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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 数日ほどで例の記事が掲載された。
「あおばのわかば」と題されたコーナーには、遠海の全く知らない女性がえくぼをつくってこちらを見ていた。商店街の老舗和菓子屋にこの春から職人見習いとして働きはじめたと書かれていた。どういう繋がりで遠海から彼女に行きついたのかは分からない。ただ、記事の最後に「三倉暖」と記者の名前が記されていたので、あの男の取材だということは分かった。
 昼休憩中にそれをぼんやりと眺めていると、背後から「おまえじゃなくて残念だったって」と声がかかった。振り向かずとも田代だと分かった。
 田代が向かいに座り、弁当を広げはじめる。
「誰です? このお嬢さん」
「かわいいだろ、紹介しようか? おれの姪っ子だよ。高校卒業したてで、まだ十代」
「じゃあ紹介されても僕は条例違反で捕まりますね」
「十八歳だから大丈夫なんじゃない? 純愛だし」
「純愛ですか。会ってもいませんけど」
 どうでもよいことを言いあう。ふと田代は「ダン、どうだった?」と訊いた。
「ダン?」
「あー、あだ名。三倉のこと」
「どうだったと訊かれても」田代の友人だけあるのか、好奇心に溢れていて少々、いやすごく強引だったな、と思う。新聞記者という特性なのか。
「ダンとなに話した?」
「特に別に、です。差しさわりのない世間話」
「面白いやつだったろ。なに言っても興味津々に打ち返してくる。おまえのこと気に入ってたよ。またぜひ話聞きたいってさ」
「誰にでもああなんですか?」
「ああ?」
「興味津々」
「うーん、だから記者やってんだろうね」
 田代は笑う。興味津々なのは分かったから、興味をよそに移してくれと言いたくなる。言葉にはせず黙り込む。
 田代はさして気にする風でもなく、隣で弁当を頬張る。この男は食事が速い。あっという間に弁当を腹におさめ終え、食後の茶をすすると、遠海に顔を向けた。
「また会うかもな」
「三倉さんに?」
「うん。今度は別ルートの取材でうちの職場に行くかも、って話してたから」
「社長が脱税してるとか、違法産廃処理してるとか?」
「さすがにそのルートはないよ。仕事してて分かるだろ」
「……そうですね」
「ま、そういうわけでよろしくな」
 なにがよろしくなんだろうか。田代は空になった弁当箱を持って場を引きあげる。
 遠海はポケットを探って折り畳みの財布を取り出した。そこには先日の名刺が挟み込んである。
『あおばタイムス記者 三倉暖』
 ――みくら、だん。
 変な名前、とは思わない。思わないぐらいその名刺を眺め、音を何度も呟いていた。


 ポーン、と白鍵をひとつだけ鳴らす。『A』、つまりラの音はすべてのはじまりの音だ。オーケストラの演奏の、最初のチューニングでオーボエが鳴らす音。440Hz。そういえば赤ん坊が生まれるときはこの音程だと聞いたことがあるけれど本当だろうか。それを実際に確かめる手段は、いまのところ遠海には訪れないが。
 ポーン、ポーンと飽きず鳴らす。A音だけで演奏が出来るかもしれない、と想像する。夢中になっていると「遠海」と声を掛けられたので指を止める。そこに立っていたのはベーシストの樋口紗羽(ひぐちさわ)だった。
 早いね、と言うと、「今日は部活動がなかったから」と紗羽は答えた。
「隣町で落雷があって一部地域が停電しちゃったの。うちの学校は大丈夫だったけど心配した保護者がうちの子大丈夫かって電話寄越すもんだから、保護者に迎えに来てもらってみんな帰しちゃった」
「え? あった? 落雷」
「さっきまでゴロゴロ言ってたよ。……ここじゃ分かんないか、地下だし」
 喋りながら紗羽は楽器を肩から下ろして床に置き、ケースから取り出す。きれいな飴色にコーティングされたコントラバスだ。
「落雷の中、親の送迎で帰るなんて時代も変わったなんて思っちゃう。雷鳴ってたら移動するより学校にいる方が安全なのにね」と最近の保護者の過保護ぶりをたらたらと漏らす。遠海は特に相槌を挟んだりコメントを述べたりはしないのだが、紗羽は構わず喋る。この女性はおおむねそんな感じだ。
「ケントは?」
「そのうち来る。いまごろ雷にビクビクしながらこっち向かってるんじゃないかな。あの人、雷大嫌いだから」
 紗羽はボーンと一弦を引っ掻く。
 遠海と、このコントラバスを弾く女性・紗羽と、ドラムの樋口ケントは、一応三人でジャズトリオを組んでいる。一応、というのは正式に組んだ訳ではなく、なんとなくいつも集まっているメンバーの中で気が合うから、なんとなく集まって演奏活動をしている、という曖昧さからだ。曖昧ゆえにグループ名もない。
 紗羽とケントは夫婦で、紗羽は中学校で音楽の教員をしている。ケントはオーストラリアの生まれで、英語のアシスタントティーチャーとして日本へやって来て、紗羽と出会って結婚した。その際に紗羽の戸籍に入ったので、姿形こそ栗色の巻き毛・虹彩のうすい背の高い外国人だが、国籍は日本だ。
 三人が主に活動するのは駅から近いジャズバーで、ここは完全に地下にある。音楽もいいが酒と料理もいい、ということでわりと人気があるようだが、そのことに遠海はあまり関心を持っていない。客の邪魔にならないようにポロポロ音を鳴らし、ときにリクエストに応える。音楽家として大成したいわけではない。ピアノが弾ければそれでいい。
 バタバタと音がして店の扉が思い切りよくひらいた。ウインドブレーカーのフードをすっぽりとかぶって雨に濡れた男が「困った困った」と言いながら店内に踏み込んでくる。それを見た紗羽が慌てて男の傍に寄った。「店の中濡らさないで」とタオルを取り出すと、男は上着のフードをおろしてようやくニッと笑った。
「トーミ、雷は嫌です」とケントが紗羽に雨粒を拭われながら遠海の方を向いた。
「雷、そんなに酷い? 僕は早くここに来たから、よく分からないんだ」
「あー、それはいいですね」
 体を拭ってくれている妻の手をケントはあっさり握る。「ありがとう」と言ってパーカーを脱ぎ、Tシャツ姿になって店のコート掛けに上着を吊るした。
 ケントが鞄から取り出したのはスティックを収めてあるケースだ。遠海の背後に置かれているドラムセットに近づき、そこで楽器のセッティングをはじめた。三人揃えばセッションが出来る。店の開店まではあと三十分ほどあり、めいめい好きに音を鳴らしたあと、軽く音を合わせた。「こんな日は虹が見たいですね」とケントが言ったので、曲は「Over The Rainbow」。
 音を合わせながらケントは鼻歌を歌う。低く甘い声は微かにしか届かないが、遠海はその鼻歌を心地よいと感じる。紗羽だってそうだろう。このメンバーにボーカリストを迎えてセッションをするときもあるが、遠海にとってこの名前すらないバンドのボーカリストは、ケントであると思っている。
「トーミ、音が走ってる」と鼻歌の合間にケントが指摘した。
「速い?」遠海はケントのドラムを慎重に聴いてテンポを掴もうと試みる。
「いえ、いつもより軽いです。サワは重い」
「うるさいわね」紗羽が苦笑する。
「トーミの音はいつもニュートラルですから、今日はなんだか珍しいですね」
 そう言ってまた鼻歌に戻る。遠海は内心で渋い気持ちになっていた。どうしてなのか、芸術ってのは内面を写す鏡であるらしく、こんな風に表現となって表れてしまう。
 適当なところでドラムが止まり、音楽がふつりと途絶える。開店まであと十五分程度。三人はいったんバックヤードに下がる。
 マスターでオーナーの伊丹(いたみ)が三人分のコーヒーを持って来た。今日もいい音だと褒めてくれる。
「これでプロじゃないってんだから困っちゃうねぇ」と伊丹もまたコーヒーを口にしながら言う。
「趣味だから出せる音ってのがあるのよ。下手に仕事にして音楽にプレッシャー感じて嫌いになるよりずっといいの、私たちは、これで」
「さすが学校の先生は説得力があるね」
「体よく諦めを覚えちゃっただけよ」
 そう言ってコーヒーをひと息に飲み干し、紗羽は立ちあがる。「着替えて来る」と言って化粧室へ下がった。それを聞いたケントも「そうだ、僕もです」と鞄から黒いシャツを取り出すと、その場でTシャツを脱ぎ着替えはじめた。



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今日の一曲(別窓開きます)




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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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