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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 始発でアパートに帰り着き、休みだからと存分に寝倒して、昼過ぎに着信で目を覚ました。
 紗羽からの電話だった。次回のセッションの予定まで日があったのだが、急きょ今夜演奏するので来られないかという内容で、SNSではなく電話で訊ねてくる辺りに紗羽の焦りを感じられた。スケジュールを確認するまでもなく承諾する。紗羽は「ありがとう」と答え、いつもの時間に、と電話は切れた。
 会ってみれば紗羽もケントもいつも通りで、特に焦りも感じなかった。紗羽が「あの人呼んだらいいよ」と言い、ケントも頷いたがなにを言われているのかはよく分からなかった。
「あの人、みくらさん」
「どうして?」
「多分、これっきりで当分のあいだはセッション出来ないから」
 そう言われて、遠海は思わず顔をあげた。
「――これっきり?」
「うん。私たちね、しばらくオーストラリアに行くの」と言う。
「三人でやれるの、当面はないから。来てもらえそうなら呼んだら? って思って。最近すごく仲いいからさ」
「いや、それは……、――え、オーストラリア?」
 重要なことだ。訊くと紗羽はケントに目配せをする。楽器に触れていたケントは、わざわざそこを離れて紗羽の傍へやって来て、肩を抱いた。
「父が亡くなりました」とケントは答えた。
「今夜ここで演奏したら、明日には日本を出てオーストラリアに向かいます」
「……もしかして昨日バタバタしてたのって、」
「そうですね。マリナからの電話でした。そのときはまだ死んではなかったんですけど、危ない、っていう知らせでした。それで今日の朝、また連絡が入りました」
「亡くなった、って?」
「ハイ」
 ケントはうつむく。次を紗羽が継いだ。
「お義父さん、本当は自分が癌だって知ってたんだって。でも自由に生きたいからって、言わなかったんだって。痛いとか苦しいとか、全く言わなかったんだって。……私たちは離れているからともかく、傍にいた家族はやっぱり呆然って感じで。葬儀もあるし、とりあえず帰ろうって」
「それは……」
 言葉が見つからない。ただ無性に三倉の手が恋しくなった。無遠慮な力加減で背を叩いてほしい、と。
「お義母さんがだいぶ参っちゃってるみたいでね。すこし長めに帰ろうかって、休暇申請してきたんだ」
「長め、って、どれくらい?」
「ビザが切れるまで」
 その答えは、遠海の気を遠くさせた。
 場が暗転したように思った。足元が暗くてうすら寒い。
「だから今夜でひとまずラスト」
「すみません、トーミ。勝手に」
「いや、仕方がないよ、こういうのは。仕方がない、……うん」
 言葉を繋げられない。
「だからそのみくらさんも呼んでさ。楽しくやろうよ。私も友だち呼んだし」と紗羽が言う。
「いや、三倉さんは……昨日会ったし、」
「いいの?」
「僕が会えなくなるわけじゃないし、……」
 と口にして、遠海は愕然とした。なんて言い方だろう。なぜここまで近くに感じているのだろう。
 妻のいる人だろう。
 同性の、最近知り合っただけの人だろう。
 異性でもないのに、あの人に対してうろたえている自分がいた。
 紗羽に「あの人のことを遠海は好きなんだと思ってたな」と言われ、遠海は瞬間的に目を閉じた。
「……どうしてそう思ったの、」
「違った? 違ってたらごめん。だけど遠海、あの人には距離を許している感じがするから。よく笑うし、楽しそうだし。なんかこの人たちは、近いんだなって、思ってた」
「近いかな」
「自覚ない? だって遠海は通常の距離感が遠いからさ。あの人は遠海が許した人なのかなって、私は思ったけどね」
 そうでもないんなら別にいいよ、気にしないで、と紗羽は言い直した。
 遠海はうつむいた。
 三倉は男で、妻のいる人だ。
 でもこれは恋だ。人生最悪の求心力を持った、叶うことのない恋だ。
 どこかで気づいてはいた。恋のにおいを嗅ぎ取っていた。でもそれに名称を付けることをやめていた。自覚すれば関係が壊れそうな気がしていた。恋を隠したままいつも通りの顔で三倉に接することは出来ない。そこまで器用に出来ていない。
 けれど紗羽やケントは気付いている。周囲には分かる。だったらもう、恋だと名づけようが名づけまいが同じことだ。
 三倉が好きなのだ。触れられないけれど好きだと告げたい相手は、三倉だ。
 ……どう足掻いても触れられない人なのだから、苦しまずに恋を終わらせられるか?
 絶望が内からこみあげる。鼻の奥がキンと痛んで辛かった。瞬間的に頭を抱える。突っ伏した遠海を紗羽とケントは気にした。「大丈夫?」と心配されると、甘えたいのか「う」と呻きが漏れた。
「遠海、」
「……そうだよ」
 全身に鳥肌が立っている。その粟立った肌をさすりながら遠海は顔を上げた。
「あの人が好きだよ」
 漏らすと、同時にまた呻き声が出た。
「あの人と話していると嬉しい。あの人が聴いてくれると思うとピアノにすごく緊張して、楽しい。あの人には触れられても嫌じゃないし、むしろ喜んでしまう。けど、……けど、」
 ぐ、とこらえるように身体に力を込めると、喉が鳴った。
「あの人には奥さんがいて、そもそも同性で。好きになっちゃいけない人だ。本当は会ってちゃいけない人。だから知らないふりをしてたのに、……紗羽が、そんなこと言うから、」
「ごめんなさい」と紗羽は言ったが、中に謝罪はなにも込められてはいなかった。
「トーミ」
 黙っていたケントが口をひらいた。
「気分転換しません?」
 その申し出が意外で、遠海は瞬時にケントを見上げた。
「演奏するんじゃん、これから」
「いえ、僕たちのところにトーミも来ましょう」
「え? オーストラリア?」
「ええ。旅行でもワーキングホリデーでもなんでもいいです。日本を離れてみませんか?」
 ケント淋しいような笑顔でこちらを見ていた。紗羽もケントの肩に頭をもたせ、慰めるときそのままの顔で夫の言葉に頷いている。
「……パスポート持ってないし、」
「取得すればいいですよ」
「英語も出来ない」
「僕とサワがいます。大丈夫です」
「仕事を辞めるつもりはないし、……休みも取れるかどうか、」
「取ってください。大丈夫、すこし離れるだけ。」
「どうしてそんなことを言うの?」
「トーミが辛そうだからです」
 そう言われて、遠海はまた呻いてうなだれた。
「気分転換です、キブンテンカン。このままだとトーミは色んな感情や状況のせいで動けなくなりそうで、それを僕は、えーと、嫌な気分に思います」
 そんなこと考えもしなかった。気分転換、言うなら失恋旅行だろうか。
「さっぱりしますよ、きっと」
「うん、私もそう思う」
 紗羽も同意する。遠海はうなだれながら「考えさせて」と答えた。
「もちろんです。僕らは先にオーストラリアに行きますが、トーミが来るつもりなら大歓迎です。……考えてみて、考えたらいつでも連絡をください」
 触りますよ、と言ってケントは遠海の背をぽんぽんとはたいた。紗羽も同じく触れてくる。このやさしい友たちとの別れが迫っていることもまた、遠海をひどく動揺させている。
「今夜も楽しい音楽を」
 とケントが言い、それぞれ楽器の元へ向かう。ケントがリズムを刻みはじめると、チューニングを終えた紗羽もそのリズムに乗った。
 遠海は三倉を呼ぶか考えたが、結局なにも連絡を取ることはしなかった。
 ふたりの元へ行って、ピアノを鳴らしはじめる。
 いつもの楽しい音楽が待っていた。


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寒椿さま(拍手コメント)
いつもありがとうございます。
気の強い日本人の妻と優しい外国人の夫という関係は、私の好きな友人に寄せた部分があります。(もっとも、音楽は嗜みませんが。)
私自身は習い事のピアノを弾けずに面白くない思いをした部類ではありますが、弦楽器の音色はとても好きでつい聞き入ってしまいます。これを弾ける人、これに近い人はどんなに豊かだろうかと想像すると、寒椿さんの環境には憧れに近いものを抱きます。
長編になりますが、一貫したのは「音楽を頼って執筆すること」でした。こんなに様々な音源を聴いて書いた作品はありません。追々紹介、あるいは文中で楽しんでいただけると嬉しいです。
1回の更新のボリュームが多めであるのに加え、現段階ではまだ書けてしまいそうで悪あがきをしています。そんなのを含め、最後までお楽しみいただけるように更新続けて参りますので、どうかお付き合いください。
「梅雨前線」はひとまず明日でラストです。遠海の決意を見守ってください。

拍手・コメント、ありがとうございました。
粟津原栗子 2020/08/27(Thu)20:34:42 編集
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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