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 インターネットで気象庁のページをひらく。天気図を眺め、前線がだいぶ北に上がってきたなと思った。もう九州地方では梅雨明けが発表された。この雨もじきに終わると思いながらも、今年の梅雨は大当たりで今日もよく降っては街を濡らしている。どこもかしこも雨、雨、雨で、場所によっては災害も起こっている。異常気象の気配を感じ取ってはいるが、この街にひとまず困ることは起きていない。
 先日、三倉の記事を読んだ。それは何度も眺めたのですっかり覚えてしまっていて、遠海は記事の内容を頭の中で思い返す。三倉の勤める「あおばタイムス」では記者が持ち回りで書くコラムの欄があり、それを読んだのだった。

『最近、友人が出来た。私のようにある程度年齢を重ねて来ると思春期みたく爆発する勢いで友人を作ることは中々ない。それがこの友人とでは「爆発する」勢いだった。驚いている▼若いうちにしか出来ない事があれば老いてようやく為せる事もある。前者は肉体的なエネルギーを要する事が多く、後者は熟考や技術の積み重ねの末に果たせる事が多いように思う。だが時折、それを飛び越える事象がある。若い棋士が何万手から最善の一手を指す事もあれば、老いて学に励み論文を執筆して大学を卒業する人もいる。人生は人それぞれにあり、何が起きるかは分からないと言う事だ▼楽しく生きていたいがそうは行かない時もある。今やらなければ半年後の自分は後悔するのか、もしくはやらなかった結果の幸運が待ち受けているのか。瞬発力は年々衰えて行くばかりだが思考は出来る。私は思考を止めたくない。あなたはどうか。〈暖〉』

 いまやらなければ後悔するのか、幸運を受け取るのか。遠海はぼんやりと言葉を呟き、考える。
 今日は職場に三倉が来る。取材に入ると言っていた。社長にインタビューなら遠海は関係がないと思っていたが、いわく「記者からの強い要望で」、現場で働く社員の話も訊きたいとのことで、田代と遠海も応じることになった。そういうものは広報部にでも任せればいいものを、絶対に職権濫用だと思いながら、それでも三倉に会える喜びに抗えない。
 取材は午後からだった。午前中は遠海ら作業員が現場へ出てしまうことが多いため、それを考慮してのことだった。ぬるい雨の降りしきる中を同僚らと組んで作業し、昼に戻るころにはずぶ濡れで汗だくで、しっかりと汚れていた。カロリー摂取だけを目的とするゼリー飲料を数秒で口にして、社内にあるシャワー室で身体を洗う。洗い替えの作業着に着替えなおし、事務室に顔を出すと田代が新聞を読みながら待っていた。
「もう来てる。おまえが戻り次第応接間に来てくれ、って」
 頷いて田代の後ろについた。
 応接間からは朗らかな笑い声が漏れ響いていた。三倉が興味を持って笑んでいるのだと遠海はもう分かる。社長の機嫌も上々のようだった。田代が扉をノックし、失礼しますと断って中に入る。社長と三倉が揃ってこちらを向いた。三倉と目が合う。ほんのりと、目だけで彼は合図してみせた。
「挨拶しなおすほどでもないな」と田代は笑い、「そうだな」と三倉も同意した。田代は社長の隣に座り、遠海はパイプ椅子を引っ張り出して座った。
「いまね、社長さんから会社の成り立ちと伴う武勇伝を聞かせてもらっていました。いやあ、これは読みごたえのある記事になる。あとは現場の方というか、部下の方のお話もね」
「田代からの方がいいか? 一応、現場直属の管理職だからな」と社長が言う。
「では、一応現場直属の管理職の私から。そのあと鴇田にも話をさせますか。現場の最先端ですからね」
 と、田代と社長と三倉とで笑いながら色々と喋っていた。三倉は聞き上手で、手元の手帳にインタビュー内容をすらすらと書き取っていく。ボイスレコーダーだって持っているだろうに、あくまでも肉声に耳を傾けて一言一句聞き漏らすまいと話を聞いている三倉の姿勢には好感が持て、いつまでも見ていたいとぼんやり思っていた。「なあ、鴇田」といきなり田代に話を振られたので、遠海はびっくりして三倉から目を離す。
「なんだ聞いてなかったのか、鴇田」
「すみません、ぼんやりしていました。なんでしたっけ」
「ごみに花火が混ざっててボヤ騒ぎになってたときの話だよ。おまえあのころ、新人だったけど配属されてたぞ」
「ああ。僕が新人ならまだ清掃局があった頃の話ですね。ボヤなんてありましたかね?」
「あの頃からゴミ袋が透明になったんだ。あのね三倉さん、それまでは黒とか青とか色がついていましてね」
「いえ社長、ゴミ袋の透明化はもっと前のはずです。僕が入局した時はもう透明でしたから」
「ビニールの質が悪くてすぐ破けたりなあ」
 社長と田代と三人で喋っていると、三倉は堪えきれないとばかりに可笑しそうに笑った。
「いえ、御三方集まられても社長と中間管理職とその部下、という感じがあまりしませんね。仲が良くて素敵です」
 と言う。社長も豪快に笑った。
「あんまりなれ合ってくれても困りますけど、まあうちは仕事に出てしまえば基本的にはバディとしか話しませんので。垣根を超えた交流はね、ある程度は狙っていますよ」
「狙われすぎても困りますけどね」
「鴇田、おまえはもっと他人に気を許しなさい。いつでも背後に敵がいるような顔してるんだから」
「そんな訳のわからない顔はしてないと思いますよ」
 やり取りにやはり三倉は笑い、「いい社風ですね」とコメントした。
 最後に社長だけの写真と、三人そろった写真を撮り、三倉は「記事になりましたら掲載紙を送らせていただきます」と告げ、去った。いつもの退社時刻を過ぎている。「残業扱いでいいぞ」と社長が言うのでそうさせてもらい、ロッカールームに戻って着替えていると三倉からメッセージが届いているのに気づいた。
『今夜飲みません? 妻も一緒ですけど』
 蒼生子と待ちあわせているという居酒屋のURLと時間も記されていた。遠海はため息をつく。ふとロッカーの内側に据えられた鏡の中にいる自分を見る。顎が尖って痩せて来たな、と思った。
 もう、あまり悩んでいる時間ばかりでも仕方がない、と思う。鏡の中の自分は目だけやけに光っていた。人間じゃないみたいに見える。このまま人じゃないものになるのかもしれない。息をついて、返信を打った。「行きます」。
 待ちあわせ場所には三倉しかいなかった。蒼生子はどうしたのかと尋ねると、仕事で遅れてくると答えがあった。三倉の話では、蒼生子は洋裁のカルチャー講座でアシスタントを務めているという。裁縫に関してはかなりの腕前の様子で、三倉が「このシャツいいね」と雑誌などを見せると、それを見ながらパターンを起こしてシャツを手製で作ってしまうほどらしい。それでようやく納得した。三倉は常に妻の手製のシャツを身に着けていた。だからあんなに三倉に似合っていたわけだ。
 三倉が案内したのは和食の創作居酒屋だった。「後からひとり来ます」と店員に言い、四人掛けの席に向かいあわせで座る。おしぼりを手に「なに食いますかね」とメニューを三倉は選ぶ。遠海も覗き込む。メニューを握る三倉の手にはペンのインクが染みこんでいた。指を意識して、背筋がひやっとする。
「冷ややっこと、あ、カツオがあるな。鴇田さん、なに食いたいですか?」
「お任せします」
 そう言うと、三倉は眉根を寄せた。
「一緒に飲んでる機会が多いから分かってて余計にしつこく訊くんですけど、鴇田さん、ちゃんと食ってます?」
 三倉の質問にはあえてなにも答えなかった。あなたが好きで仕方がないから一緒にいると食事もままならない、とはどうやっても口から出てこない。
「なんかますます痩せて来ません? 痩せたよね?」
「夏が近くて気温が上がってますので、そのせいです。日中は動く仕事ですから」
「それにしたってさあ。同じ仕事してるはずの田代はさ……今日の田代の姿見て、まあ、会うのはおれも久々だったんですけどね。驚いちゃったよ。あいつはワイドになったな」
 そう言って手で身体の幅を示す。
「そうですか?」
「おれが知ってるころよりははるかにね。元々はかたい筋肉質の男でしたよ。学生時代はラグビーやってたし」
「その話は聞いたことがあります」
「ああ、どうせ栄光の自慢話でしょう。昔はね、おれと違って食べたものみんな筋肉になる男だなと思ってたけど、今日のあれは食べたものぜい肉に変えてるな、って印象で」
「三倉さんは?」
「え?」
「三倉さんはなにかサークルとかしてたんですか?」
 遠海からの質問に面食らった風だったが、ひっそりと笑って「写真サークルと弓道部のかけもち」と答えた。
「弓道?」
「蒼生子さんが元々弓道部でね。写真を頼まれて試合を観に行って、胴着と所作が格好良くて。ミーハーなんです。やってみたくて、入っちゃった。成績はふるいませんでしたけどね」
「いまでもやりますか?」
「もう、全く全然。でも所作は身体がまだ覚えてるな、って感じるときあるよ」
 ふと、いまはシャツに包まれている三倉の身体を想像した。どうやったって遠海が触れられない、遠い身体。それを隠すシャツさえ蒼生子が作っていると分かったら、もう遠海はどうしようもなくなってしまう。
 触れてみたい、触れられたい。
 触れられない。
 こんな思いはもうごめんだ。遠海は遠海でないものになる。
 がくりと首を折ってうなだれると、近い距離で三倉が慌てる空気を感じた。
「鴇田さん?」
「あなたが好きです」
 顔を上げ、真正面から言うと、三倉はみるみる目をまるくひらいた。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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