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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 改めてベッドサイドのスタンドをつけた。それを掴んで、傷を照射する。何日前の傷だろう。まだ生々しい。これを楽しんだと八束は言ったが、それを哀れに思った。
 とても、とてつもなく可哀想だと思った。
 癒さねばならないと思った。
 愛してやらねばならないと思った。
 胃の底が煮えて悪寒がする。頭の中で砂嵐が吹き荒れ、警告される。
 これは私の望みに叶わない。
 スタンドを置き、傷のない部分に手を置く。八束の肌が一斉に粟立ったのが指先の感触で分かった。傷をなぞる。八束が息を飲む。こわばった背中の傷に、私は唇を押しつけた。
 驚いた八束が振り向き起きあがろうとするのを、首の後ろを押さえつけることで制した。ベッドに縫い付けられてもがく八束の、背中を私は辿る。長い蛇を吸引する。八束の乱れた呼吸が鼓膜を襲撃する。
 八束は身をよじり、私の手や唇から逃れた。胸を忙しなく上下させ、きつく私を睨む。伸びた八束の腕は、私の頭を掴んだ。引き寄せられて八束の上に倒れ込んだ。
 八束の呼気が私の頬に当たり、私は目を閉じて身体の警告音に耳をすませる。正常でないまま、私は八束と唇を合わせた。重ねて、重ね直し、息を吐き、頬を掴む。右頬の傷にも唇を落とし、鼻筋に顔を押しつける。八束の手はしっかりと背を抱いていた。絡みついて息をつき、またキスをする。
 唇を押しつけあいながら、私は八束の身体に触れた。裸体を掻き、スラックスのベルトを外して合わせから手を入れる。八束の吐息が音声として発せられくぐもるようになった。私が触れたそこは膨らんでおり、押しつけている私のものもまた硬く勃起していた。
 衣服が邪魔だった。最小限の動きで、けれど焦って私は性器を露出させ、また八束のものにもじかに触れる。熱く硬いものを互いになすりつけ、ベッドが軋む。八束が息を殺して吐精し、私も同じてのひらに精を吐いた。
 荒い呼吸を整えぬまま、八束の身体を抱え直した。背を保護するように抱きかかえ、シーツの端で手を拭った。
 八束は身じろいで私の顔を覗き込んだが、私は構わず目を閉じ、八束の肩をぽん、ぽん、とはたく。
「眠るの、」と八束が訊いた。北風が窓ガラスを叩く。
 それで答えたことにした。


 くしゅっ。で、目を覚ました。隣で八束が寒そうに身体を縮こめてくしゃみをし、鼻をすすっている。辺りは明るく、カーテンの向こうの空で風は止んでいるようだった。寝ぼけながらベッドサイドのティッシュボックスを差し出すと、八束は受け取って鼻をかんだ。
「仕事、いいの」
 顔を揉みながら八束に訊ねる。今日は土曜日だったが、郷土資料館勤務という立場上、八束の勤務は変則的なのを知っている。
 彼は「いい」と答えた。
「昼から行くことにする。今日は開館に向けた館内の設備チェックが主だから。別に僕が慌てて行く必要はない」
「そか」
 鼻をぐずぐずさせながら八束は毛布から抜ける。脱いだシャツに袖を通そうとするのを無理に引っ張ってまた毛布の中に組み敷いた。
 窓の外に吹き荒れていた北風は止んだ。身体の中をめぐる暴風は未だ止まず、轟々と私の中で渦を作っている。
 そっと八束の頬に触れた。あまり腫れずに済んでいた。
「傷、見るよ」
「……」
「昨夜のやり直し。もう少し布団の中にいな。部屋あっためるし、お湯も沸かしてくる」
 それだけ告げて私は毛布の外へ出た。作業用に着ていたワークシャツのままで眠っていたので、起き抜けると同時にベッドの下へ木屑がぱらぱらと落ちた。掃除をして、シーツも洗濯をしないとな、と思う。
 時間で消火されたストーブをつけ直し、湯を沸かしながら新しいシャツに着替えた。八束を毛布から引っ張り出して、今度はちゃんと正常に、傷の手当をする。
「背中の傷がひどい」と救急箱から炎症を抑える効果のある薬を探しながら呟いた。八束はうつ伏せのまま、うん、と言った。
「まだ腫れて熱を持ってる。薬を塗っておくけど、医者にかかる方が賢明だ。どうせ四季ちゃんに頼んで薬を塗り直してもらうなんてつもりはないだろうし」
「医者には行かない」
「でもこれじゃ治りが悪い」
「痛む方がいいよ」
「……自分の身体が嫌いだから?」
「ばかなことをしたんだって戒めて暮らせる」
 その返答で、こめかみの辺りがずきっと痛んだ。心臓ではなく脳が痛むのは、感情を理性で押さえ込んでいるからだ。危険を無視している。分かっていながら私は背中の処置を終えた。
 頬と拳にも塗り薬だけ塗布しておいた。あまり目立つことにはならなさそうだと思う。頬に薬を塗り終え、八束は鬱陶しそうに顔を歪める。
 シャツを着る八束を眺めながら、全く望んではいないことだと、心の中で唱えた。
 私のためにはならない。過呼吸は再発して私は苦しむのかもしれない。
 人はひとりの方がいいと私は思う。
 けれど私がひとりでいることを嫌がる男を、ひとりに戻したくない。
「八束さん」
 ボタンを留めながら八束は振り向いた。怯えを読まれないように私は眉間に力を込める。
「付きあいませんか、おれたち」
「……なぜ、」
「やさしくしたい」
 それ以上は八束の顔を見ていられなかった。ひどく後悔しながらコンロの元へ向かう。コーヒーを入れていると、くまなくきちんと衣服を身につけ終えた八束が傍へやって来た。
「そんな難しい顔で言われても、はいお願いしますと頷けない」
「してないよ、そんな顔」
「鏡を見ろ。……たったひと晩男にも興奮出来たからって、ちょっと飲みに出かけるようなつもりでそういうことを言うんじゃないよ」
「いや、」
 コーヒーをステンレスと陶器のマグカップに注ぐ。陶製の方を八束に渡した。
「うまくいかないよ、きみはノーマルだからな」と受け取りながら八束は言った。
「それにきみがやさしくしたいんだったら、僕とは合わない。僕はすぐによそへ行くよ。ノーマルのきみの生ぬるいやさしさに満足できなくて、ひどくしてくれる男と遊ぶんだ」
「……だとしたら、傷を作っても帰ってくるのはおれのところだろ」
 シンクを背にしてコーヒーを口にする。濃く入れすぎて苦かった。
「付きあっていれば、おれはあなたの傷の手当を嘘ついてごまかしたり言い訳せずにしてやれる。なんでこんな傷をって、愛情であなたに諭せるよ。もっとも、傷を作って帰ってくるようなことはさせないけどね」
「……きみは僕のことを好きでそう言っているわけじゃない。愛情じゃないだろ。同情だ」
「あなたの」
 突っ立ったままの八束の中に正中線を見出すデッサンの癖のような仕草で、カップを持たない方の腕を八束の方へ真っ直ぐに伸ばした。
「モーションが綺麗だと思う。見惚れる瞬間が幾たびもある。細い中にある深い目も、気怠げなのに本に夢中で実は熱い意思のある背中の丸まり方も、ずっと見たいと思う」
「……」
「動機なんてのはなんでもある。そんなもんだよ。そういう種みたいなものはあなたもおれに対して持っていて、それはきっと発芽している。……違うか?」
 腕を下ろす。八束の姿がはっきりと網膜で結びつく。八束は顔をそむけ、ソファに腰を下ろした。
 喋りながら後悔していた。この選択は望みではない。全く、望みではない。
 黒々としたコーヒーは、絶望的な心情を示す色合いだと感じた。墨でも飲んでいる心地だ。苦い。
「……僕はすごく面倒くさい男だぞ」やがて八束が答えた。
「きみが女と浮気しても、仕方ないやって諦めたりなんかせずに、駄々や理屈をこねて泣き喚く。なにぶん、過去の男と殴りあいで別れてるぐらいだからな」
「うん」
「それに、親父は元気でも老人だし、両親のいない中学生の姪もいる。面倒くさいぞ」
「大家さんや四季ちゃんを大事にしない八束さんなんかおれは好きじゃないよ」
 私も八束の隣へ腰を下ろした。
「まずは背中治すのが最優先。今日の仕事帰り寄ってよ。炎症が治まってるか見たい」
「きみは今日はなにをするんだ」
「いま大学は春休みに入ったから講義はなし。依頼品も急ぎではないし」
「なら、寄る」
 ひどい頭痛に唾を吐くように、八束に笑ってみせた。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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