忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「でもその人、結婚してて」
「旦那さんいる人なんですか? うわー辛い。辛いけどわかりますよー、僕は。言っちゃいましょうよ、この際」
「なにを?」
「気持ちですよ、鴇田さんの気持ち! 伝えたらすっきりするかもしんないじゃないですかー」
「伝えたよ」
「え?」
 今度は三人揃って同じ反応をした。
「伝えたけど全然すっきりしてない」
 遠海は耐え切れなくなり、顔を伏せた。語尾が震える。
「僕は、伝わってないのかなって思って、いっぱい言ってしまった。ことあるごとに言ったよ。好きで辛いって。でもその人は、頷いたり笑ったりするだけで、絶対に僕を好きだとは言わなかった」
「……」
「『情』はあると言われたけれど、僕にはそれの意味するところがよく分からない。愛情だと言われたら嬉しかったのかな。……僕のことは眼中になくて、愛情を持って大事にしたい人がいたんだよ……それが、いいなと思ってた」
「いい?」
「大事にしてもらってる人のことが、羨ましかった」
 思っていることを口にして、そうだったのかと不思議な気持ちになった。こんなことを考えていたんだな、という発見。いまだに思っている、という発見。感情を言語にすることの意味をひとつ理解した気になった。
 田代も西川も日瀧も三者三様に黙り込んでいた。酒は一滴も飲んでいないのに場の雰囲気に流されて喋り過ぎだ。トイレに立とうとして、最初に口をひらいたのは西川だった。目も開けられないほど酔って日瀧に寄りかかっているのに、眉根を寄せて遠海の台詞を考えている。
「『情』があって、頷いたり笑ったりしてくれたってことは、鴇田さんのこと受け止めたってことだと思いますよ」
「……」
「受け止めるって、すごくエネルギーいることだと思うんですよ。断るとか受け流すこともできたはずでしょう? そうしなくて、鴇田さんになんべんも好きだって言わせて、私も愛してるわよーなんての冗談でも言わなくて、『情』だと答えたんですから。その人は鴇田さんのこと真剣に考えてたんじゃないですかね。好きだって気持ちを返せなくても」
「……そうかな、」
 三倉の困った笑い顔が浮かぶ。
「旦那さんいるんですから、私も好きよだなんて言えないですよ。お世辞じゃ言えるかもしんないですけど、それも言わなかったってことは、鴇田さんのことがその人なりの価値観で『大切』だったんです。旦那さん裏切らないで、でも鴇田さんのこともちゃんと受け止めようって、してたんじゃないですかね。だから頷いてくれたり、笑ってくれたり、したんじゃないですかね」
「そうだなあ」
 西川の言葉を引き継いだのは、田代だった。
「鴇田にとっちゃ『情』なんて言葉で濁されて相手の態度は煮えきらなかったかもしれないが、結婚してる人ならそれが限度だよ。むしろうかうかと鴇田になびかなかったんだから、誠実だったんじゃないか? 鴇田のこと、ちゃんと考えてたんだろ。『情』だぞ、『情』。なんとも思ってなけりゃ湧きもしないぞ」
「でも僕は……情よりも愛情が欲しかったと思ってしまうんです」
「愛情も情だぞ。それにそりゃ好きになったんだから当然だろう。相手の立場で好き嫌いの判断するわけじゃないからな。好きになってしまった人にパートナーがいようがいまいが、その人を好きになるのは鴇田の自由だ。叶わないのが辛いところだけどな」
「……」
「さっき西川も言った通り、いい人好きになったんだ。だからまあ、飯は食えよ。鴇田がちゃんと食って寝て働くのが、その人も嬉しいんじゃないかな」
「情ですもんねえ」
「そーそ。思いやりだし、慕う気持ちだし、心が動くってことだよな。だったら鴇田に対しては、無表情でも仕事ぶりはいいいつものアレがいいって思うんじゃないかな」
 田代がそう結ぶ。幹事が「そろそろいったんおひらきにしますんでー」と叫んだのが同時だった。


 田代が異動したことで遠海にもより事務的な作業がまわって来るようになった。ただ安全と衛生に気を付けてごみだけ回収していればよかった作業に、次第に責任が乗るようになってきた。年齢を考えれば妥当なコースなのかもしれない。でも自分にはその先がない。家族を持つ予定がないのだから、守りたい人も、養っていく子も、この先にはないだろう。
 ため息をつきつつパソコンに向かっていると事務室に日瀧が入って来た。きょろきょろとなにかを探している。「どうした?」と声をかける。
 日瀧は振り向き、「救急箱ってありますか?」と訊ねた。
「あるよ。怪我?」
「はい。たいしたことないんですけど、さっき収集したごみの中にガラスの破片が混ざってて、ごみ袋から飛び出してたので引っ掻いちゃって」
「ああ、そういうのよくあるんだよね。救急箱はここ。誰が見ても分かるように今度事務の鈴木さんにテプラ貼っといてもらうよ」
 棚から救急箱を取り出し、日瀧に渡す。日瀧の傷を見せてもらったがてのひらを掻いて血が滲んでいるだけで、深さもなく、破片が入っているわけでもない。本人の言う通りたいしたことはなさそうだった。
「消毒液もばんそうこうもあるはず」
「あります。ありがとうございます」
 またパソコンに向かい、かたかたとキーボードを叩く。いま打ち込んでいるのは来月の勤務表だ。希望休を聞きつつ要員を考え配置する。田代から引き継いだ仕事のうちのひとつだった。
「――昨日、帰りは大丈夫でしたか?」と日瀧に訊かれた。
「え?」
「泣きそうな顔して電車乗ってったから。本当は見送りたかったんですけど、西川さんがぐでぐでで」
「ああ」
 昨夜の別れ際を思い出した。一次会で帰宅したのだが、二次会に向かうという田代に「今度ダンも誘って飲みにでも行こうか」と言われ、他意はないと分かっていても耐えられないと思ったのだ。会いたい気持ちと会いたくない気持ちがまたまぜこぜになって、田代には固辞した。
「大丈夫だよ。そっちこそ西川は大丈夫だった?」
「いや、大変でした。やつのアパートまで送ったんですよ。そのまま寝ちまえばいいのに、こんな焼肉の煙でいぶされたまま寝るなんて髪に悪いとかわめいて、どうしても風呂入るって言って。でも給湯のボタンさえ押せないんすよ。挙句髪洗えだのトリートしろだの。ブローが下手だって文句まで言われて散々す。二度と送ったりなんかしません」
「それは大変だ。西川は髪にこだわりがあるんだね。いつもきれいにまとめてるもんな」
 仮で仕上がった勤務表に保存をかけ、出力する。要員が足りているか、希望休を取れているかとマーカーを引きながらチェックしていると、日瀧は急に「これから時間ありますか?」と訊いてきた。
「え?」
「めし食いに行きません? その仕事終わったら」
「あ、もう終わるけど、」時間を確認する。午後三時半をまわったところだった。「これから飯行ったんじゃ店やってなくない?」
「こんな時間でもやってるいいめし屋知ってんすよ。食堂なんすけどね。単品でも頼めますから、ちょっとつまむだけでもよくて酒も飲めます」
「ああ、……いいよ」
「じゃあおれシャワー浴びて着替えて休憩室で待ってます。漫画読んでますんで、急がなくていいすから」
「分かった」
 救急箱を棚に戻し、日瀧は事務室を出て行った。後姿を見送ってもう少しだけ勤務表を直す。



← 4


→ 6





拍手[7回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501