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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 触れながら三倉は、「おれも白状するとさ、」と言った。
「さっきは適当に流しちゃってなんか悪かったよ。……おれたち夫婦はね、もう何年もずっと不妊治療中なの」
 不妊治療。それが一体どういうものを指すのかを遠海はあまりよく知らない。ただ、子どもを望んでいるからこその治療だということは分かる。
「さっきの、離婚の危機から?」
「うん。まあ、離婚の危機がそもそもね。結婚して三年経ってまだ子どもが出来ないって言って、おれは子どもなんていなくていいと思うんだけど、蒼生子さんはそうじゃなかったんだよね。親とか周囲からのプレッシャーもあったみたい。思い詰めちゃってさ。それで、彼女の方から『私は妊娠できないのでよそで作るか別れてください』って言いだした。あんな台詞、言わせるべきじゃなかった。後悔してるよ」
「……その危機は、乗り越えたんですか?」
「まあ、そうだね。彼女の心の方が崩れちゃったからそれの治療に専念して。でもまあ、いまでも危機って言えば危機かな。不妊治療は継続してて、……あれって結構えぐいんだよね。家にはさ、蒼生子さんが買ったピンク色の本があって――って、こういう話、大丈夫?」
 遠海は頷いた。「経験はないですけど特に気にしないです」
「ならぶちまけちゃうけど、……ピンク色の本ってのはやらしい本って意味じゃなくて、子どもをつくるための指南書みたいなさ。大体ベビーピンクが使われてるんだよ。それで、妊娠しやすくなる漢方とか、ストレッチとか、タイミングのはかり方とか、色々書いてあんの。彼女必死になってそれ読み込んでてさ。実践して、試す。子どもって当然だけどひとりだけで作れるもんじゃないじゃん。旦那さんの協力がとか医者に散々言われたよ。夫婦一丸となって、精のつくもの食べたり、男性不妊じゃないかって検査したり。……最近じゃあリラックスする中で自然にするタイミングで出来やすいとか信じちゃってさ。時間に融通利かせてめし食いに行ったり、映画見に行ったりとかさ」
 ああ、と遠海はそこで納得した。ふたり仲がいいからしょっちゅう一緒なのだと思っていたが、理由は単純にそれではなかったようだ。
 こんな話でわるいね、と三倉はビールを飲み干すと二杯目をお代わりした。だがまだ話を続けるようで、眉間に皺を寄せながら言葉を探っていた。
「なんて、言うかな、――疲れた。少なくともおれは、この生活に疲れてる。でも自分の奥さんがそんなに必死になって望んでるんだから、おれぐらい彼女を守ってやんないと、理解してやらないと誰がするんだ、と思って彼女の言うとおりにしてる。義務感、かな。もしくは果たすべき使命、役割。確かに子どもが出来たらかわいいかもしれない。けどいまは正直、子作りとか夫婦生活とか、セックスなんて言葉すら聞きたくないぐらいには、息切れ」
 三倉の元に二杯目のビールがやって来る。遠海はぬるくなったビールを諦めて、ジントニックをオーダーする。
「だからさ、こうやって鴇田さんと過ごす時間って貴重。わるいけど、ほっとする。鴇田さんとのあいだには当然だけど義務も使命もないからね。――ひどい旦那だとは思うんだけど、家にいない方が楽なときがあって、……要するに逃げてるんだよなあ」
 ふ、と三倉は息を吐く。瞳に疲労が滲んでいた。遠海の胸中はざわついていたが、この男がそこまで気を許してくれている事実は、嬉しかった。
「必要な逃げってあるんだって、高校の頃の物理の先生が言ってました」
 そう言うと三倉はこちらを向いた。
「Aっていう目的を達成するためには、Bっていうルートじゃなきゃだめってことはなくて。CもあってDもあって、でもEっていう回り道もあって、そもそもそのルートを通るのをやめる、っていう方法もあるんだって。もしくは達成しなくていいAだってこともある。だから壁にぶち当たったと思ったら、高いところに登って見渡しなさいと言われたことがあります」
「……素敵な先生に教わったんだ」
「だから、行き詰まったら遠ざかっていいんです。……僕でよければ、いくらでも飲みに誘いますし、めし食いに行きますし、話も聞きます。電話でもいいです。メールとかでも。……三倉さんが楽になるなら」
 三倉は眩しいように目を細め、「甘やかされたら甘えてしまうよ」と情けなく笑った。
「鴇田さんさ、おれのこと強引だって最初思ってたでしょう。鬱陶しがってた」
「記事にされるのが嫌だっただけです。記事にはならなかったし、いまはあんまり思ってない……。僕はあまり友達がいないので、三倉さんみたいな距離の詰め方ってのはびっくりしましたけど、でも、」
「ん?」
「誰かの力になりたいってのは、思うんです。例えばでピアノの話をしますが。聴いて元気を出してもらいたいとか、感動してもらいたいとかは思っているわけじゃなくて、……BGMでいいから、なんとなく作用してるみたいな……生活の添え物でいいから、その人がすこし豊かになるために音楽があればって……うまく言えないんですけど、そんな感じ」
「……ああ、いま納得した。あなたがクローズアップされたくないと言った意味。なんていうのかな、あなたのピアノは激しい自己主張もないし、強い個性も感じないけど、やわらかくて穏やかで、気づけばいつの間にか傍にあるんだよね。……うん、」
 頷いて、三倉は遠海の背をまた軽く叩いた。
「あなたのピアノ、好きですよ。穏やかな春の海みたいだと思う。遠浅にどこまでもやわらかく透きとおっている、ぬるい温度の海。たまに激しいけれど、それも海のおおらかさなんだと思う」
「……」
「だからさ、鴇田さんはやっぱり興味深いな」
「……ありがとうございます」
 聞けたのは飾らない本心だろう。自分のピアノをこんな風にたとえてもらったことはない。遠海の心臓がとことこと走り出す。体を駆け巡るアルコールが気持ちいい。
 気持ちがよいと感じる分だけ三倉の告白を重く感じた。三倉がそういうなら、次はあなたのための弾きますと、遠海は心の中で呟く。
「――水琴窟の店、」
 と言うと、三倉は「ああ」と素の顔をした。
「行きたいです」
「うん、行こう。いつがいいかな。昼しかやってないんだよね、その店」
「何料理なんですか」
「川魚が専門。当然だけどうなぎが人気。ちょっと値がいいけど、最高にうまいよ」
「まだ土用には早いですよね」
「でもじきでしょう。……夏が来るなあ」
 いつがいいかな、と三倉は鞄の中からスケジュール帳を取り出す。ぱらぱらとめくり、「そういえば」と言った。
「そのうちあなたの職場に行きますよ」
「……前に田代さんが言ってたの思い出しました。取材ですよね」
「そう。田代に取り持ってもらって、社長さんにインタビュー。就活支援目的でいろんな企業の代表者から話を聞いてる連載もあってね。今回はおれが担当だから」
「いろんな連載抱えてるんですね」
「小さい会社だから、順番でいろんな記事の分担が回ってくるだけ。鴇田さんが仕事をしているところ、見られるかな?」
「どうでしょう。ほとんど外でごみ回収するだけの仕事ですからね。会社にあんまりいない」
「そうか。余計に楽しみだな」
 三倉はにっと笑い、ビールを口にした。


 水琴窟の聞けるうなぎ屋に、紗羽は行ったことがあるという。翌週、セッションのために集まった際に、彼女は「ずっと昔だけどケントのご両親が来たときにうちの両親と合わせて行ったよ」と教えてくれた。
「典型的な日本家屋みたいな造りの、立派な建物でね。そこの中庭に水琴窟があるのよ」
「オーストラリア人にうなぎはどうだったの?」
「うなぎの生きてるところを見てはじめは顔顰めてたけどね。甘辛のタレが美味しかった、また来たいって大喜びだったよ」
「あれ? そういえば今日、ケントは?」
 いつもならとっくに来ている時間だったが、ケントの姿はない。紗羽は首を軽く振った。
「ちょっとね」
「何かあった?」
「んー、オーストラリアのお義父さんの具合がよくないって、マリナから連絡あったのよ」
「マリナって、メルボルンに住んでるケントのお姉さんだよね」
 うん、と紗羽は頷く。
「ケントのお父さん、癌なんだって」
「え?」
「具合悪くて倒れて救急搬送されて、そこで癌だって分かったの。ものすごく進行してて、だから向こうでばたばたしてるみたい。気の強いマリナがケントに慌てて連絡寄越すぐらいだから、あまり時間がないのかもしれない。……ケントは優しいから、頑張ってマリナを励ましたり、向こうのお義母さんを励ましたりしてるけど」
 紗羽はうつむき気味に語った。今夜ここにいても大丈夫かと訊ねると、紗羽は「気分転換になるしね」と顔をあげて答えた。
「生きものだから、死ぬときは死んでしまうし」
「……そうだけど、愛着や情や縁があったら、そう簡単には割り切れないよ」
 そう言うと、紗羽は「そうだね」と息をつき、弦を引っ掻いた。その音がはじまりのAだったので遠海はぼんやりと想像する。人が生まれるときの音。では、死ぬときの音はあるのだろうか。




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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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