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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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『三倉暖さんの記事は必ず読んでいます。コラムが面白いです。どんな切り口で語るのか毎回楽しみです。これからもずっと読みます。トキタ』


 散々考えた末がこの文章なのだから、あまりのお粗末さに笑ってしまう。でもこれが遠海の精一杯だった。封書にして住所を記し、郵便局で料金を支払ってアパートへと戻る。あおばタイムスに宛てた手紙だった。もうこれ以外に方法を思いつかない。けれど伝えたいと思う。届けばきっと三倉は読む。読めばこちらの意思は分かってもらえると思う。
 アパートに戻り、上着を脱ぐのももどかしく電子ピアノの前に座った。様々な音源を聴き、様々な譜を読み、とにかく指を動かす日々を送っている。伊丹の店のオープンが迫っていた。オープニングの広告もすでに打たれている。仕事から帰ればピアノ、ピアノで、知らぬうちに指が腿を叩いているときだってあった。あれだけ触らなかったピアノに猛然と触れている。遠海の頭の中ではずっと音楽が鳴りやまない。
 電子ピアノに電源は入れていない。あくまでも指使いの練習で叩く。聴こえるのは脳内に鳴る甘美な音色であり、外からの生活音だった。子どもの声、母親の声、車の音。ここは保育園が近いので時間によっては園児の声がよく響いた。泣き声から笑い声まで多彩で豊かだ。それを苦には思わない。こんなにひとつひとつの音がはっきりと眩い。
 窓ガラスが鳴り、遠海は顔を上げた。今日は風がだいぶ出ている。ここ最近は夏かと思えるような日差しで晴れた日が多かったが、天気が崩れることは前々から予想されていたと思い出す。この連休に低気圧がぶつかるようなことを気象予報士が言っていた。レジャーに行きたい人間には打撃だろう。
 メイストーム、と三倉は書いていた。投函した手紙にもっといろんなことを書けばよかったな、と思う。そんな言葉ははじめて知りました、とか。三倉みたいに文章をうまく考えられないからあんなにそっけなくなってしまった。社内で読みまわされる可能性も考えてさっぱりと書いて送ってしまったが、せめて三倉の記事が好きだと書いたなら記事の内容にだって触れてもよかったのではないかと思う。思ったがいまさらだ。遠海は出来る限りで「伝えた」。
 三倉が好きだ。だから遠海は三倉の記事をこれからもずっと探しては読む。
 三倉が結婚していても、いなくても、子どもがいても、いなくても、ずっと好きでいる。はじめて誰かに触れられた喜びも一緒くたに大好きだと思う。
 この先遠海がひとりでも、誰かといる日が来ても、ずっと。


 バックヤードで髪を拭っていると表から声がした。ああ紗羽だな、と思った。はっきりとよく通る声をしているから分かる。紗羽か。――え、紗羽? 驚いて声の方を向くと同時にバックヤードの扉が開いた。花束を抱え、「やだそんな頭で演奏なんかしないでよね」と遠海を見て言った。
「パンクバンドに転向したかと思ったわ」
「紗羽?」
「ご無沙汰で悪かったね。お祝いに来たの。これはお店に。遠海にはこっち」
 紗羽はコートについた雫を払いながら傍まで来て、大きな花束とは別の包みを寄越した。中身を見るとオーストラリアのマーケットでよく見たパッケージのコーヒーとビスケットだった。懐かしさがこみ上げる。
 準備中でばたばたしながら伊丹もやって来た。「オープンおめでとうございます」と紗羽は伊丹に花束をうやうやしく渡す。トーンを落としたシックな花束にはゴールドに近い枝葉がアクセントカラーに使われており、大人びた華やかさがあった。伊丹は「店にぴったりだ」と嬉しそうに笑い、スタッフに呼ばれて「ゆっくりしていって」と残してすぐさまいなくなった。
「外、雨がひどい?」と訊く。
「うん、だいぶ降って来た」紗羽は遠海の向かいに腰かける。
「ケントはまだ帰国しないの?」
「そうなの。絶賛別居中。でももうじき帰って来るよ。六月からまたこっちでアシストティーチはじめる予定でいるから、そしたらまたセッションしてやって」
「ベースがいないと困るなあ」と遠海は笑う。紗羽も微笑んだ。オーストラリアに行っているうちに紗羽は妊娠したのだ。現在はだいぶおなかも目立ってきた。うちは子どもは授かったらでいいと前々から言っていたので、ぽっと出来ても本人たちはさほど慌ててはいない。ケントの母親は大喜びしたという話だ。
「まあ、そういうタイミングもあるってことだよね。そのうち子どもも混ざってセッションが出来るかな? なんの楽器に興味持ってくれるかなあ。くれなくてもいいんだけど、音楽に近い子だといいな」
「近い子になるよ。環境がそうなんだから」
「遠海はなんの楽器希望?」
「ボーカルがいないから歌仕込んどいて」
「あー、そうね。ならケントに任せよ。――ここ、いいね。天井が高くて広くなった。鳴る音が楽しみ」
「今度は地下じゃなくて一階だから紗羽は楽器を運ぶのも困らない」
「それもそうだな。あ、と遠海、だから髪ぐっちゃぐちゃ」
 先ほどから遠海は自身のヘアスタイルに格闘していた。降り出した雨に濡れて店に入ったので、先日散髪をしたとはいえ、うまくセットが出来ない。
「スタイリング剤ある? ああ、持ってるんじゃん」
「紗羽たちがいなくなってから買ったんだ。一応」
「貸して。櫛も。鏡持ってなさいね。――いい? 触るよ」
 遠海の背後にまわった紗羽が、そっと遠海の髪に触れる。櫛で整えられる。遠海を怖がらせないように慎重に、やさしく動く手。やがて「こんなもんかな?」と手が離れた。鏡の中の自分は綺麗なオールバックになっている。
「……老けて見えない?」
「それぐらい説得力あった方がいいんじゃない? バーのピアノ弾きなんだから」
「まあいいか」
 手にしていた鏡をテーブルに置く。紗羽が「なんか雰囲気変わったね」と言った。
「そりゃグランドオープンだからね。弾くピアノも違うし」
「違う。遠海が」
「僕? なぜ?」
「なんだろう、オールバックのせいだけじゃなくて。んー、なんていうのかなあ。前はもっとほら、あからさまに嫌な顔したじゃん」
「なにに?」
「私やケントと近いもんなら、ずりずりと距離を置いたり」
「ああ、」思い当たって頷いた。
「嫌悪感がないわけじゃないんだけど、前よりは少しましになった気がする。ほんの数ミリだけどパーソナルスペースが狭まったのかも」
「なにか心境の変化があった?」
「うーん。特に変わんないよ。未だに失恋は痛いし」
「あ、ほらそゆとこ」
 紗羽はぴしっと指を立てた。
「前の遠海だったら痛いって呻くことすら人前じゃしなかったんだよ。吹っ切れた?」
 指摘されて、そうかと顎に手を当てた。
「こういうのも『距離を許す』なのかな」
「認める、自覚する、って辺りかな。許容、とか」
「そか」
「まあいいけど。今夜は胎教にいい音楽頼みますよー」
 紗羽はそう言って遠海に拝むような仕草を見せた。ふ、と笑ってしまう。
「今夜の出演は遠海だけ?」
「いや、アンジェが来て歌うよ。昼前に顔出してちょっと合わせた。いまは旦那さんとどっか出てる」
「あらアンジェも久々だな。楽しみ」
「紗羽に会いたがってたから挨拶するといいよ」
 やがて伊丹も戻って来て、紗羽と三人で話をした。開店時間が近くなったので紗羽はスタッフに席を案内されてバックヤードを出た。さあさあ、と伊丹が膝を叩いて立ち上がる。
「では皆さん、今夜は、今夜から、またよろしくお願いします。開店しましょう」
 そう言い、スタッフは皆嬉しそうに拍手をした。遠海も手を叩く。目が合った伊丹とほんのりと微笑みあう。
 BGMでいいと思う遠海の音楽のスタイルは変わらない。
 けれど今日も、今日からも、楽しい音楽の時間がはじまる。


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粟津原栗子
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成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
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