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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「地図?」
「ああ、……今度から収集ルートを変えるので、その案を」
「あ、仕事か」
「いえ、別にこんなのはいまやらなくたっていいので。……今日、蒼生子さんは、」
「彼女だって別に四六時中おれにくっついてなくたっていいんだよ。――今日もお疲れさま」
 やって来たビールのグラスを合わせて、まずは杯を煽る。言ったとおりにすぐに食事がやって来たので、「準備がいいね」と三倉は嬉しそうに箸を取った。「腹減ってたんだ」
 置かれたピザの皿から三倉はひと切れ取ると、美味そうに口元へ運んだ。それを見ながら遠海はまたぐびりとビールを飲む。
「食わないの、鴇田さん。冷めるよ?」
「あんまり腹が減ってないので」
「だからってオリーブばっかりつまんでちゃだめだろ。すいません、メニューください。食事の方を」
 フードメニューを受け取り、三倉が選んだのはトマトとズッキーニのスープだった。
「もう夏野菜か。そんな時期だよなあ」と三倉がしみじみとこぼす。
「考えてみれば夏至はもうとっくに過ぎたもんな。一年あっという間」
「時間の経過を早く感じるってのは、ときめきがないせいらしいですよ」
「えー、こんなに毎日ときめいて暮らしてるのに、そりゃないよ」
「そんなにときめくことあります? 毎日」と冗談めかして言うと、三倉は思いがけず真面目な顔をした。
「あるよ。あるから記者なんて仕事してんだよ」
「ときめきを文字に起こす仕事?」
「そー。この事実を知った人はどう思うんだろうっていう得体の知れない未知へのときめき。淡々と事実を伝える役割だけど、そう思ってばっかりで仕事はしないです。……ま、でも、ある程度の諦めや未来予測はあるかな。こう持っていけば読者はこう感じ取ってくれる、みたいなの。だからここはこういう言い回しにしてこれは削る、とか。……そう考えるとときめいてなんかないね。夢のない仕事だよ」
「金もらってんですから仕方がないです。ある一定の基準はクリアしないと、でしょう。どんな仕事も」
「そうなんだけど、言い訳がましいよな。子どもや若い人には夢を持てだのなんだの言っといて大人の有様はずるいよね」
 と三倉は息をついたが、「鴇田さんも充分若い人だな」と苦笑する。
「もう二十八歳ですよ」
「若い若い。おれからすればもう、全然」
 色々と老いを感じることばっかりなんだよねえ、と三倉は言った。喋りながらもちゃっかり食は進んでいて、遠海は紗羽を連想した。強かな人、という印象は共通する。
「二十八歳のころってなにしてました?」と訊くと、三倉はしばらく考えて、「あんまり人には話してないことなんだけど、」と前置きした。
「聞いちゃっていいんですか、僕が」
「鴇田さんを信用してるからね。でも田代や周囲はうすうす知ってるかもしれないな。結婚して三年目で、離婚の危機だった」
「……浮気でもばれたんですか、」
「人聞き悪いな、そんな印象かなあ、おれ。浮気出来る度胸なんてないよ」
「人って分からないものですからね」
「そうなんだけどあなたに言われるとちょっと淋しくなるな。……まあいいよ。好きに取ってくれ。二十八歳は離婚の危機でした。おしまい」
 すねたように三倉はビールを煽る。そのまま沈黙が出来た。遠海は後悔した。冗談のつもりだったのだが、ニュアンスがうまくない。会話の方向をいま自分は間違えたのだと思った。
 どうにも上手に沈黙を流せない。運ばれたスープに口をつけられずにいると、ややあって三倉が「鴇田さん分かりやすいな」とすこし笑った。
 ぽん、とたわむれに背中を叩かれ、遠海はあからさまに背を引き攣らせた。
「と、ごめん」
「……いえ、」
「鴇田さんって、触られるの苦手?」
 言い当てられて遠海は動揺したが、三倉相手に隠すこともないかと思い、「そうです」と答える。
「多分、人よりパーソナルスペースが広いんです」
「なんか理由があるの」
「全然なにも。なにもないです。ただ親が、僕の両親って人たちが、子育てが下手だった。多少神経質に子どもを育ててしまった。強いて言うならそれだけだと思います」
 そう言うと三倉は迷うそぶりを見せたが、好奇心には抗えないようで「聞きたい」と続きを促した。
「虐待とか、DVとか、ネグレクト、そういうんじゃなくて、本当になんにもないんですけど」
「うん」
「その、僕は両親に抱っこされたとか手を繋いで歩いたとかそういう記憶が全くないんです。ないってことは、そんなにしてもらわなかったんだと思う。両親は僕に対してどう触れていいのか分からなかったんだろうなっていうのが、いまのところの考察です。はじめての子どもだったし、余計に戸惑ったんでしょうね。あとは僕自身の性質がそうなのかもしれません。でも、……それだけなんです」
「……うん」
「普通の家庭に育って、両親共に健在で、兄弟もいて、僕に不幸と言えるものはなにもないです。いまちゃんと仕事があって、働けて、自立出来てる。親に迷惑はかけてないし、そのときが来たら親の最期を看取るでしょう。だからなんにも問題ない。ただ、」
 そこで息を吸った。「ただ?」と三倉が問い直す。
「どうしても、触れられること、触れることは、怖い」
 身を乗り出して遠海の話を聞いていた三倉が、ぱっと身を引いた。遠海は内心で苦笑するも、フォローは出来なかった。
「はじめて人と接する距離を意識したのって、いつでした?」
「おれ? 意識した、っていうのは特にないかなあ」
「きっとみんなそんな感じなんですよね。でも僕には大事件でした。中一のときにやたら距離の近い友人がいて、そいつはべたべた、肩を組んだりちょっかい出して来たりが当たり前で、他の友達はそれを軽く流してたんだけど、僕は出来ませんでした。ぞわぞわして、落ち着かなかった。修学旅行のバスの座席とか、誰かと一緒に寝る空間とかが落ち着かなくて。はじめは神経質だからなんだと思ってました。
 高校に入って本当に好きな子が出来て、僕はその子の声とか、手のかたちとかが好きだったんですけど、……触りたかったんですけど、出来ませんでした。向こうも好きだと言ってくれて、好意がこちらに全面向いたときにね。僕は逃げました。瞬間、怖くてたまらなくなった。心が好きだと言っているのに、身体が勝手に逃げていく感じ。最大の防衛本能だったのかもしれません。近い距離に誰か他人を置いて、傷つけたとか傷つけられたと感じるのが、嫌だったのかも」
「……」
「自分はこのままじゃ誰とも添えずに死んでくんだと思ったら、それも怖くて。周囲に知られないように心療内科とかかかったんですけど、どうやっても自分のこの体質? を医者に話せなくて。いまだったら話せるかもしれないですけど、昔はもっと頑固でこわばってたんですよ、僕は。だから医者もどうしてよいやらそのまま、慰めみたいなビタミン剤出されて終わりました。結局飲んでいません」
「……誰とも恋愛したり、触れ合ったり、その、……そういう経験が、ない?」
 遠海は頷いた。誰にも告げず内緒にしてきた事柄だったが、三倉には隠さなくても受け入れてもらえるように感じた。もしくは受け流してもらえる。
「いつも思うんですよ。次に誰かをきちんと好きになったら、逃げたくないなって。僕はどういうわけだかあなたに触れられないし、経験もちゃんとしたのがないけど、でもあなたが好きですって、言いたい」
「そうか、……」
 また沈黙が流れる。しばらくして三倉は「わるかった」と言った。
「あなたの、……きっととてもナイーブな部分にだいぶずかずかと踏み込んでいるみたいだから、おれは」
 否定はしなかった。
「でも、触っていい?」
「え?」
「鴇田さんがいま怖い顔をしているから。すこし、背に手を置くだけ」
「……」迷う気持ちがあった。
「伝えたい。おれは鴇田さんを傷つけないよって、分かってほしいんだと思う」
 気持ちわるい? と訊かれ、遠海は首を横に振った。
「気分がわるかったら言います。そのときはやめてください」
「分かった。――触るよ、」
 吐息と共に背に熱が触れた。遠海のシャツ越しにごしごしと力強く触れてくる。これが三倉の人への接し方なのだと思ったら、鼻の奥が痛んで参った。それをいつでも当たり前のように享受しているのだろう存在を思うと、苦味が口の中にこみあげる。



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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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