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a storm night



『連日の猛暑は次第におさまりつつありますが、今度は台風が北上しています。大型で非常に強い勢力の台風二十号が南の海上にあり、明日には沖縄地方に接近しそうです。予想天気図を見ていきましょう――』

 夏の終わり、秋のはじまりのニュースで気象予報士がそう言った。ぼんやりとテレビを眺めていた三倉暖は知らずのうちに「嵐が来るのか」と呟いていた。
「なに?」と食器を拭いながら妻の蒼生子が訊ね返す。
「いや、なんでもないよ」
「そう」
 蒼生子は食器の片付けに戻り、家庭内には沈黙が出来た。それはもう不自然なぐらいの沈黙で、原因は自分だと分かっていて暖はあえて修復を手放している。
 暖は最近、苛々していた。
 夏のはじまりに出会った男は、雨期の終わりごろ暖に恋心を告白し、それきり連絡が途絶えた。あれからもう一ケ月以上は経過している。夏の最も暑い時期が過ぎ、こうやって前線が次々と通過する季節に入っているというのに、未だに会えない。
 同じ街で暮らすと言ったのだから引っ越したわけではないだろう。だが電話は繋がらないし、男がピアノを演奏していた店に行っても姿はない。男の仲間すらいなかった。駄目もとで送ったメッセージも、一向に既読にならない。最終手段は職場で待ち伏せることだが、それをして彼を激しく乱すことだけはしたくなかった。――いや、冷たくあしらわれて自分が傷つくことが嫌なのだろう。
 ため息が出た。蒼生子が反応したように思ったが、それも放る。
 気象情報が流れ終わると、今度は番組の宣伝に切り替わった。だらだらと見ているようで見ていないテレビ画面を前に、暖は男のことを思い返す。
 いつかの夜、酒を飲みながら「好きな人には好きだと伝えたい」と言い切った男の、真っ直ぐな表情。あのときすでに惚れられていたのだろうか。知らずに聞いていたとしたらあまりにも迂闊で愚鈍な話だ。そして男は、それを実行した。有言を実行できる、誠実な人だった。それははじめて見たときからそうではないかという予感があった。だから興味があった。
 暖が鴇田遠海をはじめて見たのは、喫茶店での取材の場ではなかった。もっと前から暖は鴇田を見ていた。暖はテレビを消し、のろのろと立ちあがるとベランダへ出た。暖と蒼生子が暮らすマンションのベランダから、このマンションのごみ収集所が見える。要するにマンションの玄関口が見えるわけで、そこを行き交う人を見るのが暖は好きだった。人を眺めるのが趣味だと言ってもいいぐらい、よくベランダに出て見ている。登校していく子ども、会社に向かう大人。自転車で危なっかしく飛び出していく中高生。日傘の女性。休みの日の朝はたいていベランダでコーヒーを飲みながらぼんやりする。そのいつもの眺めの中にごみ収集車がやって来てごみを回収して去っていく、それがあった。
 収集作業員にも様々な人間がいるのだろうが、たいていはスピード勝負でさっとごみを持ちあげ収集車に投げ入れて車に乗り込んで去っていく。短いあいだでもあれだけ体を動かせば、彼らは肉体労働者だろうと思いながら眺めていた。その中に男は混ざっていたが、はじめのうちは特に注目して見ることはなかった。
 冬だったと思う。寒い朝にいつものようにベランダに出てコーヒーを啜りつつ下を眺めていて、唐突に人の声が響いた。ごみ収集の作業員が大声で「ストーップ! ストップ! 止めます!」と叫んでいる。作業員は後方に据えられた緊急停止ボタンを押し、ごみ収集車の動きは止まった。作業員が急いでごみを引っ張り出す。なにかまずいものでも捨ててあるのを見つけたのだろうかと興味津々に眺めていると、彼は引っ張り出したごみ袋の中から灰色の塊を取り出した。いきもの、と認識した途端に暖は全身から血の気が引くような感覚を味わう。大きさからして小型犬か猫か。遠いせいではっきりしないが、作業員が手で掴んでいる分にはその灰色の塊はだらりとぶら下がっている。
 誰かがこっそり飼っていたペットが死んで、ごみとして廃棄処分したのだろうかと暖は考えた。ペットをそんな風に扱う家がこのマンションの中にあることを想像して、気分がわるくなる。最悪の想像――生きたままごみとして処分した――はしないように努めるも、脳裏をかすった。
 一生懸命目を凝らして一部始終を暖は見る。塊を取り出した作業員はもうひとりの作業員に指示を出し、車の中からタオルを持ってこさせた。それで塊を包む。包むとそっとそれを地面に置いて、ごみの収集作業を続行した。終えるとタオルで包んだ塊をやはり大事に持ちあげ、車に乗り込んで行ってしまった。
 あれが一体なんだったのかが気になり、確か清掃会社に就職した友人がいたと思い起こして連絡を取った。いきものの死骸かなにかを持ち帰った作業員がいなかったか、もしくはそういう話を聞かなかったかと訊ねると、友人は「ああ、鴇田だ」とあっさり答えた。
「トキタ?」
「若い作業員じゃなかった?」
「遠くて顔まで見えなくてね。すらっとした背格好で、姿勢がよかったのは分かったけど」
「そういうのなら鴇田で間違いないと思うよ。そう、あれは猫だったんだ。鴇田は勘がいいっていうのかな、袋の中になにが入っているのかを瞬時に悟るやつでさ。持った瞬間に動物が入ってるって分かって、慌てて封を開けたらしい」
「……死骸?」
「いや、生きてるぞ」
 そう言われてぞっとした。生きているものをごみ袋に入れて捨てた人間がマンションにいるかもしれない、と思うと気分は当然ながらよくない。
 だが友人は「ちゃんとあのあと飼い主も見つかったしな」と続けた。
「ん? え、あれ? 生きてる?」
「そう言っただろう? 生きてるよ、鴇田が助けたからな。あのあと自費で動物病院連れてって、衰弱してたけど、さいわい猫はどこも怪我なくて済んだんだ。しばらく鴇田が面倒見てたけどあいつはアパートで本当は飼えないからって言ってみんなで飼い主探して、事務所で飼うか? なんて話をしてたら欲しいって人が現れたから引き取ってもらったよ。まー、色々とラッキーだったな」
 その顛末を聞いてなんだか救われた。気分のわるさもすこし和らぐ。やがてその話題は「悪徳ブリーダーが繁殖に失敗した猫を生きたままごみ袋に詰めてマンションのごみ収集所に置き去りにした」ニュースとなって周囲を一時騒然とさせたが、きちんと刑罰が科されて騒ぎも収まった。そして暖は、その「トキタ」という収集作業員の姿を興味を持って見つめるようになった。ごみを収集しに来る中にらしき人がいれば徹底的に眺めた。眺める中で顔を覚え、動作を覚えた。きびきびと素早い動作ながら植木の花に気を遣ってごみを集めたり、ふとした隙に空を見上げるような仕草は、心のささくれた人にはないものだと思えた。無関心ではいられないなにかを持っている。
 育つ夏の雲のように、むくむくと「話を聞いてみたい」欲が湧いた。職権濫用と言われようとなんだろうと取材の申し込みを入れた。友人に仲介をしてもらって指名した。渋がられながらも対面出来たとき、そして肉声を聞けた瞬間は、素直に嬉しかった。
 その後、個人的な付きあいをしていく中で、好意はよりいっそう深まった。だからと言って暖のそれは鴇田のそれとは異なるものだったわけだが、告白されても暖はこの関係を続けるつもりでいた。元に戻れる。また笑って話が出来る。向こうの感情など全くお構いなしだったと言える。身勝手な付きあいをさせて、――それを思うとやはり後悔が湧いた。
 会いたいと思う。身勝手さをあからさまに出すなら、元通り誘いあって飲みに行く仲になりたかった。それほどあの日々が弾んで楽しかったのだ。本当に自己のかわいさに嫌になる。だがここで関係が切れるのは惜しい。
 いつか収集ルートを変えるとかなんとか言っていたせいか、その後マンションのごみ収集時間も変更になり、収集作業員の姿を以前のようには見かけなくなった。そのこともまた暖を苛々させている。
 カラリと音をさせて蒼生子が室内から顔を覗かせた。「お風呂先に入るよ」と言う。
「暖は?」
「おれはもうちょっとここでぼんやりしてる。先に休んでていいよ。明日も教室だろ」
「……今夜は、」
「――ごめんな、ちょっと考え事させて」
 それだけ言って蒼生子に背を向けた。蒼生子がわるいわけじゃない。彼女はなにもわるくない。ただ暖の気持ちの収まりがわるいだけだ。
 身勝手だ、と呟く。
 地上七階のマンションのベランダにも秋虫の声は届き、暖は目を閉じた。



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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