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cloudy days




 その日の昼頃、気象庁が関東地方の梅雨入りを発表したことを、出がけのニュース番組で鴇田遠海(ときたとおみ)は知った。
 確かにここ数日、鈍色の雲が空には張られ、それは幼い子どものようにときに晴れ間を見せ、いきなり雷鳴を轟かせ、ざっと雨をもたらしたかと思うとまた曇る、そんな有様だった。そういえば「明日は雨が降る」と職場の事務員が予言していた。彼女は偏頭痛持ちで、気圧の下がる日は体調がすぐれない。
 いま予言は外れている。どんよりと曇ってはいるのだが、雨は降っていない。
 それでも気象予報士は傘の必要性を訴えていたので、半分ぐらいを信用することにしてブルーの折り畳み傘を鞄に突っ込んだ。テレビを消し、戸締まりをして、遠海は部屋の外に出る。
 外へ出た途端に湿気た空気が肌にまとわりついたが、不快だとは思わなかった。遠海は六月生まれで、あと少しで二十八歳になる。生まれ月だから愛着でもあるのか、なんなのか、人が文句を言うほどにはそんなにこの季節のことが嫌いではない。気圧の変化による体調不良を経験したことがないせいかもしれない。
 バスは空いていて、後方の座席に悠々と腰掛けた。ぱたっと音がして窓に雨が当たりはじめる。だがここから先は終点である駅前のバスターミナルで降りた後に地下鉄へ乗り換えるだけなので、雨が降ろうが傘の出番はあまりないだろう。
 バスの運転手が独特のイントネーションでバス停の名前を告げる。聞いているうちに眠気を感じた。どうせ終点で降りるのだからと、遠海は目を閉じる。


 取材の申し込みがあったのは二週間ほど前のことだった。
 地元では有名なローカル新聞社の記者からで、月一度の連載でこの街で暮らす若者にインタビューをしており、そのコーナーで遠海を紹介したいので取材を受けてはくれませんかというものだった。職場を通して遠海じきじきへのご指名だ。当然ながら遠海以外にも若者はいる。なぜ遠海が指名されたのか、見当がつかなかった。
 上司からその話を聞かされて、遠海はあからさまに嫌な顔をしてみせた。上司・田代(たしろ)は「やっぱりか」などと苦笑するも、引かなかった。
「どうして僕ですか?」
「それは記者に聞いてくれよ。あいつの希望だからな」
「あいつって、お知りあいですか?」
「ああ。おれの学生時代の同期なんだけど、なかなかいい記事書くんだよ。あいつが書いた鴇田のことはちょっと読んでみたいと、おれも思ったからさ」
「僕ほどつまらない人間はいないですし、若くて面白いやつならこの会社には他にたくさんいます。そういう人の方が会社のPRにも、紙面としての面白さにもなるんじゃないですか?」
「まあまあ、そんなこと言うなって。いいじゃん、私生活ひけらかさず謎の多い鴇田青年のインタビュー記事。それにそのコーナーに登場すると、謝礼が出るらしいよ」
「薄いわけでしょう。どうせくれるなら厚い方がいいですから、ますますお断りですね」
「厚ければ応じるわけじゃないだろう」
「分かってるなら謝礼の話なんか持ち出さないでください」
 そう言うと田代は「鴇田らしいよ」と息をついた。
「とにかくそいつに会うだけ会ってみてくんないかな? アタックが強烈でね。おれも板挟みで辛いから、それをちょっと汲んでくれたらそれでいい」
「その言い方はずるいと思います」
「大丈夫、面白いやつだから」
 面白いやつだからと言われても、と遠海はますます顔を曇らせるも、田代は気にしなかった。強引に押し切られ、田代と先方によって勝手に取材日が決められてしまった。
 記事になれば顔写真も載ることになる。写真は苦手で、心からごめんこうむりたい。だから今日の取材は会ってすぐに断るつもりでいた。田代の顔を立てて会うだけだ。他を当たってくれと言う。
 待ちあわせの喫茶店は全国に展開するチェーン店で、駅からアーケードを通って来られるとはいえ、店内は雨をしのぎたい客が多いのか混んでいた。そういえば記者の顔を遠海は知らない。このままばっくれてしまおうかと一瞬考えたが、入口すぐの席から「鴇田さん?」と訊ねられてしまい、その思いつきをそれ以上検討するには至らなかった。
 窓際に据えられたカウンター席に男が座って遠海を見あげている。ジャケットを羽織ってはいるがノータイで、くりっと丸い目でこちらを興味深そうに見ていた。
 そんなに歳を取ってはいないようだった。だが特別若いという印象も受けなかった。田代の大学時代の同期というなら三十代半ばなんだろう、と見当をつける。着ているシャツやジャケットはシンプルながら男の身体に吸いつくようにぴったりで、そこらで売っている市販品ではなさそうに見えた。オーダーメイドを仕立てられるほど新聞記者って儲かる職業なのかと、そのときはそう思った。
 そうです、と答えると、男は立ちあがった。
「こんな日にお呼び立てしてしまってすみませんね。あおばタイムスの三倉(みくら)、と申します」
 と、男はジャケットの内ポケットから名刺を取り出して渡そうとしたが、遠海はそれを拒否した。
「今日のこの取材を、お断りしたいんです」
「え?」
「上司の紹介で来ていますが、取材を受けるつもりはありません。ですので名刺は受け取りません」
 そう言うと記者はしばらく目をひらいて沈黙していたが、やがて可笑しそうにくつくつと笑いはじめた。遠海の台詞に気を悪くしたどころか、なぜだか楽しげである。
「いや、田代から話は聞いてはいたんですけど、」そう言って名刺をちいさくひらひらと振る。
「真面目で硬いってのは、本当みたいですね」
 それは褒め言葉ではなさそうだったので、遠海はあからさまに眉を顰める。
「ああ、違うちがう。信念がありそうだな、っていう意味ですよ」
 ひとまずなにか頼みましょうと言われた。「呼んだのは私ですので」と男はコーヒー代を渡そうとしたが、遠海は拒否する。奢られてしまえば取材をなし崩しに受けてしまいそうだと思ったからだ。遠海はカウンターへ行ってアイスコーヒーを自分の金で購入し、男の元へ戻る。男は「私もいただいて来ますね」と荷物番を託して、飲み物を手にすぐに戻ってきた。
「早めに来たんですけどねえ、混んでいてテーブル席が取れませんでした。こんな席で申し訳ない」と男は横並びに座りながら言う。
「……ですから、お断りしたいんです。他を当たってください。紹介しますから」
「ま、こちらとしても嫌だと言っている方に無理に取材をするわけではないので、そう硬くならず。ちょっと雑談、ぐらいのつもりでいてください。私はね、興味があったんですよ。清掃作業員ってどういう仕事なんだろう、って」
 それこそ田代にでも聞けばよいと思う。友人なのだから。
「田代さんにお聞きになられては?」
「田代にはあなたから聞いてくれとはぐらかされましたね。普段はどういった作業を?」
「……僕は単なるごみ収集作業員です。仕事としてはいちばん単純。車に乗って、降りて、ごみを積んで、また乗って、ごみを下ろしに行って、を繰り返すだけです」
 こんな単純な仕事の人間が果たして記事になるだろうか。面白いと思えるような仕事をこなしている同僚は他に大勢いる。集積所で大型機械を動かす運転士だとか、メンテナンスの作業員。粗大ごみのリペアをして販売する部署にも若い社員はいる。
 遠海は彼らの話をして記者の気をよそに逸らそうとした。しかし記者は興味深げに目をひらき、あろうことか遠海に「あ、でもさ、」と訊き返してくる。
「その、いちばん単純な作業を仕事に選んだ理由を知りたいですね」
「別に、理由なんか、特に。就職後の配属がそうだっただけです」
「ごみ収集の作業員てのは、大変でしょう。私も生活してますので、当然ごみを出すわけですよ。月曜日と木曜日は可燃ごみ、とか、毎月第二・第四水曜日は紙ごみ、とか。マンションで決められた収集場所に持っていくんですが、ごみですからね。重い、臭い、ものによっては危ない……まあ、あんまり長いこと持っていたくはないです。出勤の途中に運べるならともかく、休日の朝なのに起きてごみを出しに行くのは億劫ですしね。動物も狙ってくるし、路上生活者とかそういう金に困ってる人たちも漁りに来るって聞いたことがあります。それをあなたがたは毎日運ぶんですよね。人が嫌がる仕事を選んだ理由があるのかなあ、って」
「……嫌がる仕事、っていう考えはあまりないですけど」
「へえ。じゃあだからこそ、っていうのかな。偏見がないから就いた仕事?」
「まるきり偏見ない、とは言わないです。あなたが仰ったように重い、臭い、危ない、はありますから」
「ああ、そうですよね。その辺りの管理ってどうなっているんですか? 個人の危機意識レベル? それとも社内で決まりがありますか?」
 男の尽きない興味にぐいぐいと引っ張られ、いつの間にか遠海は質問に答えていた。強制的に喋らされている、と思うのに、不快感はあまりなかった。男が本当に訊きたくて訊いている、という印象を受けるからだろうか。興味を隠さない、人懐こい笑顔のせいだろうか。
 結局、喫茶店で小一時間ぐらいは喋った。どうでもいいことばかりだった。ぐずぐずとこのまま記事にされてしまいそうでそこだけは抗う。「記事にしませんよね」と念を押すと、男はにやりと意地悪い笑みを浮かべて「どうでしょうね」と言った。
「……」
「冗談です。了承を得ないのに記事にはしませんよ。ほら、メモだって取ってませんし。ボイスレコーダーも仕込んではいません。事件性のある社会記事なら事情は違いますが、生活記事ですからね。
 お話、興味深くて面白かったです。出来ればやはり、あなたを記事にしたいところではありますが、」
「他を紹介しますのでお断りさせてください。クローズアップされたくないんです」
「へえ、その理由も知りたいですねえ」
「……」
「あ、困らせてしまいましたね。ごめんなさい。でも面白くて時間が足りないのは、本当」
 本気か社交辞令か、どちらとも取れない表情で男は「また会いましょう」と言った。
「田代に新しい方を紹介してもらいますけど、おれはあなたの話、もっと聞きたいですよ」
 そう言って男は席を立ち、ではこれで、と頭を下げて去って行った。最後のくだけた「おれ」という一人称に心がほどけかかる。だから男がテーブルの上に故意に残していった名刺は、ごみと共にダストボックスへは行かず、遠海のポケットの中に収まった。
 窓の外を見遣る。アーケードの隙間から見える空は重く、雨がまだ降っている




→ 2




のんびり更新していく予定です。長期になります。
よろしくお願いいたします。








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プロフィール
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粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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