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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 目が覚めると陽はとっくに中天にあった。明け方に発作を起こすと、たいていはこうなる。身体の動作を確認し、起きあがれる、と腹に力をこめてベッドを降りる。居間へ向かうと、ダイニングテーブルの上いっぱいに茶色い実がころころころげていて、馨は背を向けて椅子に座っていた。ちいさく流したラジオにあわせて歌をうたっている。
「えらい数の栗やな。どしたん、これ」
 栗の皮むきと歌に夢中になっている、子どもみたいな三十男に声をかける。居間を抜けてキッチンで水を汲み、馨の向かいに腰かけた。
「調子は?」
「もう平気や。栗、どないしたん」
「今朝、隣の、真島さんが持ってきてくれた。庭にあるのがたくさんなったからって」
「ああ、真島さんか。あのうち毎年くれんねん。あとでお礼に行かなあかんなあ」
「そっか、毎年くれるのか。だからこの家に栗の皮むき用のナイフなんかあるんだな」
 馨の手つきは、するするとよどみない。渋皮を残した実と、すべて剥いた実とでボウルを分けている。なぜなのかと訊くと、虫食いのない実の方は渋皮煮にしようと思うから、と答えがあった。
「ほかは栗ご飯にでもしようかなと」
「僕も手伝うわ」
「皮剥きナイフ、ひとつしかないよ」
「栗の皮なん、園芸用の剪定ばさみでも剥けるやろ」
 しばらくふたりでぺりぺりと皮を剥いていたが、僕は思い出してなんとなく笑ってしまった。
「なに?」
「いや、高校のころのこと思い出したから。おまえが付きおうてた、あれ何ちゃんやったかなあ、忘れてもうたけど、その子が言っとったことな」
「なに言われてた? おれ」
「『烏丸くんて卵の殻割れないし鶏が4本足だって思ってる』てな。高校生男子ならそんなもんやったかもしれんけど、あん頃のおまえはそういう、料理できない男子に分類されとったはずやな、と思い出してな。そんなんがいま、栗の皮剥いて、渋皮煮だ言うとるんがな。東京の生活やヨーロッパ留学で覚えたとも思えんし、はは」
 僕は思い出話を軽く笑っただけだったが、馨は考え込むように黙った。しばらくして、「栗は身近にあったぞ」と答えた。
「身近?」
「留学先で。時期になると焼き栗のスタンドが出て、よく買って食べてた。地方によっては栗祭りっていうイベントもあったし。栗のリゾットもお菓子もあった。メジャーだったよ」
「へえ、てことは留学先で覚えたんか。イタリアやったか」
「そう。料理もね、教わった。アパートの大家のおばあちゃんが教えてくれて。シロップ煮とか栗練り込んだパスタとか」
 それからラジオから流れてきた音楽にあわせて歌をくちずさみ、歌うように会話に戻った。もしくは喋るようにうたっている。この男の普段は、こんな感じだ。
「ええな。栗ごはん言わんとさ、栗つこたイタリア料理振る舞ってよ」
「いいけど、手間かかるんだよね。炊飯器ってさ、材料入れてスイッチ押すだけじゃん。日本人の発明極まれりだと思う。イタリアでも米炊いてたけど、鍋だったから勝手がちがって面倒だったな」
「炊飯器持ってかなかったんか」
「うん。けど、日本からの留学仲間で持ってる人がいて、貸してもらったりふるまってもらったり。まあ、ちゃんとした日本米なんてあんまり手に入らないから、送ってもらった時だけだったね」
 役割を決めて、栗ご飯及び夕飯の支度は僕がすることになった。馨は渋皮煮及び栗菓子に手をつけると言い、そのままキッチンを占拠した。夕方になるまでそうやってうたいながら作業をして、キッチンあいたよ、と声をかけられたころには、ダイニングテーブルの上に渋皮煮の瓶詰めがいくつかとシロップ煮をアレンジして作ったケーキができていた。
「どっちもブランデーきかせたから明日になってからの方が美味しい。明日のおやつができたな」
「そら楽しみやな。夕飯は栗ご飯のほかに粕汁にしよか思うとる。秋鮭の時期やな」
「どこもかしこも収穫祭だよな」
 そしてまたうたいながら風呂を沸かしに行った。
 馨がヨーロッパに留学しているころ、僕は大学を卒業して地方にある出版社に勤めていた。そして馨が帰国してデビューを果たし、世間が馨の歌声にのめり込んでいるころ、病気をして療養生活を余儀なくされ、それは結果的に退職に結びついた。激しい運動はだめ、ストレスはだめ、重たいものも持ってはいけない、等々。はやばやと隠居への道を進み、ちょうどよく用意されたこの家での生活がはじまった。家は広すぎたが、居住スペースを制限しておけば僕ひとりでもなんとかやれた。ただ、家の全体の手入れまではなかなか難しくて、業者を呼ぶしかないときもあった。
 馨は、それらもよくやってくれる。蛍光灯が切れれば買ってきて付け替えてくれるし、窓も磨くし、外壁塗装が剥がれれば塗り直して、家のまわりを覆う木々が塀の外に出て邪魔にならないように剪定をしてくれる。僕が暇を持て余してはじめたプランター菜園も、いつの間にか馨が好きにしている。夏は草刈りをしてくれたし、最近は「冬になる前に」と冬支度をせっせとこなしている。「おれがいないとだめ」な身体どころか、もはや生活が成り立たない。
 そういう生活がどんどん当たり前になって、感覚が麻痺して、僕はわからなくなる。果たしてこの生活は馨にとってよいものなのかどうか。本来ならば馨は誰かのために(熱狂的なファンのためだけじゃなくて、きっと世界中の人のために)歌をうたう存在だ。これは決して大袈裟な言い分ではないと思う。そういう才能が、馨には備わっている。そしてそのことを考えるたびに、僕は「この生活は一過性のものだから」と言い聞かせている。いまはここで共同生活をしているが、馨はいつかここを去る存在で、世間にお返しすべき人だと。
 馨を見ていると、いったいどういうことなんだろうか、と不思議を感じずにはいられない。いつ、自身の声で遊ぶことを覚えたのだろう。歌や音を聴いて、それを口から発せられると気づいたのはいつなのだろう。そこに別の音を重ねられるとわかったときや、舌がよくまわってなんでも発音できること、複雑なリズムでも惑うことなく音を乗せられて、朗々と歌いあげることも、ひっそりと囁くようにうたうことも、声色を変えることも、ビブラートのあるなし、こぶしのきかせ方とじ方、「声」にまつることならなんでもできてしまう、と気づいたのはいつなのだろうかと。神様に子どもがいたら、それは馨のような遊び方のできる人のことなんじゃないかと僕は思う。
 馨のCD音源は、僕も持っている。聴いていると、水面から沈み込んでいくような心地になる。圧倒的な体積のものに沈みながら浮かんで、たゆたって、息継ぎを忘れる。けれどそれが苦しいとは思わず、望んで溺れている。
 だからこの生活を続けてはならない。人前でもううたうなと言われた、と馨は言ったが、そんなことは不可能だと僕は思っている。
 それはすなわち、この世界の損失だからだ。


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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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