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 次にステージに上がるころには遠海は覚悟していた。案の定、男の席は最後列からカウンター席へ移っていた。ステージに近い、音がよく響く席だ。
 そこで三曲ほど三人で演奏した。終わると今度は紗羽とケントが脇のテーブル席へ引っ込む。ピアニストはあくまでも店のBGMで、目立つような演奏は極力控えた。けれど男は興味津々な眼で、一心に遠海を見つめている。
 思いつくままに何曲か弾き、トリルで終わらせるとパラパラと拍手が起きた。交代で紗羽とケントが再び登場した。紗羽が手にしているのはアコースティックギターで、ケントはカホーンを抱えている。彼らは遠海と違って楽器ならなんでも手を出す。特に紗羽は音楽教諭という性質上、楽器全般いけた。カホーンの上に座ったケントはマイクを引き寄せると、「すこし歌います」と言って場を沸かせた。紗羽のギターがやさしく響く。カホーンでうまくリズムを取りながら、ケントが甘い低音を響かせる。
 遠海はこの隙にバックヤードに引っ込もうとして、当然のように失敗する。「鴇田さん」と声をかけられたものを無視するわけにはいかなかった。
 三倉が嬉しそうな顔でピアノの傍にいた。ステージとテーブルとの境がないこの店の造りをわりと気に入っていたが、今日はそうは思えなかった。
「話が積もってるんで、出番がいいならあちらで飲みません?」と三倉は言う。断る理由を見つけられなかった。
 カウンター席へ移動すると、カウンター内にいた伊丹がなにも言わずにペリエを出してくれた。それを見た三倉が「奢りますからなにか頼んでください」と誘う。遠海はもう捨て鉢な気分で「ジントニック」と頼むと、伊丹は頷く。このバーテンダーはカウンター内では意図して無口になる。
「驚いたなあ」と三倉はしみじみと言った。仕方がないので遠海から口をひらく。
「今日はお仕事でしたか?」
「んん、そうです。仕事シゴト。でも天気がほら、すごかったですよね。ゲリラ豪雨でさ。早めに切りあげてさてどこでめし食おうって話してて、この店に寄ったのは偶然なんです。そこであなたがピアノ弾いてるもんだから、まー驚いたな。参りました。すごかった、あの『水琴窟』」
 曲名まで知っているとは思わず、聞けば三倉の妻が好きなミュージシャンの曲だったから、という答えがあった。
 ――そういえば確かに左手には指輪が嵌まっていた。既婚者なのだ。
「――今日は奥様とご一緒ですか、」
「あ、いま手洗い。じきに戻ると思うんであとで紹介しますよ」
 そこにオーダーしたジントニックが差し出された。三倉の元にもあたらしい酒が来る。「素晴らしかった」と三倉は自然な動作でグラスを持ちあげるので、遠海も持ちあげて、軽く杯を合わせた。照れくさくて目を逸らす。
 店内にはケントの甘い声が静かに響いている。曲は「Here`s That Rainy Day」。ケントが歌うので下手な日本人シンガーが歌うより余計に「らしく」聴こえる。原曲のべたな甘さが遠海はあまり好きではなかったが、ケントはすっきりと歌うし、紗羽の伴奏も余計な余韻を残さない。嫌いになれない曲だった。
「彼も素敵ですね」と三倉が言った。
「彼ら、か。ご夫婦でジャズとは楽しそうだ」
「情報が早いですね」
「スタッフ捕まえて根掘り葉掘り、あとは常連の方が教えてくれましたよ。これだけの技量だとプロってことですか? 副業?」
「いえ、趣味です」
「まさか」
「本当です。そもそも僕の職場は原則副業禁止ですし、それはあそこのギタリストも同じです。ただなんとなく集まってこうやって弾かせてもらっているだけで」
「田代はこれ知ってる?」
「知らないはずです。言ったことはありません」
「ですよね。知ってたらもう絶対、なにがなんでもあなたに取材してたかったなあ」
 複雑な表情を浮かべて三倉は悔しがる。遠海は黙ってジントニックをひと口含む。
「内緒にしておいてください」と言うと、きょとんとした顔で「どうして?」と訊ね返された。
「ピアノのことはあまり人には話していないんです」
「こんなに素晴らしい演奏が出来て、隠す必要はなさそうですよ」
「あまり目立ちたくないので」
「ああ、クローズアップされたくないんでしたね。理由を聞かせてもらえたら、内緒にします」
「クローズアップする必要が僕にはないからです」
「ない? なぜ?」
 三倉は腕を組んだ。なにか考え、しばらくして「あんな曲を弾くのに?」と訊いた。
「……僕は」
「はる、」
 言いかけた台詞にかぶせるように、女性が単語を発した。「はる」に三倉が「あ、お帰り」と振り返るので、なんの冗談かと思った。
 ショートカットの小柄な女性が三倉の隣にやって来る。あまり派手な印象を受けず、むしろそばかすの散る肌をそのままに見せている点で地味さを感じさせたが、白シャツにデニムというカジュアルでさっぱりしたいでたちは彼女によく似合っていた。
「遅かったね」と三倉は彼女に声をかける。
「んー、その、……今夜はね、……」と女性は三倉にぼそぼそと耳打ちをする。三倉は頷き、「ま、次ね」と彼女の二の腕をそっと擦った。それを見て、親しいんだな、と思った。夫婦なら当たり前か。だが遠海にはかつて一度も訪れたことのない親密な仕草で、僅かに息苦しさを感じた。
 改めて女の視線が遠海に注がれ、「ピアニストの方ですね」と素朴に微笑んだ。野に咲く花ってこんな感じの愛らしさだ、と遠海は思う。そしてそれは三倉という男の傍に相応しかった。
「妻の蒼生子(たみこ)です」と三倉が言う。
「はじめまして。先ほどの演奏素晴らしかったです」
「ありがとうございます」
「はるがしきりに、いやーすごい、すごいなあ、驚いたなあなんて言うから、ちょっと黙っててよって言っちゃったぐらい」
「はる、」
 思わず復唱する。誰のことか分からなかった。
「ああ、三倉の下の名前です。女性みたいってよく言われてるけど……あなたちゃんと自己紹介しなかったの?」
「下の名前まではね。名刺は一応渡したっていうか、置いてったけど」
 夫婦のやり取りを聞いても分からない。「はる?」と訊くと、三倉は「ん?」と遠海を見た。
「ダン、なのでは?」
「え?」
「だって田代さんがそう呼んでたし、漢字も」
 ――三倉暖。
 しばらく間が出来て、出来たのちに三倉は豪快に笑った。くしゃくしゃの顔で、その緩みに遠海はなんだかとてつもなく恥ずかしくなった。
「いやごめんなさいね」と三倉が言う。
「田代はおれのことダン、と呼びますけどね。音読みしただけのあだ名なんです。温暖の暖と書いて、はる、と読みます」
 勘違いしていたのだ。何度も名刺を見返したくせに、……いや、フリガナを振らない名刺を寄越した三倉が悪い。
 遠海は顔をそらした。頬が熱い。
「ごめんねって」
「はる、そんなに笑うことないじゃない。あなたの名前が難読なのがいけないのよ」
「それは親に言ってくれよ。――いや、悪かった、ごめんなさいってば、鴇田さん」
 あまりにも恥ずかしすぎて遠海は全身が汗ばんでくるのを感じた。ステージでピアノを弾いている姿を見られることより何倍も恥ずかしかった。
 知らずに、みくらだん、とか心の中で何度も読んでいた。ばかみたいだ。
「鴇田さん、そんなに怒らないでってば」と三倉はあくまでもノリが軽い。まだ笑っている。笑っているうちにステージを下りたケントが「ラスト行けますか?」と伺いに来た。
 頷いて、遠海は三倉夫妻の顔を見ないまま席を立つ。だが三倉が「あー、鴇田さん鴇田さん」と遠海を呼んだ。
「また来ますね。私ら今夜はこれで行きますんで。惜しいですけど」
 遠海のしかめっ面にまだくすくすと笑っている。
「この辺で水琴窟聞けるところあるって、ご存知ですか?」
「――え?」
「めし屋の中庭なんですけどね。今度そこへめし食いに行きましょう」
 三倉も蒼生子も立ちあがり、蒼生子は「主人がごめんなさい」と深く頭を下げた。よほど仲がいいのか、店を出るとき蒼生子の手は三倉の腕にそっと添えられていた。



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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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