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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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『あ、遠海? いまいい?』
 バーでの演奏を終えた頃に電話があった。紗羽からで、遠海の出番終了を見計ってかけてくれたのだろう。バックヤードで帰る支度をしつつ「いいよ」と答えた。
『新南が所属してる合唱団のクリスマス公演があるのよ。いいホールでやるし、趣向も凝るみたいだから面白いんじゃないかと思って。チケット買わない?』
「新南、合唱団に入ったんだっけ?」
『この夏前からね。オーディションで入団してるんだから褒めてあげて。ほら、K町で毎年夏に市民劇場で国際音楽祭があるじゃない。そこで子どもの合唱とか歌劇も毎年お披露目されてたんだけど、去年から国際音楽祭だけの出演目的で集まるんじゃなくて、児童合唱団として独立したの。そこの入団テスト受けたのよ』
「それで受かったならすごいね」
『ね。レベル高いんだわ、これが。あの子にとっていい刺激になってると思う。新南ははじめての演奏会になるから、遠海にぜひ来て欲しいって手紙まで書いてるわ』
「それは行かないとな」
 笑うと紗羽も笑った。
「いつ? いくら?」
『十二月はじめの週の土曜日。チケットも団員割引でそんなに高くないよ。千円で二枚買えちゃうから。――それぐらいあたしたちで招待してもいいんだけど、新南のはじめてのオフィシャル公演だからさ。なんていうか、お金払ってちゃんとジャッジして欲しいと思ったの。これは聴くに値するかどうか。お金を払って聴こうって気になるか』
「厳しいお母さんだな」
「その上で音楽でやっていくか、あたしたちみたいに趣味に留めるかは、新南の判断の材料になるから」
 教育ママになるだろうとは思っていたが、想像より遥かに教育ママに成長していたようだ。
「――うん、行くよ。買うよ、チケット」
 バックヤードに吊るしてあるカレンダーで日付を確認する。電話の向こうから『じゃあ取っとく』とはきはきした口調の声が届く。
『何枚いる?』
 訊ねられ、つい返答に詰まった。三倉の顔が過ぎる。もうずっと連絡を取っていないけれど、誘っていいのだろうか。ああ、きっかけ、だ。
「――二枚、」
『毎度ありぃ。そのうち新南からの手紙と一緒に送るわ。お金は都合いいときでいいから』
 用件だけさっと済ませ、電話は切れた。


『コンサートのお誘いです』
『僕ではなく新南の』
『彼女の所属する児童合唱団のクリスマスコンサート 
 十二月×日十八時開演 
 A区文化会館中ホール』
『ホールの喫茶室で待っています』


「喫茶室カノン」の看板を見て、ここか、と外観を眺める。小雨の降る日で、吐く息は白く肌寒かった。傘をたたみ、ドアをくぐる。そう広くはない店内には数名の人影程度で済んでおり、その中に鴇田の姿はなかった。
 もっとも暖が早く来すぎてしまっただけだ。早めに退社して、取材用の手帳とノートパソコンを片手にここへまっすぐ来た。まだ午後三時半。ここで仕事でもしながら鴇田を待てばいいと思ったのだ。
 窓際のテーブルを選び、コーヒーだけ頼む。手帳とカメラからパソコンへ移した画像を見比べながら文字起こしの作業に没頭する。雨が一際大きな音を立てて窓ガラスを鳴らし、外を見た。もうだいぶ日が暮れていて、青灰色の水の中に傘をさして歩く男を見た。
 男は足早に雨の中を抜け、喫茶室の入り口に潜り込む。それで暖の視界からは消えた。すぐに扉についたベルが鳴り、客の入店が分かる。コツコツと足音が近づき、その足音は暖の正面の椅子の際で止まった。椅子が引かれる。
 暖は顔をあげた。いつもの普段着よりちゃんとしたよそ行きのジャケット姿。その上から暖のウインドブレーカーを羽織っている。鴇田は「早かったんですね」と細い目をさらに細くした。
「仕事しようと思ってだいぶ先に来てた」
「はかどりました?」
「うん。あとすこしで終わる。コーヒーも美味いし、穴場スポットかもしれない」
「混むときは混むんですけどね。大きな公演とぶつからなければわりと空いています。――僕もコーヒーをお願いします」
 椅子に腰掛けて、やって来た店員にオーダーを告げた。暖もお代わりを頼む。それからちょっと笑って「その上着」と指をさした。
「そう、夏の終わりにあなたが僕の部屋に忘れていったやつ。返さなきゃと思っていてそのままだったのを――着ていけば忘れないかなと思って。今日みたいな日には活躍するから僕は助かったけど、三倉さんはなくてこの秋は困りましたよね」
「いいよ、着てくれた人がいるんだから」
「ここに来るまで濡らしてしまいました」
「風と雨除けになっただろ。防風性と撥水の良さで選んでるから、それ」
 そのまま間が出来た。鴇田の言葉を待ちつつ、暖はキリのよいところまで仕事を進める。あらかたまとめあげてノートを片付ける頃には鴇田は上着を脱いでいたし、コーヒーも残りわずかになっていた。
「終わりました?」と遠慮のない深い目が暖を捉える。
「うん。おしまい」
「じゃあ、これ」
「なん?」
 鴇田が差し出したのはこっくりと深いブラウンに金字のロゴの入った紙袋だった。ネイビーブルーのリボンがアクセントになっている。これを見たことがある。鴇田は「日瀧の提案です」と言った。
「ん? 日瀧くんから?」
「いえ、僕から。仲直りのきっかけというか、国交回復の記念の品っていうか。――これ選ぶのに日瀧と西川の三人で店に乗り込んだんです。店内のテイスティングだけじゃ埒があかなかったので、端から買ってって会社の事務室であれがいいこれが好みとか言い合って。結局社内の人間を巻き込んでチョコレート試食会に発展して。遅くまで色々」
 眠い、と鴇田はあくびを噛み殺した。なにを言いたいのか本人もうまく説明にならないようで、だが名店「フラウ」のショコラを暖と鴇田の時間のために選んでくれたのは分かった。
「これに合うコーヒーを淹れてくれると嬉しいです」と言われ、国交回復の意味を理解した。
「――いいよ」
「話したいことがいっぱいあって、……あなたの話もたくさん聞きたくて。その、僕はまだ完全に『発作』から脱したわけではないみたいなんですけど、でも共通で日本語っていう言語を持ってるんだから交流をしたいと思うんです。心を交わす、って言うのか」
「――うん」
 暖は微笑んだ。
「おれも土産と土産話があるんだ」
「どこか行ったんですか?」
「取材旅行でね。あなたにはグリーンフラッシュの話をしたいとずっと思ってた。写真もあるんだ。見せたくてうずうずしてたけど、鴇田さんなかなか連絡くれないから。嫌になってしまったんじゃないかと気が気じゃなかった」
「それは……本当にすみませんでした」
「いいよ。連絡もらうまでは忍耐だったけど、こうやって会って話が出来るから。……演奏会終わったらコーヒー入れに行くよ。ショコラを摘みながらさ、ゆっくり話そうか」
 そう言うと鴇田はほっとした顔で、やがて面映そうにはにかんで「ありがとう」と答えた。
「開場の時間になるね。そろそろ行こうか」
 喫茶室を出てホールへの階段を上がる。全席自由席で、後方に席を取って並んで座った。
「樋口夫妻も来ているんだろう?」
「娘の一大イベントですからね。でも遠海たちは好きなところで自由に聴いて、と言われてしまいました。演奏が終わったらちょっと顔見てきましょう。ーーそうだ、これ新南からの招待状」
 そう言って鴇田はポケットから可愛らしいキャラクターの描かれた便箋を取り出した。受け取って中身を改める。『ダンもよんでね。ぜったい来てね』と拙い字で一生懸命に綴られていた。
 開演となり、演奏が始まった。団員がステージに上がり、アカペラでいきなり美声を響かせるので驚いた。子どもにしか出せない無垢な声が高くホールに響き渡る。新南は髪色が違うのですぐに分かった。彼女はソプラノのパートにいるようで、他のメンバーと声を揃えて朗らかに歌っていた。これが初舞台とは思えぬ堂々とした歌い方だったが緊張感もあるらしく、ひな壇から降りる際にちょっとよろけてはにかんでいた。
 メンバーを変えて重唱に移ったり、ピアノやバイオリンとの演奏があったりと、客を飽きさせないようにプログラムの練られたコンサートだった。ちょっとした振り付けのある曲もあり、クリスマスソングの王道もうたう。たどたどしい動きが愛らしい。やがて公演もクライマックスという頃、隣の鴇田の頭が暖の方へと傾いだ。響きの良い上質な音楽に合わせて彼は眠りに引きずり込まれていた。
 膝が、と思った。暖の左膝と鴇田の右膝が触れている。鴇田の髪が暖の肩先に微かに当たる。触れていることをこんなにはっきりと意識する。
 またアカペラの合唱曲が始まった。隣り合った音の重なりの美しい、天へと突き抜けるような歌声に圧倒される。鳥肌が一気に立つ。ふと隣を見ると、鴇田の着ている黒のセーターの袖から見える腕にもふつふつと鳥肌が立っていた。
 言語は聞き取れない。何語なんだろう、英語ではなかった。けれど眠っていると思っていた隣から「salve regina」とひそやかな囁き声がした。
「サルベレジーナ?」暖も声をひそめて訊ね返す。
「聖母マリアへの祈祷文。ラテン語のミサ曲です。あわれみの母、道を照らしてくださいみたいな意味」
 それだけ言って鴇田は暖の肩にそっと頭を載せた。
「――福音だ」
「福音か」
「神様の声とか、銀の鈴って、こんな音色なんだよ、きっと……」
 響きが響きを呼んで、ホール全体に音色が満ちる。聖なる導きの歌詞、重なり合う音と音。いくつもの波長の連なり。どこまでものぼっていけそうな、身体を浸してゆく発声。
 微かに触れている箇所から伝わる発熱。福音、と暖は台詞を反芻する。
 この距離で、触れ方で、でもちゃんと私たちは共有している。空間を、時間を、音楽を、感情を、身体を。
 そしてそれらをいま祝福されている。神様の子どもたちから。
 そう思った。


『Aへ取材で訪れた際に地元の方の案内で海辺を歩いた。晴れ渡って空気は澄み、ドラマチックな夕焼けを見ることが出来た。水平線に沈みかける太陽の上部が緑色に見えた。グリーンフラッシュ(緑閃光)という珍しい現象なのだと教えて頂いた▼光には様々な色の波長が含まれている。人間の目に見える範囲で遠くまで届く色は赤だ。夕日が赤いのは沈んで遠くなった太陽光のうちの短波長の青系は空気中の塵などで散乱されてしまい、赤だけが残るからだ。だが空気が恐ろしく澄んでいると本来ならば散乱される緑の波長も稀に届く。それがグリーンフラッシュの正体だ▼ポリネシアの島々ではこれを見られると幸福になれるとされている。それだけ稀有な現象だということだ。地元の方は「たまにある発作みたいなものだ」と言う。気象とはそう言うもので、過去の統計から未来をどれだけ予測しようとこれが確実に起こるとは言えない。条件が揃ったからと言って見られる訳ではない▼心臓発作、パニック発作、てんかん発作など、発作とつけば良いイメージは湧かない。辞書を紐解けば「激しい症状が急激に現れる様」、続いて「短時間で治まる」とある。近年の唐突で激しい気象を確かに連想する▼起こっている最中は辛いだろう。だが適切な対処を知っていれば慌てずに済む。冷静な見極めが大事だ。それにはやはり日頃の観察と考察の積み重ねなのだろう。分からないと決めつけず、新しく知を得て考え続ける事だ。〈暖〉』


 新聞を畳み、譜面台に立てかけた。三倉が焼いてくれたAでのグリーンフラッシュの写真を眺め、遠海はふっと息をつく。「なにを見ているんですか?」と背後から声がした。スタンバイ前のケントが立っている。
「ああこれはすごい。グリーンフラッシュですね」
「ケント、見たことある?」
「見えやすい、と言われている島に旅行に行ったことはあります。でも僕は見られなかったです」
「そっか」
「トーミの写真ですか?」
「いや、三倉さんの。取材先で見たんだって」
 写真を渡すと、ケントは「幸せになれますねえ」とはにかんだ。
「なんかこれも福音っぽい」
「グリーンフラッシュですか?」
「うん。神がかって神々しい。このあいだの合唱曲みたいな」
 ポーン、とピアノを鳴らした。いくつか鍵を弾き、そのまま新南の歌ったあのメロディーを奏でる。合唱の部分まで音を重ねる。隣り合った音は不協を忘れ、不思議と心地よい。
「今夜はフクインにしますか?」とケントは笑う。「グレゴリアンチャントでも演奏します?」
「いや、ジャズやろうよ。ちょっと合わせる?」
「ハイ」
 写真を返し、ケントはドラムセットの元へ向かった。ドラムの合図でピアノを鳴らす。ケントがそっと口ずさんでいる。
 発作、福音、チョコレート、お土産の馬、そっと触れること、緑色の閃光。
 理解され続けている、と確かに思った。三倉は遠海への理解を放棄しない。喜びで指が踊る。音の波が打ち寄せては引き、新たなる波を呼ぶ。
 だったら、と考える。だったら僕もちゃんと分かりたい。あの人のことを知っていたい。僅かにふるえる指先にぽっと熱が灯った気がした。爪の先でいつか掻いた三倉の皮膚の、肉の感覚を思い出す。
 鳴らすピアノは三倉であるような気分のまま数曲弾いた。もうすぐ年が明ける。新しい年もあの人と一緒がいい。今夜この演奏が終わったら真っ先に電話をして予定を訊こう、と決める。


グリーンフラッシュ End.

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今日の一曲(別窓)

これにて「ぬるい遠浅の海」はおしまいです。
セットリストを作りましたので良ければそちらの記事もどうぞ。



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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