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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 樋口夫妻が郊外に家を建ててもう三年になる。
 日本の住宅事情とオーストラリアのそれとなら後者の方が絶対に広い家を確保できそうなのだが、色んなことを考えて彼らは日本に家を持つことを選択した。年子で生まれたふたりの子どもは現在インターナショナルスクールに通う。子どもらの将来の選択肢に海外居住も視野に含んだ形だ。
 都心を離れて郊外に家を持ったのは、その方が広いスペースを確保出来るからだ。何のために広いスペースが必要かと言えば、彼らの生活に欠かせない楽器のためにである。ある程度音が漏れ出ても問題ないような土地にとにかく楽器をたくさん置いた。ケントのドラムセット、紗羽のコントラバス、ピアノ、ヴァイオリン、ギター、フルート。これらをなんでも弾きこなしてしまうあたりがこの一家はすごい。
 楽器の演奏が自由に可能になったため、樋口家に鴇田が出かける日が増えた。とはいえ基本は伊丹のあの店であるし、鴇田が弾きたいピアノがあるのもあの店であるから、以前に比べれば、の話だ。出かける際には三倉さんもどうぞ、と樋口夫妻の勧めで暖もたまに訪れる。けれど自分は音楽は聴く専門で、楽器は弾けないし歌もうたえない。参加も勧められるがどうにも上手く音を鳴らせなくて、結局は聴いてる方が楽しいとなってしまう。それを樋口一家と鴇田はおおらかに受け止めてくれたが、長男の論だけはばかにする風があった。
 ピアノに興味を持つ彼は、鴇田のことが大のお気に入りだ。魔法のようにすらすらと鍵盤を鳴らしてしまう辺りに、大いに尊敬の念を抱いている。彼らの年齢ならまだ感情に区別はつけられず、敬っているのか愛情を欲しがっているのか、論は怪しい。とにかく鴇田をすごい人間とみなして、鴇田が樋口家へ出かければ必ず傍にいたがり、トーミ、トーミと親しく呼ぶ。
 そして暖は嫌われている。楽器が出来ないことで彼の中で底辺に落ち込む人間らしかった。当たり前に音楽を奏でられる一家に育った彼にとって、音楽にそこまで浸かれない暖を理解し難い風だ。鍵盤のAの位置も瞬時に分からない。両手をばらばらに動かすことも出来ない。それは論にとって信じられないことで、すなわち否定に値する。
 それだけだったらまだしも、セッションも出来ないくせになぜか家にやって来る暖を論は歓迎しない。おまけに大好きなトーミといつも一緒だから、どうして、どうして、と散々疑問符をつけた挙句に彼が達した結論は「ダンは嫌いなやつ」である。
 暖はそれはそれで構わないのだが、どうしても突っかかってこられるので喧嘩を買ってしまう。子どもに売られたそれを買うあたり非常に大人気ない。けれど全力で論が歯向かってくるので、つい手加減なくやり込めてしまう。それは論のいる位置が鴇田にとってとても近いであろう危惧も含んでいた。連弾になれば椅子に隣り合って座るし、時に鴇田の膝のあいだに収まって鴇田の手を覗き込んでいる。そういう近さにびくびくする。鴇田が子ども相手に暴力を振るうことは考えないが、嫌悪を堪えて我慢しているのだとしたらそれは嫌だ。
 身体の距離もそうだし、彼らには音楽という共通言語での会話が可能だ。心中穏やかには過ごせない。いくら大人気ないと指摘されようが、論には全力を尽くしてしまう。
 長女の新南ぐらい穏やかで大人しかったらなあ、と思ってしまう。いつだって無垢に微笑む少女は天使そのものだ。論だって大人しくピアノに向かっていれば父親譲りのはっきりとした目鼻立ちも相まって非常に天使なのに、口をきけばおまえ呼ばわり。ああ、もう。
 家が建って以降、樋口家ではクリスマスパーティをひらくようになった。親しい仲間を呼んで楽器を演奏し、料理を楽しみ、子どもらにはプレゼントを贈る。吹き抜けの広いホールには背の高いクリスマスツリーだって飾られる。オーストラリアという南半球育ちのケントにとってクリスマスとはサンタが海上スキーでやって来るものであり、だから寒くなってもみの木にオーナメントを飾るクリスマスを、彼はとびきり張り切る。無宗教国のごった混ぜクリスマスでも楽しいようだ。
 今夜紗羽が連れてきた客は鴇田の他に伊丹とトランペッターの山本という男だ。山本は中学生になる娘を伴っていた。ボーカリストの北原アンジェとその夫も遅れて来るらしい。
 暖はこのパーティの記録の依頼を引き受けていた。それからケントが振る舞う料理を教わりたかった。だから職場から直行して鴇田とは別に来ていた。だというのに論のあの振る舞いで無意に時間を使ってしまった。
 ホールからは様々な楽器の音が響きはじめる。山本の娘は中学校の吹奏楽部所属でクラリネットを吹いているらしい。ますます自分には遠い集まり。だがどこにでも興味の出る性格ゆえに決して嫌ではなかった。
「え? チキンのパックがあんの?」と、まんまるに剥いた鶏の腹にライスやシーズニングを詰め込んでいるケントの手元を見ながら訊ねてしまった。
「はい、あります。もう味付けがされていて、あとはそれをオーブンで焼くだけで簡単に出来るようになっています。安いです」
「オーブンってこんな大きさ?」とキッチンに据えられたオーブンを指差す。これは樋口夫妻が食洗機よりも先にこだわって入れたものだと聞く。日本では独立したオーブンレンジが一般的だが、タイマー式のとても大きなオーブンがキッチンに据え付けで備わっている。
 ケントは頷き、「なんでも焼きます」と言った。
「僕は食べたことがないですが、カンガルーも食べますよ」
「うっそ!」
「ハンティングの対象ですから。ジビエ料理って言うんでしょうか」
「ああ、なるほど。カンガルーはジビエか」
「みくらさんも一度旅行に来たらいいですよ。意外でした。英語を話せるのに海外旅行の経験はないんですね」
「英語は大学までで教わった程度にしか喋れないですよ。フットワークは軽いんだけど、限定的なんです。でもそうですね、行ってみたいです」
「トーミと来てください。ガイドならしますから」
「それは頼もしい」
 用意できた鶏肉をケントは予熱しておいたオーブンに入れる。「食べ終わった骨は捨てないで、とサワに言われます」と言った。
「残った骨を出汁にしてごはん炊くと美味しいからって」
「あー、それは絶対に美味いやつです。まるごとのチキンは家では調理出来ませんけど、手羽元ぐらいなら調理するから、やってみようかな?」
「ケント」
 キッチンに顔を出したのは伊丹だった。買ってきたドリンクの類を冷やしたいと言う。
「そっちにちいさい冷蔵庫がありますので、そちらに」
「料理があらかたいいならこっちは僕と三倉くんに任せて向こう行ったら? そろそろ音合わせしたいんじゃないかな」
「そうですね。みくらさん、お願いしていいですか? タイマーはかけてありますので、鳴ったら教えてください」
「わかりました」
「論を止めてあげてね」
 とエプロンを置いてホールへ向かうケントに伊丹は言った。
「遠海くん大好きが今日はすごい。遠海くんがこわばってる」
「あー、それはいけない」
 ケントは慌てる仕草で三倉を見る。申し訳なさそうな顔をこちらに向けた。「トーミにはあまり触ってはいけないと言ってあるんですが」と言い残して慌ててキッチンから出て行った。
 残された伊丹とフライの準備をする。スープやサラダやサンドイッチの類はすでにスタンバイなので、あとは芋と魚を揚げるだけで、これは暖にも出来る。
 伊丹がグラスを取り出し、「こっちはもうはじめちゃいましょうか」と言って手元の紙袋からボトルを取り出した。
「自家製サングリアです。それともビールの方がいいですか?」
「いえ、いただきます。伊丹さんは行かなくていいんですか?」
「いいんです。最近の僕は聴き専ですから」
 タンブラーに注がれたサングリアには、白ワインをベースに様々なフルーツが入っていた。とろりとしているわけではないが、そんな表現の似合いそうな琥珀色をしていた。
「それに老兵は去らないと」
「まさか。老年でも名演を鳴らしたミュージシャンはたくさんいらっしゃるでしょう。スポーツと違うのですから、老いも若きも楽しめるのがミュージックです。それに伊丹さん、そうおっしゃるほどの歳ではないですよ」
「では三倉くんも行きますか、あっちに」
「僕は」苦笑してしまう。「共通言語を持たないので、ここで。エイリアンですし」
「エイリアン?」
「だと言われました。論に。ピアノも弾けないエイリアンだと」
「困ったねえ」
 かちん、とグラスを軽く鳴らして琥珀色の液体を煽る。柑橘のたくさん絞られたサングリアはさっぱりとほのかに甘く、そこがよかった。


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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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