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倉庫を住居兼作業場として借りたい。父が連れて来たのはそういう変わった男だった。同い年だというが、三十歳には見えぬほど髭でもうもうと顔が隠されている。欧米人ならそういう男性は当たり前だろうが、日本ではちょっと合わない。もっとも年齢に見合わない風貌というのは自分もそうか、と頭髪を意識する。姉が亡くなって以降で加速度的に髪は真っ白くなった。苦労が多かったわけでは決してないのだけど。
父とは淡々と契約を済ませた様子だった。あの物件だけは不動産屋も仲介をしたがらない。それだけちょっと変わった事故が起こった物件だからだ。けれど男はそれを気にしない。聞こえてくる話を聞いている分には、「第六巻は私には存在しないので、分からないものはないのと同じです」と飄々と答えていた。変わっているというか、まともな性分の男に思えない。あの物件を選ぶことや見てくれからしても、まともな職業ではないのも確かだ。
でも、と八束は思う。この男の運転は丁寧で安全だった。車の運転で気が立ったり苛つくタイプではないのだろう。マシンとしての車の操縦を楽しんでいる感じがした。来客用の月極駐車場での縦列駐車も見事な腕前で、聞いたら大型免許も取得しているとのことだった。
そう、きっと悪い人間じゃないのだ。必要な技術をきちんと備えている一般人。でも何故だろうか。八束はこの男を見るとなんだか苛々する。人を食ったような受け答えに聞こえるからか? どこか浮世離れしていると思わせる風貌だからか? 茫漠としているかのような表情を見せるくせに、時折鋭い目線をむける。そのせいか?
姪は夏休みの課題に自室で取り組んでいた様子だったが、飽きたのか暑さに参ったのか階下に降りてきた。姪を見て男は「お子さんですか? いくつ?」と訊ねる。姪は笑って「九歳です。小学三年です」と答えた。
「ご結婚されていたんですね」
「いえ、あれは姉の娘です。姪です。僕は独り身です」
「そうでしたか。失礼をしました」
「まあ、あれの両親はもういないので、僕と親父で面倒を見ています」
「え?」
そこまで答えると、父が割って入って「八束、セノくんにこの町を案内してやりなさい」と言う。
「セノくん、生活必需品も必要だろう。スーパーとかドラッグストアとか」
「ああ、そうですね。八束さん、昼飯はまだ?」
首を横に振る。
「なら、安くて美味くてひとりでも入れるような店も知りたいです」
「分かった。親父、四季を任せるよ」
男を車の助手席に乗せて、商店街やスーパーの位置を教える。商店街に入る定食屋で昼飯を取った。この男はこの町に縁もゆかりもないらしい。それがどうしてここに? と謎に思うと、自ら明かしてくれた。
「おれの育った町はSなんです。湖が海みたいに広がっている町でね。川の傍はちょっとそこに似ているな、と思ったんです。実際に見れば全然違うんですけどね。なんか、水気がおれには心地いい」
「なら海の傍でもよかったんじゃないですか?」
「なんだろう、潮風はまたちょっと違うんですよね。あちこち旅して思ったんですけど。かといって山奥の湖のほとり、とかでもまたちょっと違う。これを言葉にするのは難しいですね」
「あの川の傍に住むなら」
八束はちょっと苛々しながら喋った。
「音に注意してください。近年であの堤が切れたことはないけど、昭和の記録では大災害になったことがありますから。ガラガラとか、ごとごととか、そういう音がしたら危険なので避難を。川の大きな岩が動いている証拠です。それだけ水量が増している、と言うことなので。川を見に行く真似だけはなさらない方がいい」
男は冷やうどんをすする手を止めて八束をまじまじと見た。この目。いたたまれなくなるほど瞳孔の色が深かった。
「……なに、」
「いえ、八束さんの職業はなんだろうな、と。お詳しいので。見た目だと市役所勤めあたりの硬そうなお仕事に見えるんですけど」
「当たらずとも遠からず、てとこですね。市の郷土資料館の研究員やってます。専門が河川の歴史で」
「ああ、とても納得しました」
そう言って男は笑った。髭の奥でやわらかな笑みが屈託なく向けられて、八束はうろたえる。そんなに素直にそんな顔するなよ、と思ってしまった。なんだろう、この男は。得体が知れなくて怖い。怖いのに近づきたくなる。そしてまた深淵を垣間見て怖くなる。
怖い? 苛々してるんじゃなくて?
――怒りは二次的な感情なんだよ。
姉の声がよみがえり、はたと我にかえった。もう少し探ってみよう、と八束は「セノさんのお仕事は?」と訊いてみる。
「ヤクザな商売です。美大でね、主には木彫を教える非常勤講師をしながら、文化財の修復なんかもやります。いまのところは」
「ああ、」こちらも納得した。芸術系の大学勤め。技術職。だからこんな見てくれであんな場所に住もうと言うのだ。父がこの男にあの物件を許した理由も分かる。
「木彫ですか」
「他の素材も扱いますけどね」
「僕にはとても好きな現代彫刻家がいるんですよ。ご存知かな、鷹島静穏っていう」
「――あ、いや、ええと」
「すごくね、好きなんですよ。酔っ払うと彼の作品の話ばっかりしてしまうらしいですよ。姪の証言です」
「……そんなに熱心なファンなんですね」
「こうね、学生時代に初めて彼の作品を見たとき、鳥肌が立ったんですよ。なんていうのかな、読みごたえのある一冊の壮大な物語を読んだ気分になるというか。芸術に特別詳しいわけではないですけど、ものすごい技術を持っているのも分かります。同い年だと知ってますます応援したくなりました。ここ数年は発表がないので、次が待ち遠しいですね。いまごろどんな構想をしてるんでしょうね」
「……」
「と、いうようなことを延々と語ってしまうようです。僕はそんなにお酒を飲みませんが、飲むとすぐ酔っ払ってしまうので。絡み酒になって寝落ちします」
「……八束さん、この辺でいい飲み屋ってご存知ですか?」
「たくさんありますよ。この商店街の中にもいくつか。案内しましょうか。お酒、好きですか?」
「いえ、八束さんと飲んでみたら楽しそうだと思って」
そう言って男はまた笑った。今度は、に、と作られた顔だ。油断ならないな、と八束は思う。この男は、怖い。まだおそらくいろんなカードを隠し持っている。
でも手の内を全て見てみたい。
――怖い人ってね、大概は優しい人だよ。その優しさは、八束の淋しさに向き合ってくれる。
五紀、これって合ってんのかな。この男って多分ゲイでもなんでもないんだけど。
もっと近くに寄りたい。怖い。知りたい。怖い。知りたい。
知りたい。おまえ、なんなんだ?
◇◆◇
「八束、川見に行かない?」と静穏に誘われたとき、八束は静穏の作業室の隅で本に没頭していた。
◇◆◇
「八束、川見に行かない?」と静穏に誘われたとき、八束は静穏の作業室の隅で本に没頭していた。
冬だ。真冬だ。今年は雪が多くて、昨日まで散々降った雪で町はいちめん真っ白に染められていた。
「ここから見えるよ」と倉庫の外を指す。
「川面をもっと見たくてさ。あと冬の風に当たりたい。嫌ならおれだけで行くけど」
「いい。僕も肩が凝った」
上着を羽織り、スノーブーツを履く。マフラーで首元をぐるぐるに防寒して、表へ出た。
「さむっ!」
「うわ、油断すると川に落ちるな。川の淵が雪で分からない」
川岸に近づくのは諦めた。ザクザクと雪を踏んで、葦のしげみが切れる適当なところにふたりで立つ。
「――あっという間だな」と呟くと、静穏は「なに?」と答えた。
「年月というもの。僕らそろそろ四十路が見えてる」
「不惑っていうけどさ、本当かな?」
「なってみたらいきなり不惑になるのかな。そうだといいんだけど」
「いや、面白くないだろ」
静穏は白い息を吐いてあっさりと言った。
「惑ってばっかり。それでいいよ」
あ、と思った。この人は受け入れたんだ、と。
自分の人生というもの、あるいは自分の性分や業というもの。芸術家には揃って存在するという繊細な野蛮さを、受け入れて飲み込んだのだ。そして胃の腑で轟々と煮やしている。
それがこの人の次の芸術になる。
「あ、見て八束、鳥だよ」
その時八束は、太陽の影になって反時計回りに旋回する大きな鳥を見た。眩しくて目を細める。
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粟津原栗子
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自己紹介:
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問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
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お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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