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 知らずに過ごしていたときは当然ながら気にも留めず、だが一度知ってしまえばこうもタイミングが重なることって一体なんだろうな、と遠海は思う。ジャズバーの一件からまだ一週間も経たないだろうと思う雨の日に、遠海は再び三倉と出くわした。今度は映画館だった。
 休日、時間を持て余していたからやって来た映画館で、特にこれが観たいというものがあるわけではなかった。一方で三倉は妻の蒼生子を伴って来ていて、チケット売り場に並んでいた。日曜日の雨の日、遠海と同じように時間を持て余した人で映画館はわりと混雑していた。
 遠海はもう、この男に出くわすとなんとなく落ち着かない気分になることに気づいていた。それがどういう感情から来るものかまでは図りかねている。けれど自分の感情を追及しようとまでは思わなかった。突き詰めてしまえばなにか恐ろしいものが顔を覗かせそうで、それはあまり歓迎すべき事柄ではなかった。
 ぼんやりとロビーのソファに腰かけていただけの遠海を見つけた三倉は、ひらひらと手を振った。チケット売り場に並んでいたのにわざわざ離れて遠海の傍へやって来る。
「今日はお休みですか?」と三倉はゆったりと笑って座っている遠海に話しかける。
「休みです。……三倉さんも、」と、三倉の妻が並んでいるチケット売り場にちらりと目をやる。「奥さまと仲がいいですね。デートですか?」
「あ? ああ、そうだね。うちは結婚してもう十年経つけど、子どもがいないもんでね」
 そのとき三倉は遠い場所を見るような表情を一瞬だけ見せたので、遠海は僅かな違和感を受け取った。
「学生の頃からの付きあいだから、夫婦だけど、友だちみたいな感覚があるかな。……なに観に来たんです?」
 にこっと三倉は微笑む。「特になにも」と答えると、三倉は驚きながらも興味津々に顔を明るくした。
「映画を観に来たんじゃないんですか?」
「そう、ですね……。暇つぶしというか、」
「ああ、これから観る映画を決めるの?」
「いえ、……映画館が好きなだけです」
「観るつもりはない、ってこと?」
「はい。面白そうなものがあれば、と思いましたが、今日は別に観なくてもいいかな、と」
 三倉はやや面食らったような顔をしていたが、やがて口元に手を当ててくすくすと笑い出した。「特に観たい映画もないのに映画館に来るのかあ」
「……馬鹿にしてます?」
「あ、そう受け取ったなら謝ります。馬鹿にしたつもりは全くないんです、ごめんなさい。ただやっぱりあなた、はユニークな発想をしているような気がして」
「……」
「着眼点が違って面白い。常識とか、普通は、ってことに捕われていないってことなのかな? なんかいいよなあ、鴇田さん」
 それから三倉は顔を上げ、妻の並んでいるはずのチケット売り場に目をやった。「よかったら一緒に映画を観ません?」という。
「――いや、それは」
「席がうまくみっつ空いてるといいな。――鴇田さんが嫌でなければ」
「いえ、……ご夫婦の時間に混ざるわけには」
「ああ、ならたまたまここに居合わせた縁、てやつです。この間の雷雨に入ったあの店であなたがピアノを弾いていたタイミングみたいたもの」
 ね、とやさしく、だが強引に売り場へ引っ張って行かれた。ちょうど購入順がまわって来たところで、蒼生子にわけを話すと彼女も嫌な顔ひとつせず「もちろんどうぞ」と言う。三倉は「大人三人」と言ってさっさとチケットを買うと、列から離れて改めてソファへ座りなおした。
 じゃ、これ鴇田さんの分のチケットね、と手渡され、遠海は呆気にとられてしまった。
「まだ上映まで少し時間があるね。つまらないと思ったら寝てもいいし、途中退席してもいいですから。私の好きな俳優の言葉ですが、映画なんてそれぞれが好きに観ればいいよ、だそうです」
 チケットには知らないタイトルが印字されていた。せめて料金をと申し出たが、「強引に誘いましたし」と断られてしまった。
「じゃあ、……飲み物は僕が出します」
「気にすることないのに」
「気にしますよ、そりゃ」
 三人分の軽食を買い込み、開場になったシアターへ移動する。蒼生子と遠海で三倉を挟むようにして座った。
 三倉の隣から蒼生子が「ごめんなさいね」といまさらながらに夫の強引さを謝罪した。
「いえ、……まあ、なんかもう、三倉さんに対してはいいです」
「ふふ」
「どういうことだよ」
「好きに取ってください。……どういう映画ですか?」
 チラシやポスターは置いてあったがろくに眺めないうちに入場してしまった。夫妻はパンフレットを後で購入予定だと話していたので、遠海はこの映画のことをなにも知りようがなかった。
 劇場内にはあまり人がいなかった。休日であってもこれを見ようという人は少ないらしい。さほどの話題作でもないのだ。三倉は「画家の一日」と端的に答えた。
「画家の一日、」
「ええ。実在した画家の一日の様子をただ映した映画だそうです」
「ドキュメンタリーですか?」
「いいえ。役者が演じていますよ。ほら」
 と、三倉はいつの間にか手にしていたチラシを遠海に見せた。そこには確かに有名な俳優らの名前が連なっていた。ベテラン級が勢揃いしている。
 三倉の向こうから蒼生子が「こういうスローな映画が暖の趣味なの」と苦笑した。
「暖はゆるいライフスタイルを描いた映画が大好き。読む本も漫画も、聴く音楽もそう。興味惹かれるのは梅干しを何十年も漬け続けて来たおばあちゃんで、美しい見た目のハリウッド女優にはホントにつまらなそうな顔するんです」
「……蒼生子さんはハリウッドスターが出てくるような映画が好きなんですか?」
「ふふふ、そうね。血湧き肉躍るようなストーリーと演出の映画が好きだわ。これは暖と趣味が全然合わないの」
「蒼生子さんの好きな映画はおれには刺激が強すぎるよ」
 と、三倉は椅子に深く沈む。だったらふたりで映画を観るよりもひとりで観た方がいいのではないかと思ったが、そこは夫婦の関係性の問題なので遠海は口の挟みようがない。
 三倉に「鴇田さんはどういう映画が好きなの?」と訊かれ、遠海はすこし考える。
「……洋画が好きです、多分」
「多分ってなによ」
「あまりたくさん映画を観ている訳ではないので」
「休みの日に映画館に来ちゃうぐらいなのに?」
「映画館の雰囲気が好きなだけです」
「……いままでで観た映画の中でいちばん面白いと思った映画って、なに?」
 三倉が話題を変えた。
「オーケストラのドタバタを描いた映画、ですかね。言葉は英語ですらなくて全く分からなかったですけど、音が良くて、好きでした。昔は名演を鳴らしたオーケストラが金の都合で解散して、でも一念発起して昔の仲間で最高の音楽を奏でる話。もう年取った人たちがいい音出すんですよ。何度も観ました」
「面白そうだ」
「いまはもう配信されてたりDVDになってるんじゃないですかね。……いつかどうぞ。お勧めします」
 ぽつぽつと喋っているうちにフッと明かりが落ちた。「はじまる」と小声で三倉が呟く。はじめは別の映画の番宣や劇場での注意事項で数分。やがて静かに本編の上映がはじまった。
 緑色の映画、と遠海は思った。
 とにかく自然描写が凄い。延々と蟻の蠢きをカメラは飽きずダイナミックに追っているのだから驚いた。本当に実在する人を撮っている、と俳優自身が画家そのもののように感じられて、錯覚した。その妻役の女優も、脇役も、こういう人たちが存在したと思わせるリアリティがあるのに、どこかコミカル。映画にはぐんぐんと引き込まれた。
 買ったサイダーを飲もうと左手を伸ばすと、同じくドリンクに手を伸ばしたらしい三倉の手と重なり、そこで現実に引き戻された。
「――すみません、」息の音だけで謝る。
「いや、こちらこそ」
 その戻された現実の中で、三倉の隣には静かに健やかな寝息があることに気づいた。
「……蒼生子さん、」
「うん、寝ちゃった」
 つまんないんだろうなあ、と三倉は苦笑する。そしてドリンクをひと口飲んで僅かに体をずらす。とん、と三倉の右膝の先が遠海の左膝に当たり、途端遠海の身体中の血液がそこへ集まってしまったかのように、熱く思えた。硬い膝から、温度がどんどん伝わる。
 三倉は気にする風でもなく、それ以上は動かなかった。正確には、あまり動けなかったのだろう。蒼生子が三倉の左肩にもたれかかっていたからだ。
 それがなんだか羨ましくて、淋しいと思った。
「面白い?」と三倉が小声で訊ねる。
「――面白いです」
 嘘ではなかったが、嘘だったとしても自分はそう答える気がした。「よかった」と三倉が満足そうに息を吐く。
 その後の映画の内容はあまり入ってこなかった。遠海は、触れる膝頭の熱さがずっと続きますようにと願った。
 触れることへの抵抗のなさがむなしく、それどころかもっとと求めてしまう自分がいることは、悲しいことだった。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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