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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 やがてケントがやって来て、遅刻を詫びた。「来ないと思ってたよ」と言うと「気分転換です」と夫婦揃って同じことを言った。ケントが来てすぐに開店時間になってしまったのだが、客の入りがいまいちだったので三人で正装にも着替えず音を合わせていた。明るい曲がいい、と言ったのはケントだった。憂いや悲しみは奏でたくない、と。だからそういう曲を選んで演奏した。
 開店してしばらく、やって来た最初の客は三倉だった。彼はもう、常連並にこの店に顔を出していた。あまりにも遠海に馴染むので、ケントや紗羽もこの男を覚えてしまっていた。
「あれ? まだ開店前? 準備中?」
 三人が私服でいるのを見て、三倉は足を止めた。「開いています。どうぞ」と中へ促す。三倉の着ているシャツの肩先は濡れていて、ああ、また雨が降っているのかと遠海は思った。
 促された三倉がまっすぐに着いた席がカウンター席だったので、今夜おそらく蒼生子は同席しないんだろうな、と推測した。
 理由があるのかないのか、三倉は遠海と会うときは妻を伴わなくなった。三倉とは頻繁に会っている自覚があるので、「自然な流れで妊娠」を目指している不妊治療中の夫婦にとって邪魔なのではないかとふと疑念を抱く。とりわけこちらの感情はただの友情ではないだろうことを自覚しはじめていればなおさらだった。自分は三倉の道を邪魔している。三倉を応援しているようで、本心はただ三倉と過ごしたいだけではないか?
 三倉に会えると素直に嬉しい。嬉しい分だけあとが辛い。
「外、土砂降り?」と遠海は自分のタオルを差し出して訊ねる。三倉は微笑んでそれを受け取る。
「駅出たら結構強めに、いきなり降った。いまは小降りになったかな。今年はしっかり梅雨って感じの梅雨だよね」
「いつでしたっけ、六月のうちに梅雨明けしちゃった年」
「ああ、あった」
「あの年は確か猛暑で大変でしたよね。今年はわりと涼しいから、冷夏なのかな」
「どうだろう。晴れればいきなり暑いもんな。……出番、いいの? お仲間がいないけど」
 いつの間にか紗羽とケントは袖に引っ込んでいた。遠海は「またあとで」と言って慌ててバックヤードに下がった。
 着替えていると、化粧を終えた紗羽が口元をあげて「仲いいね」と声をかけてきた。
「はじめはしかめっ面で嫌がってたのに」
「そうだっけ」
「遠海がすんなり仲良くなる人って珍しいね。お客さんに声かけられても、褒められたって嫌な顔して適当に撒いちゃう遠海が」
「たまたまなんじゃない?」
 とあしらうも頬がすこし熱かった。身なりを整えることで紗羽の会話から逃げようとする。だが紗羽は「私たちにだって遠海はガードが堅くて」と手を緩めない。
「ケントが口説いて口説いて泣き落としてようやくセッションした夜まで半年かかったのにね」
「紗羽たちはちょっと強引だったよ」と言いながら、三倉も充分強引だったではないかと思い出す。
「そうだね、強引だったけど、楽しかったよね」
 過去形で言われるので遠海はふと顔を上げた。
「紗羽?」
「今夜もいい時間をね」
 紗羽が笑う。手洗いに立っていたケントが戻ってくる。「行きましょうか」と言われ、珍しく三人揃って楽器の元へ向かう。
 客の前に出て、五曲ぐらい続けてやった。いつものペースだったがいつもより紗羽やケントからスピード感を受け取った。スポーツのように体を動かし汗を流したくて奏でる音楽。ふたりのスピードに置いて行かれぬよう、遠海も体を震わせてピアノを叩く。
 気分転換というのは、彼らにとってその通りだった。
 いったん下がった際にケントの携帯電話が鳴り、それきりその日、ケントはステージに上がれなくなった。紗羽を伴って帰宅するという。あとを任されて遠海は急きょピアノひとつで場を繋ぐことになった。もっともこんなのは紗羽やケントとバンドを組む前までは当たり前のことだった。それほどふたりに馴染んでいたことに遠海は恐怖を感じた。
 知ってしまえば元には戻れない。感情や、経験、愛情。
 閉店まで残った客は三倉だけだった。
 着替えるのが面倒で、黒い服装のままバックパックを背負い、従業員らに挨拶をして表に出る。地上へ出るのぼりの階段は涼しかったが、出た途端に湿気て重たい空気に纏わりつかれた。店の看板の前に三倉が立っていて、電話をしていた。遠海に気づくとひらひらと手を振り、通話を終える。
「電話、いいんですか?」
「蒼生子さんに連絡しただけ。今夜は遅く帰るから休んでて、って。鴇田さん、今夜は時間があります?」
 遠海は咄嗟に時計を見た。もう午前零時を過ぎている。
「僕は構わないですけど、」
「じゃあもうすこしどっかで飲みません? 本当は今日、ちょっとは話せるかなと思ってたんだけど、鴇田さん出ずっぱりで演奏していたから」
 消化不良、と三倉は笑った。遠海の胸は苦しくなる。誤魔化すように「喉渇きました」と欲求を伝えると、三倉は「どこならまだ開いてるかな」と駅の方向へと歩き出す。
 駅近くの雑居ビルに入るチェーンの鉄板料理屋が深夜営業をしていたので、そこに入る。とはいえ遠海は腹が空いていなかった。最近はこんな風にちっとも腹が減らないので、食事を抜いてばかりいる。
 深夜だったので軽くつまめるものを焼いてもらうように頼み、中瓶のビールをふたりで分けた。
「今夜、あのふたりはどうしたの?」と開口一番、三倉は口にした。
「途中から鴇田さんひとりだったから」
「用事が出来たんで帰ったんです。まあ、あんな風にひとりで演奏ってのは、以前だったらよくあることでしたから、そんなにピンチな訳でも、気にすることでもなかったです」
 目の前に置かれた広い鉄板から発せられる熱でビールがたちまちぬるくなっていく。
「そういえばどういう経緯で結成したの、あのジャズトリオは」と三倉が訊ねる。遠海は思い起こして、僅かに苦笑した。
「あの店のオーナーの、伊丹さん」
 そう言うと、三倉は頭の中で思い出そうとしているのか目線を宙に浮かせた。
「あの、喋らないバーテンダーさん?」
「本当は喋るんですよ。会話の上手い人です。……伊丹さんは僕にピアノを教えてくれた人で」
「先生だった、てこと?」
「そうですね。教室をひらいていた訳ではないので先生、て感じはしませんけど。僕の母親もピアノを弾く人でしたが家にピアノがなかったので、大学時代の先輩だったっていう伊丹さんに頼んで伊丹さんの自宅にあるピアノ弾かせてもらってたんです。ちいさい僕を連れてね。そのうち僕も弾くようになりました」
「それがあの店であなたがピアノを弾いている理由?」
「はい。そのうち伊丹さんがお店をひらいて、よかったら店で弾かないかと伊丹さんに誘われたのが僕が二十歳を過ぎたころです。それであの店……前は別の、もっと狭いビルに入ってた店でしたが、そこで弾くようになったころ店に出入りしていたのが紗羽とケントで。あのころはまだふたりとも結婚はしてませんでしたが、学校の先生ではありました。それで一緒に演奏する機会を経ているうちに、いつの間にか」
 成り行きトリオです、と言うと、三倉はくすっと笑った。
「成り行きかあ」
「だから名前もないんです」
「でもいいトリオだよね。三人とも本当に気持ちのよい顔して演奏する。聴き心地は最高だし、見てても飽きない。今日、後半は鴇田さんひとりで、すこし淋しそうだった」
「そう見えました?」
「うん」
 意外な見解だった。特に淋しさを感じていた訳ではない。むしろひとりで演奏することは以前だったら当たり前のことで、そこに戻っただけの夜だと思っていた。
 そう伝えると、三倉は「鴇田さんはあまりすらすらと喋る方じゃないけど、」とビールを口にする。
「分かりやすい人だな、と思うよ。顔や態度に出てるし、音にも出るな」
「それはかなり恥ずかしいですね」
「そうかな? いいじゃないの、人間らしくて。おれはあなたのそういうところ、いいなっていつも思うよ。芸術って美しいけれど、結局は人間なんだよなあってあなたを見ていると思う」
 鉄板に焦げつきかかっている海鮮を三倉は箸でつまみ、口にする。咀嚼して飲み込んでから、「こないだあなたと観た映画」と話題を振る。
「あの映画の最後の方で、主人公が『また生きたいと思うか』みたいなことを喋ってたじゃん」
「はい」と答えるも、うろ覚えだった。映画の後半は三倉に気を取られてあまりはっきりとした記憶がない。確か、年老いた画家が妻に「また人生を送ってみたいか」と訊ねた、そんな内容だったと思う。
「あれ、鴇田さんはどう思う?」
「どう?」
「まっとうに人生が終了したとして、また生きなおしたいと思う?」
 すこし考え、遠海は「三倉さんは?」と先に答えるように促した。
「おれは生きたい」三倉は即答した。
「何度だって生きたいよ。人生はさ、辛くてしんどいこともあるけど、楽しいことだと思えるからね」
「……いま、楽しいですか?」
「ああ、楽しいよ。まあちょっと家には帰りにくいけど、仕事も充実してて、余暇は鴇田さんとこうやって飲んでたりね。実は今日はこれを鴇田さんに訊いてみたかったんですよ。生きるの、楽しくない?」
 なんでそんなことを、と訊ねると、三倉は「今夜の鴇田さんが淋しそうだったから」と言う。
「前に聞かせてもらった話をおれなりにずっと考えていてね。触られることに嫌悪感のある人生は、辛いだろうな、と。荒野でひとりきりで生きている社会じゃないですしね。でも本人におさまりがついてるならいいのかな、とか、色々考えました。それで今日店に行って、本当はちょっと飲んですぐ家に帰るつもりだったんだけど……あの演奏聴いて、なんだこの人すげえ悩んでるんじゃんって分かったら、鴇田さんと飲みたくなった」
「……」
「触れたくて触れられなかったり、触れられたくて触れられるのが怖かったりっていう感覚は、おれにはないです。でも想像すると、しんどいと思う」
「……」
「そういう鴇田さんが楽しいといいなと思ったんです。いまは、楽しくない?」
 問いを重ねられたが遠海はうまく答えられなかった。
 生きるのは、僕だったらこれきりにしたい、と思った。
 たったひとつ、一度だけの人生でいい。何度も生きなくていいから、三倉の傍でこうやって飯を食わせてください。
 他愛ないことを話して、とりとめなく笑う、この時間を甘受させてください。
 それだけでいいです。
 思ったことをアルコールと共に飲み込んで、遠海は代わりに「楽しいですよ」と無難に言葉を濁した。
 三倉は「困るな、そういう答えは」と本当に困った顔で笑った。その笑顔に容赦なく胸を切り裂かれる。



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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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