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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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「今夜はおれがリビングのソファで寝るよ。先にシャワー使う」
 そう言って距離を取ろうとしたが、悲鳴に似た抗議が背中にかぶさる。
「もの分かりのいいふりなんかしないで!」
「してないよ」
 冷蔵庫の下から動けないでいる蒼生子を振り向いた。
「ものが分かって言ってるわけじゃない。ものすごく怒っているから、冷静になりたいんだ」
「私に怒ってるの? なら言ってよ、ちゃんと」
「あなたに怒ってるんじゃない。自分に、……怒りを取り除いて、考えたいだけだ」
 蒼生子を振り切って浴室に向かった。ひどい夜だと思う。熱いシャワーを浴びられることが不思議でならなかった。頭を空っぽに出来るけど、断水地域でこれが出来ない人が大勢いる。
 嵐の夜がずっと続いている。低気圧に次ぐ低気圧。雲が湧き、雨を降らせ、地面に水が浸み込み、川から海へ流れ、それがまた上空にのぼって降る。繰り返し繰り返す。この循環を断つことは出来ないのだろうか。これこそが生命のリレーたるものなのだろうか。……どこかで綺麗に晴れたらすっきりするのに、と思う。自分も、蒼生子も、……鴇田も。
 鴇田にはあんな風に言って、あんな風に別れてしまった。連絡を取りたいが状況の悪化を招くだけだろう。今夜はどうしているのだろうか。ピアノを失った日に、辛い夜に、近くにいたかったと思う。
 シャワーを済ませてリビングに戻ると、暖のスマートフォンを蒼生子は手にしていた。マナーモードのままになっていたスマートフォンが断続的に震えている。
「電話? 貸して」
「……鴇田さんから?」
「そこに表示されている名前が鴇田さんならそうだけど、違うだろう?」
 蒼生子の手元を覗き込むと会社の名前とナンバーが表示されていた。
「……会社の名前で登録してる」
「鴇田さんのナンバーを? 見たんだろ、おれのスマホ。鴇田さんのナンバーは鴇田さんで登録してるよ。返してくれ。会社からだから」
「……」
 納得しない蒼生子からスマートフォンを受け取り、電話に応答した。疑いのまなざしを向ける妻のために、内容が聞こえるようにスピーカーにした。
『夜分にすいません。あのー、三倉さんの番だというのをお伝えしたくてー』電話の主は会社の内勤社員だった。夜勤の真っ最中らしい。
「え? なにが僕の番でしたっけ?」
『持ち回りのコラム。ほら、災害続きで順番が入れ替わったりしたでしょう。最近はコラム自体を削って紙面作ってましたけど、そろそろコラム再開しましょうかって話を昼間の会議でしましたよね』
「あー、そうだった。すいません、失念していました」
『だろうなと思ってお電話させていただきました。社内がばたばたしていましたし、三倉さんもお疲れの様子でしたから。締め切りまだ先ですけど、遠くもないですので、ご連絡だけ』
「ありがとうございます。と言って明日になったら忘れていそうだな。今夜のうちに草稿だけでも起こします」
『無理なさらないでください。疲労がそろそろピークに来る頃ですから。明日と明後日はお休みでしたね。休めるときには休んでください』
 ありがとうございます、と言って電話を切った。蒼生子は呆然と暖を見ている。暖は妻に「やることが出来た」と言った。
「今夜はリビングじゃなくて書斎にいるよ。あなたもシャワーを浴びて暖かくして休んで」
「……出て行かない?」
「書斎にいる。……不安に思ったら寝室の壁でも叩けばいい。返すから」
 暖はパソコンと書籍を置くためだけの一室に向かう。寝室は隣だから、壁を叩かれれば反応出来る。蒼生子は納得した様子ではなかったが、諦めて浴室へ向かった。
 次回のコラムになにを書こうか、思いついたネタをメモしておいた手帳をめくる。取材に使う手帳とは別に、原稿の案や気になった事柄やアイディアを記してあるノートだ。記事はほとんどをパソコンで作成しているが、草稿の段階では手で記すことも多かった。こんなこと考えていた時期もあったなと過去を思い返しながらめくると、いつか掲載になったコラムの下書きが出て来た。
「友人が出来た/勢いがいい/この年齢になると考える事/意気投合したままずっと/勢いのよいまま関係を続けることは可能か?/長く人間関係を続けるコツを覚えた年齢で」
 そんなことも書いたな、と懐かしくなった。さほど前でもないのに大昔みたいに思える。字数制限があるのでだいぶ削ったが、思考の段階ではいろんなことを考えていた。蒼生子も指摘したように、鴇田と知りあったら鴇田のことばかりだった。その勢いのまま付きあいを続けるのは難しいと自分でも分かっていて止まらなかった。――ああそうか、だからいまこうして崩れている。
「……なかったことには、しない。おれは」
 決意のように呟き、新しいページにシャープペンシルを滑らせた。アイディアやとりとめない思考を黙々と記していく。時折辞書をめくり、図鑑をめくる。この記事は誰に届くだろう。読んだ人に響くだろうか。
 報道にはときめきがあると鴇田に語った夜のことを思い出す。読んで終わる人もいれば、その記事をきっかけに思考が発芽する人もいるだろう。事実を知って今後の事象の予測につなげる人もいる。そうやって営んでほしいと思う。そういう喜びのために、暖は記者になったのだ。
 暖の書いたものが、届いてほしいと思う人がいる。
 夜半、壁がコンコンと控えめに鳴らされた。暖は顔を上げ、壁をコンコンと叩き返す。しばらくして鳴ったのは部屋の扉だった。開けると蒼生子が立っている。
 一睡もしていない様子だった。眠れるわけがないのかもしれない。目は腫れぼったく、うすい印象の顔にそれがインパクトだった。暖は「入りな」と書斎に妻を招く。
「……ごめんなさい、仕事、」
「うん、いいよ。もうだいぶ進んだからあとは明日にする」
「……」
「座って」
 デスクのスタンドのスイッチを切り、本棚に背をもたせて床に座った妻の隣に暖も座った。妻の背にはクッションを当ててやる。
「話そうか。いろんなこと」
「……」
「昨日のこと、今日のこと、明日のこと。最近気になってる音楽、食べたごはん、道ですれ違った人のこととかさ。なんでもいい。話そう。あなたの話を聞かせてくれ。おれもおれが思っていることを話す」
「……あ、」
「どうした?」
「いま思い出したの。最初から暖は聞き上手で、私の話を聞いてくれた。覚えてる? 通し矢に興味があったから弓道部に来てたはずなのに、いつの間にか私お弁当の話してたんだよ」
「ああ、覚えてる。弓道部が合宿で三十三間堂の通し矢見に行くって聞いたから話を聞きに行ったんだけど、なんだかんだで結局伊勢参りと名古屋グルメツアーになったやつだ」
「そうそれ。あの合宿のとき暖はずっと写真撮って、地元のおばあちゃんの話聞いてた」
「よく覚えてるね」
「思い出したんだよ。……でも暖の話なんかちっとも聞かなかった気がする……」
 妻はそう言い、ぽつぽつと語りはじめた。暖はきちんと話を聞く。なにも逃すまいと思いながら聞く。
 そして自身のことも話すのだ。余さず、漏らさず、丁寧に。対話をする。それできっとある種の方向性や道筋は見えて来るだろう。
 出る結論がどういうものになるのかはまだ分からない。けれど誰ひとり傷つかない選択はもうない。ここまで捩れたまま進んだことを、なかったことにしない。
 だから話す。最善を尽くしたい。興味に負けて散々勝手に振る舞ってきたが、誠実であるべきだと思った。せめて蒼生子と――鴇田には。
 暖を好いてくれた人のことを大事にしたいと心から思う。そういう自分でありたいという決意に似ていた。それは誠実な男と接した経験からなのだと、暖は噛み締めて前を向いた。
 



秋雨前線 end.






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25日より更新再開します。









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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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