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 日瀧が案内した食堂は、古く小さく、手書きのメニューが壁一面に貼られている、それでもありふれた食堂だった。こんな時間でもわりと人がいて、スーツを着た人がひとりで中瓶のビールをあけていたりする。腹が減ったという日瀧は肉野菜炒めの定食を頼んだ。遠海は迷った末、けんちん汁を単品で頼む。
 待っているあいだ日瀧は「ここは親父の行きつけで」と説明した。
「おれの親父、トラック運転手やってんです。こういう安くてうまい食堂いっぱい知ってて。ここはちいさいころから家族で来てました。仕事以外で来れば親父は酒が飲めるし、おれらガキはめしが食えるし」
「なるほどね。都合よさそうだ」
「ここは親父の趣味ですけど、姉貴の趣味は生音が聴ける店です。カントリーミュージックのライブやるパブとか喫茶店とか。ライブハウスもいいって言って一時期は通ってましたけど、どっちかって言えば音と飯がいいって流れになって」
 オーダーはあっという間に運ばれてきた。割り箸をぱきっと割って、日瀧は定食に手を付ける。だが日頃の無愛想とは変わって話はやめなかった。
「姉貴はいま大学で保育士になる勉強してんですよ。リトミックに興味があって、そんなにピアノが弾けるわけじゃないけど音楽自体は好きなんすよね。おれもその影響で散々あちこち連れまわされました。その中にジャズバーがあった。そこはおれも気に入って、酒飲めないし、本当は校則でそういうとこ行っちゃいけなかったんですけど、内緒でよく行ってました。バイト終わったその足でこっそり飯だけ食いに行くとかさ」
「そう……」
「去年の秋に台風被害のせいで閉店しちゃってすげー残念でした。いつか酒が飲めるようになったらそこで飲みたいなって思ってたんで」
「……」
「まわりくどい言い方はやめますね。鴇田さん、そこでピアノ弾いてましたね」
 そう言われ、遠海は瞬間的に目を閉じてゆっくり息を吐いた。
「背中まるめて、すげーかっこよかった。ピアノのこと本当に好きなんだなって伝わるっていうか。ピアノがいちばんよく鳴る弾き方してるんですよね。このピアノのこと全部まるわかりみたいな。恋人みたいだなって思ってました。そのピアノに対する親密さが尋常じゃなかった」
「……」
「ああ、じゃあまわりくどい言い方続けます。そのピアニストのピアノがおれはめちゃくちゃ好きでした。それでそのピアニストはよく、演奏が終わるとカウンターでひとりで酒を飲んでいて。それがもうおれにはものすごく憧れで。大人の男って痺れるなって」
「そんなに格好いいもんじゃないと思うよ」
「おれは酒が飲めないから、もう全部の憧れがあの店に詰まってたんです。……それでね、そのうちにそのピアニストはひとりで酒を飲まなくなりました。やっぱり格好いいジャケット着たシュッとしてる人とカウンターで飲むようになった。親しいみたいで、距離が近くて。セッションする仲間がいてもいつもひとりで飲んでるイメージだったんで、ピアノ以外に心をひらく人がいるんだなって思って見ていて」
 遠海は黙って水を飲んだ。
「いつだったかな。店が閉店するちょっと前ぐらいだったと思うんですけど、いつものカウンターでピアニストが隣にいる人の顔に手を当ててた。顔かな? 目元だったと思う」
「……」
「到底割り込めない雰囲気で、でも目が離せなかったんです。誰かの顔なんて家族でもなかなか触れないですよ。これはあとからのおれの考察ですけど、そのピアニストって多分あんまり触れることが得意じゃない人なんですよね。狭いトラックの座席の横に乗ってるからすげー分かる。べたべた触る人なんかめちゃくちゃ苦手だと思うんです。西川さんとか」
「……」
「だからあのピアニストがああいうことをしていた人ってのは、ものすごく近いところを許した人だったんだろうなって思ったんです。……まあもうその店ないですし、そのふたりをその後で見てないから、わかんないですけど」
「……そう」
「昨夜の話聞いてそれを思い出してました。おれが鴇田さんに今日したかったのは、そういう話です」
 冷めちゃいましたね、と日瀧は鴇田の椀を指した。頷いてようやく口にする。塩加減が染みて美味しいと思った。久々に味覚を使っている気がした。
 お喋りをやめて黙々と食べた。食べ終えてサービスの緑茶で息をつくと、「美味かったでしょ」と向かいの男が微笑んだ。
「ちょっとしょっぱめの味付けがまた古い食堂らしくて」
「うん。美味しかった。ありがとう」
「よかった。またよければ来てください」
「……本当は西川にもお礼を言わないといけないんだ」
 そう言うと、日瀧は「なんで?」と真顔で訊ね返した。
「おにぎりとか、まんじゅうとか、色々と気を遣ってもらってる。確かに距離の詰め方は苦手なんだけどね。……それに実際あのおにぎりもまんじゅうも、美味しかったんだ」
「そうすか。どっちでもいいと思いますけどね。お礼なんかまともに言ったら嬉しくなって調子乗って余計になつかれちゃいますよ」
「きみらは本当に仲がいいよね。西川って大卒入社だから歳も離れるだろうに」
「あー、そうすね。四コ違います。でも多分、精神年齢が一緒なんですよ。話しやすいです」
 なるほど、と頷いていると、日瀧は「西川さんの髪」と言った。
「長いの、理由あんですよ」
「……僕が訊いてもいい理由なのかな」
「いまの鴇田さんは聞いた方がいいと思います。――あいつが高校の時、好きな先生がいたらしいんです。その先生は風紀の顧問だったそうです。当時も西川さんは髪にこだわりを持って通ってたらしいんですけど、まー風紀を守れ、その髪を切れって、言われまくってたんですって」
「……それに逆らって髪を伸ばしてる、ってこと?」
「違います。その先生、でもいい先生だったんですよね。髪伸ばしてることを校則上では注意するけど、おまえみたいな気骨は好きだからって言ったらしいんです」
「……」
「それであいつはこのスタイルを貫き通すことが信条みたいになったんですよね。先生が好きだって言ってくれたスタイルを続けたいんです。大学はデザイン系って言ってましたけど、こんな会社に就職したのは面接のときの社長に偏見がなかったからなんですって。就活ってフツーは身だしなみめちゃくちゃ気にして髪切りますけど、そうしないで面接に行ってもここの社長は認めてくれたって。うちにはそういう規則もないしなって笑ってたから嬉しかったんだって言ってました」
 あの社長なら言いそうだな、と思った。遠海を公務員から引っ張って来た時もそうだった。豪快でおおざっぱ、けれどそういう面でいろんな人から慕われている。
「あのピアニストの人もさ、また弾いてほしいなって思うんです」
「……ピアノを?」
「ピアノを。あのスタイルで。あのピアニストの隣にいた人もそういうところが好きだったと思うし、聴きたいと思ったからきっと傍にいたと思うんですよね。信念のある人は格好いいし、どうしたって人を惹き付けますよ」
 最後の茶をすすって、割り勘で店を出た。春の明るい日差しがまだほんのりと残っている時間だった。
「日瀧にも信念がありそうだね」と別れ際、訊ねた。日瀧は笑う。
「ないっす、そんな格好いいものは。でも格好いい大人になりたいとは思ってますよ。それで行きつけの格好いい店で音楽と酒を楽しむのが夢です。楽しむ? たしなむ、って言うんですかね」
「そうか。楽しみだね」
「それ、あの店のあのピアノじゃないと叶わないんで。頼みますね」
 じゃあ、と言って日瀧は駅の改札へと消えていった。バネを内包した軽やかな背中は十代のもので、そのしなやかさをとてつもなく眩しく感じた。


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西川くんのこと







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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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