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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 朝いちばんで珍しい品種の葡萄を栽培しているという農家の元へ出向き、取材をして、いったん会社に戻って来たところで後輩の女性記者に声を掛けられた。「先日はありがとうございました」と彼女はちいさな紙袋を差し出す。
「これ、奥様にお礼です。よろしくお伝えください」
「気を遣わなくたっていいのに」
「いやもー、だって本当に素敵だったんですもん、あのシャツ。あんなふうに直るなんて思いませんでした。これじゃ足りないぐらいですよ」
「中身、なんなの?」
「『フラウ』のショコラです」
「うわ、そらまた高いもんを」
「奮発しましたもん。お金取ったっていいぐらいですよ、あれは!」
 と力説する。
 この後輩記者が「お気に入りのシャツに穴が空いちゃったんですが奥様のお力をお借り出来ませんか?」と相談を持ち掛けてきたのは先月のことだった。値が張った分ものがよく、ものがよいので日常着としてがしがし着ていたらボタンホールが裂けてしまったという。彼女は暖の妻が洋裁教室で助手を務めていることを知っていた。暖の着ているシャツがほぼ彼女の手製であることもだ。
「訊いてみるよ」と言っておいて、暖はあまり熱心に関わろうとは思わなかったのだが、こういう依頼でもあれば子ども子どもと言う口がすこしは紛れるかもしれない、と思い直した。実にずるい考え方で、だが実際その依頼の話をしているあいだの蒼生子の目は生き生きとしていて、暖のもくろみは当たった。ボタンホールの他にいくつか修繕が必要な個所があったようで、その依頼を彼女は丁寧に請け、仕事をこなした。そうして仕上がったシャツを後輩社員は大いに喜んだ。すごい、すごいと目を輝かせ、写真に収めてSNSに投稿した結果、たくさんのいいねをもらったという。
 その礼の品だ。暖は「じゃあありがたくいただきます」と頭を軽く下げて紙袋を受け取る。後輩が「今日のシャツも奥様の手製ですか?」と訊ねる。暖は苦笑しながら頷いた。蒼生子があまりにも張り切って、もう家にはそれしか着るものがないのだから仕方がない。
「いいなあー」と実に羨ましそうに後輩が漏らす。
「自分の手製のシャツを旦那さんが着てるとか、どんな素敵夫婦ですか、もう。憧れちゃう」
「あなたも早くそういう彼氏作りなさい」
「あ、それこのご時世ではセクハラ発言ですからね。あーあ。彼氏がいたってさあ、シャツ着てくれるとは限らないし、そもそもあたしにそういう技術はないんですから、逆立ちしたって出来っこないですよ」
 どうやら後輩は「シャツを縫える技術とセンスを持った女性」と「それを理解してくれるパートナーの存在」に憧れているようだった。なんだかな、と内心で息をつく。確かに蒼生子の縫ったシャツは既製品よりよっぽど見栄えがいいし、着心地もいい。だからと言って家の中のものでそんなに「私」を主張されても、とは感じていた。蒼生子の縫ったクッションカバー、カーテン、テーブルマットにシーツに入る刺繍。彼女の好きな色と柄で揃えられた家具、生活小物、暖の使うボールペンに至るまで妻の手が入る。
 もっとも、暖は料理を作るのが好きなので、家で食べる料理はほぼ請け負っている。蒼生子にも「おれが作ったもの」を食べさせているのだ。蒼生子の身体を作っているのはほぼ自分だろうと思うと、反論は難しい。
 後輩が「学生時代からのお付き合いでしたよね」と言う。
「それでいつまでも仲がいいって、本当に憧れちゃう。ひとりの人と長く付きあうって、そこにはまればいいんでしょうけど、あたしは無理です」
「おれらだって必ずしも『はまって』るわけじゃないよ」
「そんなこと言って」
「ホントホント」
 と言うも後輩は本気にしない。くれぐれもよろしくお伝えください、と言い残して後輩は取材に出かけて行った。憧れの夫婦、な。不意に明るい社内がものすごく眩しく感じられて、暖は咄嗟に目を閉じる。しばらく瞑ってからまた開ければ、いつもの視界に戻っていた。
 次の取材の時間まで間があった。もらった紙袋をデスクの上に置きに行くと、暖の携帯電話が震えた。社で使っているものではなく、プライベートで使っている方だ。着信は幼なじみからで、久々だった。
 出るとすぐに『ダンのあほたれ』と罵られた。
「え、なに?」
『結婚式の招待状届いてるだろ? 返信早く寄越せっての。期限とっくに過ぎてんぞ』
「あ、」忘れていた。
 幼なじみの誠人(まこと)は長くパートナーがいなかったのだが、三十代も折り返し地点となったいま、ようやくそれと定める人が見つかった。確かに結婚を決めたときにそう報告を受けたのに、その後の披露宴の予定などすっかり頭から抜けていた。返信しようと思うことすらすっぽ抜けていたのはきっと、披露宴の招待状が届いたのが梅雨の終わりと重なるせいかもしれなかった。
「ごめん、ごめん。出るよ。行くよ」
 そう言うと誠人は『相変わらずノリが軽いな』とぼやく。
「フットワークが軽い、の間違いだろう」
『嫁さんどうする?』と訊かれた。
「ああ、蒼生子さん? どうかな、彼女はあんまりマコに会わせたことないし、大学時代の知人の結婚式とかならともかく、知らない人ばっかりだからな」
『そうかあ』誠人の声音が思いのほか沈んでいるので、不思議に思った。「どうした?」
『いや、おまえの嫁さんってピアノ弾けないかなって思ってさ』
 ピアノと聞いて心臓にずきっと衝撃が走った。ずっと求めていながら会えない人は、ごみ収集という人が嫌がりそうな仕事をしながら、ごみを扱うその手でピアノを弾いていた。
「……蒼生子さんは弾けないよ」
『おまえの周辺でピアノの上手なやつ、いない?』
「どうしたんだよ」
 暖は苦笑してみせる。
『いやー……。パーティでピアノ弾いてくれる人探してんだ』
「そういうのって式場のスタッフに任せとけばいいんじゃないの?」
『今回式を挙げるところが式場ならな。違うんだよ、おれと彼女の行きつけのレストラン借りてやる、披露宴ってよりはパーティだから、……それも招待状に書いてあるぞ。ちゃんと読めよ』
「ごめんってば」
『まあいいや。それでさ。当初ピアノを演奏してくれるはずだった人が不注意で指を骨折しちゃってさ。弾いてくれる人いないか、探しなおしになっちゃって』
「生演奏の必要のない演出にすればいいじゃないか」
『彼女の希望なんだよ。BGMになんとなくピアノが流れている中でみんな楽しそうに食事をしているような、そういう素朴だけど素敵なお式にしたい、だって。なんて純粋。かわいいだろう?』
「かわいいね」ピアニストに不都合が出てもそれを望む辺りに現実感のなさを感じたが、花嫁とはまた男性とは違う気分のものなのだろう。いまは口を閉ざす。
『な。だから旦那予定の身としてはなんとかして叶えてやりたいと思うわけ』
 と誠人は息をつく。それを聞いて暖の頭の中に浮かぶのはやはり鴇田だった。BGMでいい、という辺りがますます彼にそぐっているように思う。「お式いつだっけ?」と訊くと、『またそういう愚問を』と呆れながら言われた。
『それも招待状に書いてあんの! 今月最終の日曜日!』
「わるいわるかったってば。ひとり心当たりがあるけど、その人といま音信不通だからあんまりあてにはならないかもしれない。とりあえず当たってみる。……で、どうだ?」
『え、まじで?』
「音信不通を極めてるからそっちでも引き続き当たっといてくれよ。マコの方で見つかればそれでいいんだし。もしかしたらおれの方で見つかるかもっていう、それだけ」
『いい、いい。全然オッケー。いやー、さすがの人脈だけはあるよな、おまえは』
「最悪ピアノなしの式だけど文句は言うなよ。努力はするが責任は持てん」
『責任持つのはおれよ、おれ。努力しましたって過程が大事なタイプ、おれは』
「おれは結果が大事だと思うけどなあ」
 それからいくつか近況を話しあい、電話を切った。なんとなく胸の内側が湧いているのはきっと、鴇田に「連絡を取る努力」をしてみる都合のよい言い訳が出来たからだと分かる。分かっていて嬉しい。
 ただこの努力をしても鴇田に会えなかったら相当に落ち込むんだろうなというのは、やはり簡単に想像のつくことだった。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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