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life goes on




『宇宙の果ては何色かと少年は質問した。偶然ラジオで耳にした。少年は白だと思うと述べた。私も漠然と同じ想像をした▼専門家は「赤い」と答えた。色は電磁波の一種であり、波長が短ければ青く、長ければ赤く映る。遠い果てまで届くような色は波長が引き延ばされている。すなわち赤いのだ▼宇宙はビッグバンで誕生した。それまでは何もなかった。「無い」状態がどう言う状態を指すのか想像し難い。私達は皆「有る」のであり、「無い」状態からは生まれていない。私達を分子のレベルまで分解したとしても分子が「有る」。それすらも「無い」のだから果たして生命とは何かと頭を捻る▼仏教には「畢竟無」(ひっきょうむ)と言う言葉がある。過去にも現在にも未来にも存在し得ないと言う意味だ。宇宙の外側や果てはこのような状態だったのかもしれない。ただし宇宙はもはや「有る」。無かった物から突如生まれる事がある▼観測上は赤い果ても、実際に目にするならば違うのかもしれない。宇宙が膨張するように少年の好奇心の芽も育って欲しい。私達は日々存在し、それはなかった事にはならない。〈暖〉』


 何度読んでも難解で、よくこんなものをコラムとして載せたなと感心する。子どもから老人まで地域の人間なら誰の目にも触れるローカル紙でこの内容。それでも強く惹かれるのは三倉が書いたものだからだ。もはや遠海にはこれしか三倉との接点がない。接点と呼べるのか――単なる読者だ。ただ三倉が変わらずあの新聞社に勤めていることは喜んでいいのだと思う。
 なかったことにはならない、と呟き、切り抜きを折りたたんで社員証を入れているケースの内側に仕舞った。いつでも眺めたいと思うときに読めるようにと考えた結果、そこに落ち着いた。最後に記された〈暖〉の文字にそっと指を這わせる癖が出来た。何度もそこだけ触れているので、印刷が剥がれている。
 昼休憩の際に休憩室の隅っこでそれを眺めるのが日課になっている。窓の外を見遣ると、よく晴れた空の下に桜の新緑が眩しかった。花はとうに散って終わった。時間が経ちます、と心の中で呟く。三倉さん。あんたに会えないまま、時間がどんどん経つ。
 それでいいのだろう、と思う。三倉の妻とそう約束した。それに遠海自身もこの状態を望んだはずだ。距離も時間も離れれば忘れる。忘れたらなかったことと同じだ。
 昨年秋のひどい災害のあとから、三倉とは音信が途絶えた。遠海からは絶対に連絡をしてはいけないと思い、どんなに声が聞きたくなっても電話をしないように我慢した。それでも三倉へ連絡をしたいと思う夜が何度もあり、もしくは三倉からの連絡を常に待つ自分がいた。耐えられない、と思ったのは自己防衛だったのだろう。遠海はスマートフォンを替え、全く新しいナンバーを入手した。データの同期は行わず、全て新規。だからもう三倉には連絡の取りようがないと分かったとき、安心への手応えを得た。少なくとも胸を常に覆う暗い雲は僅かに取り払われた。
 店でピアノを弾くこともないので、不意に出くわすこともない。そうやって離れ、なかったことになる。なかったことにしている。だが突如やって来る三倉との交流の日々への追想はどうしようもなかった。傍にいて三倉が笑う。興味深いと言って好奇心を隠さない目を向ける。遠海の言葉や行動に頷き、音に聴き入る。自身について語るときの指先の遊ばせ方の癖。目を見て、好きですと計算もなにもなく告げる。目を細める困った笑い顔。
 三倉の目の緩み、あるいは険しさ。たった一度重なった嵐の夜のこと。いつも身体にぴったりのシャツを着ていたから勘違いしていたが、衣類を剥ぎ取ってしまえば三倉の身体つきは意外と痩せ型だった。シャツを纏うことで見かけに説得力を持たせるようにと、三倉の妻にそんな思惑があったのかもしれない。その痩せた肌にはぴっちりと皮膚が張り付いていて、頬をつけると心地よかった。三倉の腹に頬を乗せ、右手は絡めたまま腹の上で音楽を奏でた時間は遠かったな、と思う。あれ以上の喜びをこれまでの人生で感じたことはなかった。触れることを望めなかった遠海には衝撃で、心臓は弾けて機能を失っていた。歓喜に貫かれ、神がかった音楽が身体に満ちる。こんな経験をしていいのかと背中がひやひやして、快楽は恐怖と裏表だと知った。
 その思い出だけでこの先生きていこうと思った。記憶だけ大事にして、たまに思い返して過ごせばいい。だがそんな甘いものではなかった。声や、手や、肌の温もりや湿り気、重さを感じたくてたまらなくなる。焦燥感だけはどうしようもなく、時間が経過したいまもこうやって不用意に襲われる。
 三倉は元気だろうか。そうでなくては困る。妻と仲直りしてうまくやれているといい。遠海とのことは一時の気の迷いで、忘れてほしい。なかったことになっていればいい。……本当は忘れてほしくない。表側の遠海と裏側の遠海が交錯する。本当の自分はどちらだろう。
 盛大についたつもりはなかったが、ため息を拾って「お疲れですか? お悩みですか?」と声をかけて来た人間がいた。さらりと艶のある黒髪をひとまとめにして結んだ男と、不愛想に笑わない男。四月からの新入社員のうちのふたりで、現在遠海と同じ配属で働く。長髪の方を西川(にしかわ)、不愛想な方を日瀧(ひたき)と言う。
 声をかけてきたのは西川だ。おしゃべりな西川は誰にでも明るく愛想がよく、社内のマスコットキャラクター的な存在になりつつあった。その西川の傍には大抵日瀧がいる。日瀧は遠海と同じレベルで無表情で、思考をトレースしにくい。傍にいても西川のお喋りのフォローにまわるわけではないが、突っ込むべきところには容赦ない突っ込みを入れる。話はきちんと聞いているのだ。要するに仲がいいんだなと思う。
 西川は会社で頼んでいる宅配弁当を手にしていた。日瀧はコンビニ弁当のようだ。「ここ失礼しまーす」と遠海の向かいに腰かける。こういう距離感の詰め方をする人間は世間に案外多いのかもしれない、と思った。
「あれ? 鴇田さんお昼は?」
「食べたよ」手元に残ったゼリー飲料の空を示す。
「それじゃ食べたって言わないですよ。ただでさえ体力勝負の仕事なのに。僕のお弁当分けましょうか? 途中でおなかすいたときのためにおにぎりあるんですよ」
 はい、と有名絵画がプリントされた巾着袋からちいさめに握ったおにぎりを渡された。食べる気はなかったが、ありがとう、と受け取っておく。
「さっきのため息は大丈夫ですか? 悩み事でもありますか?」
「たいしたことじゃないよ。いいから食べなよ。お昼終わるよ」
「だって鴇田さんって仕事してないときは大体難しい顔してため息ついてますもん。もしかして僕たちのことで悩んでますか? 使えない新人来たなーとか。ねえヒタキくん?」
「おれは違うけど西川さんはそうかもな」日瀧はようやくコメントした。
「使えないと思ってても本人に言える話じゃないしな」
「あ、ひどい。そりゃ確かに僕は非力の部類だけど、愛嬌はあるんだからね。ヒタキくんこそ少しは笑ったら? 笑顔でイチコロは基本だよ」
「笑いながらごみ収集する必要もないんだからほっとけ」
「あーひどーい。あらお兄さんいい笑顔で仕事するのねえって、集合住宅の大家のおばあちゃんに言わせた男だよ、僕は」
「いい男なら黙って飯食っとけよ」
 やいのやいのと新人ふたりは言葉を交わす。それをしながら食事もきちんととっている辺りがすごいと思う。遠海には難しい芸当だ。また窓の外を見る。風が吹いているようで葉が揺れた。
「今週末来ますよね」と急に話題が変わって、遠海は「え?」と訊き返してしまった。
「歓送迎会です。僕たち新人も、異動しちゃった人も、退職した方も、みなさん来るんですよね。焼肉だって。鴇田さんも参加しますよね?」
「あー」そうだったな、と思い出した。ここのところ仕事でしか予定が埋まらないのでスケジュールを考えることすらしていなかった。「そうだね、行くよ」
「やった。やっぱり焼肉にはビールですよね。これからの仕事も頑張れそう。ヒタキくんは飲めないねー。かわいそうだねー」
「うるせぇな」日瀧は高卒採用で、飲酒年齢には達していなかった。
「鴇田さんは飲める人ですか?」
「そうだね」と答えると、西川は「えー、苦手そうなのに意外ー」と答えた。
「でも歓送迎会では飲まないかな」
「なんで飲まないんですか?」
「健診の結果が悪くて禁酒してるんだ」
「そんなに大酒飲みなんですか?」
「そうかもしれないね」
 それだけ言って席を立つ。健診の結果云々は嘘だった。数値に異常はない。
 ただ、あの店が再開したらあの店で飲む。そう決めているだけだ。




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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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