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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「論はねえ。生まれた時からお父さんもお母さんもお姉ちゃんもみんな音楽をしていて、自分も深く愛しているもんだから、聴いてるだけでも至福という側をどうしても理解できないんだよね」
「まあ、環境が環境ですもんね」無理はない、と暖は頷く。
「自分がどれだけ指を動かせるか、動かすことで音が鳴るかを知っているから、それを出来ない人間のことが不可思議で、彼にとってはすなわち否定なんです。と、紗羽が言っていました。まあ、自分はこの楽器を鳴らせる、もっと音を出せる、という感覚は僕にも覚えがあるから分かるけど、それは例えば目の前にこのぐらいの高さのバーがあって」
 と、伊丹は両手で胸の高さに棒があるかのような仕草を示した。
「それを多くの人は簡単には超えられないけど、僕は飛び越えられそうって不思議と分かる、予感と同じことなんです。崖っぷちを歩けるアルピニストとか、見たままを模倣して踊れるダンサーとかと一緒。三倉くんにもそういう経験、あるでしょう?」
「接続詞かな?」
「ほお」
「小学校低学年の頃かな、国語の授業で三人一組になってリレー作文をしたことがあるんです。リレー小説ってありますよね。あれを授業でやってみたみたいな感じで。僕は三番手だったんですけど、前のふたりの書いた文章の接続詞がおかしいおかしいって散々言って、結局僕がアカを入れる形で直しちゃいました」
「それはきっと大人顔負けの名文になったんだろうね」
「どうでしょうかね。けれど文章に対する勘みたいなものはあったようです。そういうことであってます?」
「そうそう、そういうことです。誰にでもある勘とか予感が僕らの場合はたまたま音楽で、鍵盤なんです。そういうことが論はまだ分からない」
 ホールからは音楽も聞こえていたが、止まりかけている。父親に向かい「なんでっ」と歯向かっている少年の声が聞こえた。
「荒れてるな」と伊丹が油の準備をしながら苦笑する。
「エイリアンってどこにも同調するところがないからエイリアンなんだと思うんです。分かり合えないというか。共有するものがないというか。こういう不愉快な思いをさせるなら来ない方がいいというのは分かりきってるんですけどね」
 そう言うと、伊丹は「共感と共有ばっかりしてたら疲れますよ」と答えた。
「相手を思いやれることが、決して良いとは限りません」
「まあ、分かります」
「相手が子どもだからと言って手加減をしない三倉くんは論にとって悪いことじゃないと思うんですけど――あ、避難民」
 ホールからぎゃーっという大音量が響く。子どもが泣き喚いている。論がなにか叱られたか諭されたか。ほぼ同時に鴇田が首の後ろを掻きながらやって来た。
 ここへ来てからようやく顔を合わせたな、と思った。暖が手にしているグラスを見て、「なに飲んでるの?」と訊く。
「伊丹さんお手製のサングリア。飲む? グラスもらおうか」
「いい。ひと口ちょうだい」
 暖のグラスを受け取り、そのまま口をつける。ひと口、にしてはがぶがぶと飲まれてしまった。息をつき、空のグラスを暖に戻す。「論はすごいな」と言う。
「向こうでなにがあったの」と伊丹は暖のグラスにサングリアを注ぎ足して訊ねる。
「ピアノを一緒に弾いていましたが、距離感が近くて落ち着かないので僕は論だけにしたんです。それが面白くなかったみたいで、一緒に弾いて弾いてとせがまれていたところをケントが来て止めてくれたんですけど。あまりにも言うことを聞かないので紗羽が切れちゃって」
「あらら、お約束パターンだね」
「とにかく遠海は逃げろと言われてこっちに。あー。子どもってすごいな。エネルギーが」
 最後は自身の気づきへの呟きで、鴇田はスツールに腰掛けようとしてかくっと力加減を誤り、床へへたってしまった。
「うわ、大丈夫?」慌てて傍へ寄ったが、手を添えるのはためらった。
「すいません。緊張して膝が笑ってしまって。力が」
「立てる?」
「ちょっと、このまま」
「そうか。伊丹さん、水をもらえませんか」
 頼むと伊丹はカップに水を汲んでくれた。それをもらい、暖も隣へ座り込む。
「壁に背を付けられる? 体重を預けよう」
「うん」
「そう、いいよ。水飲めそうなら飲んで。サングリアよりはこっちがいいから、絶対」
「うん」
「深呼吸して力抜いて、目を閉じられるなら閉じよう」
「うん」
「触るよ」
「うん……」
 鴇田の肩に腕をまわす。力を込めて肌を摩擦すると、鴇田は徐々に力を抜き、目を閉じて暖にもたれかかって来た。
「大丈夫? 横になる?」
「大丈夫。ちょっとこのまま」
「分かった」
 カップを置き、ふたりでキッチンの床に座り込んでいると、ふたり分の足音がした。紗羽と新南が顔を覗かせる。「あらま」と呟いたのは紗羽だった。
「論はどう?」と伊丹がフライの油加減を気にしながら訊ねる。
「いまケントが表へ連れてった。近所ぐるっと散歩してから戻ってくると思う。最近、面白くないことがあるとすぐ癇癪起こすようになったんだよね。ごめんね、遠海。大丈夫?」
「ちょっとこわばりが酷かったみたいで」
「だよねー。そこで大丈夫? 寒くない? ブランケット持ってこようか」
 新南が傍へやって来て、クリスマスオーナメントに吊るしていたジンジャークッキーを暖にふたつくれた。
「ダンもトーミも、ごめんなさい。これお父さんと作ったやつ。美味しいんだよ」
「あなたが謝ることではないよ。でも嬉しい。ありがとう」
「新南、うたってよ」
 リクエストしたのは、目を閉じて暖にもたれている鴇田だった。
「うたってくれたら僕は大丈夫になるから」
「なにがいい?」
「新南が最近気に入っているクリスマスソングを聴かせて」
「分かった」
 床にぺたりと座って、清らかな発声で歌姫がうたいはじめる。聴いているうちに鴇田のこわばりが解け、指が音に合わせてぴょこぴょこ動くようになって安心した。暖は水を渡す。
「こんなの論が見たらまた絶叫するわ」と紗羽がぼやくように呟いた。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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