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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「こんにちは伊丹さん。お待ちしてました。もーほんと困るんですよねー」
 青年はくだけた口調で喋る。
「こんなに苦労してピアノ手に入れたのなんか久々。チューニングはやたら繊細だし、万全の品質まで面倒見られないですよ」
「大丈夫、彼が気に入ればオッケーだから」
 そう言って伊丹は遠海を指した。遠海はどうしていいやら、ひとまず会釈をする。
「ああ、伊丹さんの息子みたいな秘蔵っ子さんですね。はじめまして、春原(すのはら)と申します」
「鴇田です。ここは、あの、」
「ピアノの修理工場です。先代が伊丹さんとよく取引をしていて、僕が継いでからも無茶な注文をたくさんいただいています」
 はあ、と返事をする。職人らしき人間もひとりふたり見かけたが、工場の奥には洗濯物もぶら下がっている。住居兼工場という感じで、規模も大きくはなさそうだった。
「うちにあったピアノはね、ここの先々代が母に売ったんだよ」
「え、販売店から買ったんじゃないんですか?」
「いまは事業を修理に絞ってますが、当時は新品も扱ってたんですよ。ピアノに関することならなんでもやってました。そういう時代だったんですかね。伊丹さんのお母様に売ったピアノはちょっと珍しいものだったんですよ。世界的なメーカーのものではありますけど、台数がアジアにはあまり入ってこなくて」
「きみ、ヤマハとかカワイとか、純然たる日本製のピアノって実はよく知らないでしょ。あのピアノばっかり弾いてきたから」
 そう言われ、そういえばそうかもしれないと思い、「はあ」と返事をした。
「ヤマハもカワイも世界的なピアノなんですけどねえ」と春原は苦笑した。
「そういう子なんだよ。変な教育しちゃったかな」
「まー、いいですけど。音は好みによっちゃいますから。話を戻すと、伊丹さんのところにあったピアノは大きな製造拠点が二か所なんです。ハンブルグとニューヨークですね。日本に入って来るのはハンブルグ製が多かったんで、ニューヨーク製は珍しかったんです。その珍しいニューヨーク製が伊丹さんのお宅に行ったんですよ」
「あのピアノってそうだったんですか」
「そうらしいよ」
「こっちです」
 春原は奥へ奥へと進んでいき、最終的にひとつの部屋の前で立ち止まった。
「当時ニューヨークでそのピアノの製造に携わっていた技術者が独立して、よそで独自の工房を立ち上げました。ちいさな工房でしたけど、音のよさは評判がよかったです。その工房のピアノは日本にも数台ですが販路がありました。いまその工房は別の大きな工場に吸収されてしまったので実質はありません。今回はニューヨーク製と同じ技術者の製作のもの、もしくはその工房の製作のもの、という指定だったので販売元に出向いて探してもらうようお願いしてきました。……何十年も昔のピアノの技術者まで指定して入手してくれっていうオーダーはなかなか難しくてね。ようやく手に入りましたけど当然ながら製造は新しくありません。ですのでさっき申し上げたように音の質までは保証しません。さあ、どうぞ」
 部屋は工房の一室で、中庭に面していた。北側の窓ガラスから外光が穏やかに室内を満たしている。幼いころはじめて伊丹の家で見たピアノの記憶がよみがえり、混ざった。あのときは鯨みたいに黒々と大きなものだと感じていたが、こうやって見ると思っているよりはちいさいと感じる。遠海が大きくなったのだ。
 部屋の真ん中に置かれた黒いグランドピアノには、金色で社名が入っていた。いままで遠海が弾かせてもらっていたピアノとはロゴが違う。けれどそのフォルムを懐かしく思った。久しぶり、と挨拶をする。震える手でピアノの一鍵を押した。大好きなラの音。はじまりのA。
 コーンと音が響く。身体じゅうの血が突沸して波になり、うねって遠海の身体を震わせる。たまらず椅子に腰かけ、高さの調節ももどかしくまた音を鳴らした。A。A。A。気持ちがいい。A。
 あのピアノじゃない。あれとは違う。あのピアノはもっと気ままで、力強い音もあれば、か弱い抜け方をする音もあった。このピアノははっきりと硬質に繊細で、遠くまで伸びる。あのピアノに比べれば優等生じみていて、少し華やかさに欠ける。
 けれど音の粒の重さが一緒だ。鳴らしたときのタッチの沈み、跳ねあがり。遠海の大好きな余韻の残し方。変にわざとらしくなく、すっきりと素直に鳴る。
 指を滑らせ、別の音を叩いた。やさしく押す。弦が遠海に応えて震える。音は単音ではなく重音で、もはやリズムを奏でている。タッチの重さが懐かしい。遠海に応えてくれて嬉しい。
 静かに遠海は音を鳴らす。重たい音でも力任せには鳴らさない。軽い音でも遠くまで伝わるように押す。これは遠海の喜びだ。またピアノを弾けて、出会えて嬉しいという喜び。人の営みに寄り添いたいと思う遠海の気持ちを体現してくれる音。やわらかに差し込む光の曲。
 たった四分間、けれど伊丹と春原は壁にもたれてゆったりと聴いていた。最後の一音を落として余韻が消えると、ぱらぱらと拍手がした。後ろを振りかえる。春原は呆れ顔で、伊丹は満足そうな顔をしていた。
「久々に聴いた。遠海くんのドビュッシー」
「久々に弾きました。指がもつれた。……練習不足です。昔はあんなに弾いたのに格好わるいですね」
「いや、よかったよ。遠海くんの音だと思った。決まりだね」
 そう言って伊丹は握手を求めて来た。触れることに抵抗を持っている遠海のことはよく知っている。それでも触れずにいられない興奮が彼を包んでいる。遠海も満足してそっと手を差し出す。
「これで大丈夫です。これをください」
「あんな音が鳴るならそりゃあね。ピアニストってのは怖いですね」
 と春原は言った。呆れながらも笑っている。
「じゃあ配送は予定通りで大丈夫ですね。おれも同行しますので到着してからの微調整まで面倒見ます。配送と調整の料金はまあ、今日の名演と開店のご祝儀にサービスしましょう」
「それはありがたいねえ。ああ、あと頼んでたパーツ入った? スピーカーの」
「それならこっちですね。うちはピアノ修理工場なんでそれ以外の注文しないでくださいよ」
 喋りながら伊丹と春原は部屋を出て行く。残された遠海は飽きずにまたピアノを弾きはじめた。こんにちは、はじめまして。どこか懐かしい気分がする。また会えたって思うよ。
 心の中で語りかけながら、音と対話する。こうやっていつまでも過ごせてしまう。歓喜が胸の弦をかき鳴らしている。たくさん振幅して、遠くまで届く。
 こういう喜びのときも、三倉を思い出すのはどうしてだろうか。三倉と分かちあいたいと思う。三倉ならきっと分かってくれる。目を細めて、あなたのピアノが好きだと笑ってくれる。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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