忍者ブログ
ADMIN]  [WRITE
成人女性を対象とした自作小説を置いています。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 たまらずその場で開封した。雨に濡れないようにひさしの下へ出来るだけ深く潜り込む。中身は見覚えのある走り書きで大きく「ボツ」と書かれている、手書きの原稿だった。

『テナガザル/樹上生活者と呼ばれる/一夫一妻制の動物/大きな性差なし/歌で家族を囲う/歌/核家族』

 アイディアの根起こしのようなメモ書きが続く。遠海は必死で目を凝らす。店から漏れる明かりを頼りになんとか読み進める。

『ずっと触れられなかった理由がある/体が拒絶反応を起こす/相手と「出会う」ために他を全て拒絶する/一生を共にする運命の相手に触れるため/拒否/出会って許容を覚える/ひとりを愛し続ける遺伝子』

 最後の方は書いた文章をぐしゃぐしゃと潰していた。けれどその潰された文章は「遠浅の海みたいなピアノで愛を歌う樹上生活者」とかろうじて読めた。
 ふ、と背後からの明かりが消える。音がして裏口から閉店作業を終えたスタッフが出て来る。最後尾に伊丹がいた。遠海を見て「あれ? まだいたの?」と言う。
「ここ閉めちゃうけどもしかして帰れない?」
「あー、あの、」
 封筒を握り締める。アパートに帰ってからとか、雨が止んだらとか、時間を挟むことをなにも考えられなかった。
「ここ、店にもう少しだけいさせてもらう訳にはいきませんか?」
「ピアノ弾きたくなっちゃった?」
「そんな感じです。夜間の電気代とかお支払いしますので」
 必死で言い募る遠海に、伊丹は「こんな雨だしね」と言って店のキーを渡してくれた。
「警備会社には連絡しとく。セキュリティの解除は分かるね。毛布の常備があるからよければ使って。無理はしないように。おやすみ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」
 挨拶ももどかしく鍵を開け直して裏口から店に入る。店に入れてある警備会社のロックも外した。電灯をひとつだけ灯し、ピアノの椅子に腰掛けた。再び封筒をひらく。もう湿気でよれてくたくたになっている。
 原稿用紙を再び読んだが、「ボツ」と記された原稿、それだけだった。こんなんじゃなんにも分かんないよ、と遠海は焦る。裏も表もよく確認し、封筒も改める。中にもう一枚入っていた。こちらは名刺だった。あおばタイムス記者、三倉暖。未だ読み仮名の入らないその名刺の裏をめくると手書きでナンバーが記されていた。右斜め上へと走る番号の下に、やはり手書きのメッセージが続く。
『アドレス再通知。電話をください。ミクラ』
 それがなにを意味するのかは分からない。この人がいまどこにいて、なにを思って、誰といるのか。やっぱりなんにも分からない。
 けれどいまじゃなきゃだめだと思う。いまじゃないと遅い。それだけははっきりと分かる。時間を置いて冷静になったらそれは、「逃した」のだ。
 スマートフォンを取り出し、震える手でナンバーを押した。長いコールのあいだ、留守電に切り替わるまではなんとしても鳴らそうと思いながら粘る。もう無理かと思いかけた頃、ようやく『三倉です』と応答した。女の声でも、子どもの声でもない。成人した男性の、遠海がずっと聞きたいと思っていた声だった。
「……あの、鴇田です。……いまいいですか?」
『鴇田さん。お久しぶりですね。大丈夫です』
 心臓が痛む。呻くように目を閉じてピアノにもたれた。
「会社の後輩に封筒を渡してもらいました。中、読んで」
『まさか今夜のうちに届くとは思わなかったです。意味、分からなかったでしょう』
「全然」
『そう。だから……要するに話したいことがたくさんあります』
 声音には笑みが混じっていた。音声が鼓膜から脳へと伝わり、それは遠海の中で歓喜として変換される。こんなにもこの人の声を聞きたかった。長く遠海が堪えていたこと。
「僕もたくさんあるんです。いまどこにいますか?」
『アパートです。引っ越したんですよ』
「引っ越し?」
『うん。鴇田さん、いまどこ?』
「……ピアノの前、」
『え? 店? それともアパート?』
「店。……雨がひどいって無理言ってひとりで居残りしてます」
 ピアノの蓋を開けて一音だけ鳴らす。『そうか、店か』と相手は笑った。
『鴇田遠海さん』
「はい」
『先日は封書を下さいまして、ありがとうございました。励みになりました。なんていうかな、ちゃんと届いていることが伝わって嬉しかったというよりは、私が得たいと思っていた喜びを頂いた、と言うのかな。この仕事をしていて良かったと思いました。本当にありがとう』
「あんな文章しか書けなくて。三倉さんみたいには書けない」
『でもおれはピアノを弾けない。おれとあなたで表現の方法が違うだけです。もしくは会得した技術とか。それはいままでの人生の差で、個であることだと思います』
「コ?」
『個性だって意味です。ピアノを弾いて来たあなたの人生と、人に会って話を聞いてものを書くのを仕事に選んだおれの人生。当然ながら違うんです』
「性質も?」
『そうだね、性質も。前にあなたが言っていた通りに。ですが同じ時間軸に生まれているので、こうやって交わることがあります』
「またそうやって難しいことを言いますね」
『難しくはないんだけど、……文字だけとか、音声だけで100%はなかなか伝わらないね』
「分かるように言ってください。ちゃんと説明されないと、僕は分からない……」
 三倉の「おれ」や「あなた」を久しぶりに聞いて身体がぐずぐずに崩れる。好きでたまらない、どうにもならない恋心が胸の内側にひたひたと満ちる。
「会いたいです」と口にしていた。
「会って顔を見て話をしたいです」
『うん。おれも同じことを思います。あんな演奏されたらこっちはたまったもんじゃないよ。おいで、待ってるから。ああ、いいか。おれがタクシーでいったん店まで迎えに行きます』
「大丈夫なんですか? こんな時間だし、こんな天気だし、……家庭とか、奥さんとか」
『ひとり暮らしだからね、問題ないです。こうなるためではなかったけれど、慎重に時間をかけました。その話もしたいと思う』
 そう言われ、遠海はとっさに電話を落としそうになった。指が震える。声が出ない。
『遅くなってしまって申し訳ない。まだ間に合いますか?』と男は訊く。遠海は目を閉じる。目蓋の裏に困った顔で笑っている男の顔を思い浮かべる。
「三倉さん、会いたいです」
『会いに行きます。少し待ってて。――あ、思いついた。電話切らないでおくのでピアノ鳴らしててください。それ聴きながら会いに行きますから』
「……リクエストにお応えします」
『そうだな。ブラックミュージックに浸りたい気分です。ジャズもそうだけど、R&Bなんかもいいよね。好きな歌手がいてさ。この話したことあったかな?』
「知らないです。なんていう歌手ですか?」
 三倉は歌手名を告げた。よく知っているわけではなかったが、有名な曲をひとつだけ弾けそうだった。
「確かこんな感じ」とサビの部分を指で弾く。
『ああ、それ。さすがよくご存知ですね』
「ではこれも交えていくつか。……どうぞお気をつけて。お待ちしています」
 スマートフォンをスピーカーに変えて、ピアノの譜面台に立てかける。
 呼吸をして、音を一音だけ鳴らす。大好きなA。それから遠海はゆったりとミュージックを奏ではじめた。




メイストーム end



← 10




今日の一曲(別窓)




次は10月10日から更新します。





拍手[10回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
プロフィール
HN:
粟津原栗子
性別:
非公開
自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

****
2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」

2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
カウンター
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
フリーエリア
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]

Template by wolke4/Photo by 0501