよ。彼女とよく話すようになったし。彼女との時間が増えた分だけますます制作からは遠ざかる。気づいたら、半年まるきり作ってなかった。あちこちのコンペなんか締め切りすっ飛ばしててさ。それでもこれは結婚したんだから当然のことだと思った」
「……」
「一年経って、なにも発表できるものがないことがプレッシャーになった。彼女と充実したと思える時間を過ごせば過ごすほど、大切になるほど、制作からは遠ざかるんだ。焦ったよ……焦って苦しかった。生活の質は落としたくなかったけれど、制作をしなきゃって。焦るほどうまくいかないよな。彼女といる時間が苦痛になって、彼女のために食事を作るのに、彼女の帰宅時間になるとドキドキしてくるんだ。パニックになって、過呼吸を起こして動けなくなった。それが何度も続いて、医者にかかってね。療養が必要だと言われておれには受け入れられなかった。休んでる暇はないんだよって。こんなことでつまづいてる場合じゃないんだよって。彼女も大事にしたいけど作品も作りたい、それはおれにとって両立しなくて、……結果的に離婚を切り出されてほっとした。ひとりになるべきだと言われて、その通りだと思った。おれは、ひとりにならないと作れない」
 どしゃぶりの中を洗濯に来る人間もいないのか、コインランドリーは貸し切り状態だった。内も外も凄まじい音がしている。でもこれも私を覆い隠してくれているようで、嫌いじゃない。
「離婚して、しばらくあちこちした後に引っ越してミナミ倉庫を借りて、新しい生活をはじめたわけだけど、おれは未だに作れていない。きっかけは結婚生活だったんだけどおれの制作活動そのものがもう破綻しているのかもしれない。技術は持ってる。技術で飯食ってるから。でも才能とかさ、溢れる創造力とか、そういうのは限りある資源みたいなもんで、枯渇したらもう取り戻せないのかなって考えてしまう。彫刻家に戻れるなら、すぐにでも戻りたい。そのための非常勤講師で、責任を負わない仕事をしている。でも材木に向かうと、形がぼやけるんだ。中に見えているはずの3Ⅾを取り出せない。……そういうのがもう、何年も」
「そうか……」
 八束は黙った。洗濯機がピーと電子音を鳴らし、終了を告げた。ここのコインランドリーは乾燥機と別になっているので、いったん取り出さねばならない。乾燥機への投入は八束がやってくれた。乾燥機を回してから私の隣につき、しばらく黙っていた。
 雨は小降りになってきたようだ。
「鷹島静穏に憧れ持ってるあなたには、こんなこと言えなかった……言っちゃったね。すごく怖い」
 私はうなだれる。八束の目線がこちらへ向けられたが、目をあけていられない。
「……あなたに、タカシマセイオンはこんなものかと失望されるのが、怖い」
「発作は?」
「え?」
「過呼吸の発作はいまでもあるのか?」
 微妙に筋の逸れた質問だった。私は面食らい、八束の顔を見た。表情は険しかったが、私への心配が滲んでいた。
「いや、離婚してからは起きてない」
「そうか。ならよかった。職場にもいるんだ、パニック発作起こして病休取ってる人。その人は適応障害と言ったな。あれは辛いと聞いているから、いまきみに起きてないならよかった」
 八束の手が伸びる。頭に触れて、髪に触れて、くしゃくしゃと撫でられた。
「失望はしない」
「……」
「きみがタカシマセイオンだって信じる。いままでの謎が符号するからな。信じた上で、きみのファンをやめるとか、嫌いになるとかじゃない。……さっき言葉が出なかったのは、怖くなったからだ。僕もきみが怖い。きみの作品を見ているから尚更思う。失望されるならこっちの方だろうし。……きみはすごいんだよ。僕はいま神様と交信している」
「……すごい人間じゃないんだ、全く、残念なことに」
「話してくれてありがとう。勇気が要っただろう」
 髪を混ぜていた手がとどまり、頬へ降りてきた。私は頬擦りするかのように顔を寄せる。
「きみがひとりにならない選択をしてくれてよかったと思う。僕はきみをひとりにしたくないんだ。きみは僕の傷を手当てしてくれたから。当たり前に優しくて、当たり前にお人好し。だから発作なんか起こしてしまったんだろうけど、きみの優しいところが僕にはすごく染みる。僕は自分を大事に出来ないから、きみにされるとどうしてもここが痛くなる」
 トン、と八束は心臓の辺りを叩いた。
「出会えて嬉しいよ。嬉しいんだ」
 私は目を閉じた。八束に100%伝わったわけではないだろう。伝えられた気もしない。
 だが緊張はとけた。ポーカーフェイスはいつの間にか素に戻る。お互い、戻る。
 これはゲームではない。
「そっか……」
 私が言えたのはたったそれだけだった。八束の手は私の背に当てられ、ゆるやかに動いた。傷を手当てするかのような仕草だった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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