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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「昼だから浅めにしてみた。パナマ・ゲイシャだって。せっかくだから天蜜堂で黒糖の寒天も買ってきたよ」
「いいねえ。ちょっとおれ授業の準備してるから、勝手にやっててくれる?」
「あ、昼なんにするんだ?」
「冷蔵庫に食材入れてあるし、作業机の段ボールの中にも色々と残ってる。見繕って食べたいものがあったら言って。これだけひと段落したらおれが作るよ」
「へえ、大きな箱だな」
「こんな箱でチルド品送られたんじゃたまったもんじゃないんだが、まあ、うちの母親はそういう人なんだ。中身もチルド品だけじゃない。なんつーか、常識を突っぱねてる人っていうか」
 箱を探り、八束は「本当だ、本が入ってる」と笑った。
 八束は冷蔵庫と箱の中身を見比べて昼食のメニューを選び始める。私は授業の手順を確認した。今日は二年生の授業で、大きな木材を扱う。授業選択者数は八名。場合によってはチェーンソーなど大きくて凶暴な道具を使う。怪我に注意せねばならない日だ。
 集中していたため、八束の手が止まっていたことに気づかなかった。
「――さて、昼にしようか。メニュー決まった?」と私は訊ねる。だが八束は箱の前から動かず、よく見れば八束が手にしていたのは実家から送られてきた食材ではなく、箱に貼付してあった配達伝票だった。そこには、S県の「鷹島燿子」から「鷹島静穏」へと荷物を送るように、住所と名前が記されている。咄嗟に、しまった、と思った。こんな形で。
「八束さ」
「……鷹島静穏」
 と八束は伝票を読んだ。「宛てに、鷹島燿子から荷物が届いている。ここの住所で」
「……うん」
「なぜ?」
「それは、……」
 八束は伝票から目を離し、私の目を見た。戸惑いと驚き、疑い。疑問にも怒りにも取れるため、答えるべきを探せない。
「きみの恩師の藍川先生、……も、きみをタカシマ、と」
「……ああ」
「でもきみは自分を『セノ』だと言い張った。鷹島静穏ではないのに、荷物を受け取れるのか。どうして?」
「……セイオン、じゃないからだよ」
 私は観念した。八束が「まだ言うのか」とでも言いたげに眉を顰める。
「見せようか」
 私は部屋の隅へ行き、ベッド下に収納してある貴重品の中からパスポートを取り出した。期限は切れていない。それを八束に渡し、「旅券のところ見て」と促す。
 八束はページをめくる。いまより若く髭のない私の顔写真とともに、ローマ字表記がされている。「Seno TAKASHIMA」とあり、自著欄には私の字で「鷹島静穏」と記してあった。
「うちの兄弟は、ていうか親父の名前からもうひねくれてるんだけど、癖があるんだよ。兄貴は野原を逆さに書いて『鷹島原野』……これは普通に読むか。でも人につけるって感じの名前じゃないよな。妹は鷹島嵐。音読みでもなんでもなく女の子に『あらし』って付けちゃうような親だからさ。それでおれは、静穏。無風の穏やかな日に生まれたから静穏なんだけど、呼びやすさ重視で読みは『せの』になった。ストレートに読まれないのは昔からずっとそう。大学に入って作品を発表するようになってから、面倒だし通称でいいやと思って『せいおん』呼びを訂正しなかった。そしたら活動名みたいになってた。……それがタカシマセイオン。でも本名は、タカシマセノ。だからおれは、セノで合ってる。あなたが呼ぶセノさん、で合ってるんだよ」
「……」
「急にそんなこと言われても、だよな」
 八束が混乱して絶句しているのは分かった。ちいさく息をつき、「どっちでもいいよ」と私は段ボールを漁りはじめる。
「信じてもらえなくても仕方ない。騙していたわけじゃないし、隠していたわけでもないけど、どう言っていいのか分からなくて黙っていたのは本当のことだ。憧れに憧れていたいなら、目の前の男を現実だと受け入れない方が正解かもしれない。とにかくおれはセノ、だから。……昼さ、パスタにしようと思うんだけどいいかな。パスタとソースの瓶が入ってた。トマトとバジルだって」
 冷蔵庫の野菜庫を探っていると、「このパスポートじゃ偽造を疑われる」と八束は言った。背後からかかった声は、やっぱり戸惑っていながら無理に声を出している感じがした。
「そんな髭じゃ分からない。剃ったらタカシマセイオンが出てくるって言うのか?」
「八束さんの解釈でいい。でも、黙ってはいたけど嘘はついていない。嘘をついていないっていう嘘だと言われても仕方がないけど」
「なら嘘だ」
「本当」
 眼鏡の下に手を滑らせ、顔を両手で覆う。信じない意思かもしれない。私はキッチンでふたり分の昼食を作りはじめた。コンロがひと口しかないのでパスタを茹でてからマッシュルームとベーコンを炒める。パスタとソースを絡めて火を入れて終わり。ラディッシュをパスタの端に添えた。食事の支度は整ったが、八束はソファに沈んで動かない。
「八束さん、食べようよ」
 反応はない。
「時間があまりないから、おれはもらうよ」
 そう言っても、やはり八束は動かなかった。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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