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 じゃあ今週もおつかれ。そう言ってプルタブを引きあげる直前にインターフォンが鳴った。自宅の、ではなくて、日野辺医院の方。音の鳴り方で日野辺は「おっと急患かな」と腰をあげた。
「現は飲んでて。ちょっと表見てくる」
「センセイってのは大変だな」
「こういうときに限って本当に厄介だったりするんだ。戻ってこなくても、先に休んでていいから」
 好きにしてて、と上着を羽織りながら医院の夜間口の方へ去っていく。今日は大先生もいないので(日野辺いわく、彼はもうほとんど引退なんだ、だそうだ)この付近の町民の頼みは本当に日野辺だけなんだろう。もっとも日野辺の手に負えないと判断すれば即座に救急要請をして同乗するぐらいだ。この辺りだと隣の市立病院あたりがもっとも大きく、日野辺もそこで働いていたことがあるから勝手も分かっていることもあり、そこへ搬送になる。問題なのはぎりぎり日野辺の手に負えてしまう患者。こうなるとむやみに時間を食う。
 プルタブのあげかけたビールはまた冷蔵庫に仕舞い、しばらく表の様子を窺っていた。診察室から聴こえてくるのは、日野辺と少女の声だった。少女は日野辺のことを「若ちゃん先生」と呼び、日野辺は少女を「あかり」と呼んだ。親しい様子が分かる。
 通常の会話が可能であるのなら、さほど急を要することでもないのかもしれない。そうすると長引くパターンか。前にも急患でやって来た老夫婦の、付き添いのばあさんの方のおしゃべりが止まらなくて酒宴がお流れになったことはあった。付きあう日野辺も日野辺だが、ここはそういう場所でもある。
 だからって夜間に急患のインターフォン鳴らして呼び出していいわけじゃないだろう、と思っていると日野辺が戻って来た。
「あれ? やってないのか、現」とのんきに言い放った。
「ひとりで酒飲みてえなら帰ってやるわけ。どうなの、急患」
「ああ、この時期の恒例。花粉症」
 ふ、と日野辺は医院の方へ顔を向けて笑った。
「花粉症っていうか、花粉のアレルギー。肌の過敏な子でね。よく日光とか花粉とか乾燥でも肌に蕁麻疹が出来ちゃうんだ。皮膚科で薬もらってるんだけど、切らしたみたい。処方箋書いてほしくてうちに来ただけ。もう皮膚科は時間外だからって」
「時間外って、うちも薬局もそうだろ。市立病院の夜間外来かかる方が早かったんじゃないのか?」
「中学生がひとりで行ける距離にあればそうしてるよ。母子家庭で母親が遅いんだ、いつも」
 さっき薬局には電話したんだ、と日野辺は言った。
「ギリギリOKらしいから処方箋のファックス送った。だからおれは、終わり」
「……薬局って、これからひとりで行くのか」
「まあ、そうだろうね」
「ふうん」
 だから、上着を羽織った。


「気をつけてね」と薬局の老年の主人に送り出されてきたショートカットの少女は、現を見るなり顔をこわばらせた。黙ってヘルメットを渡すと、「点数稼ぎ?」と辛辣な言葉が返ってくる。
 そこまで敵意をあらわにせんでもいいのに、と思いながら、「おまえにヘルメット貸す分おれはノーヘルで行くから、黙ってろよ」とカブのエンジンキーに手をかけた。
「道わかんねえから教えろ。ここからどう行きゃいい?」
「まっすぐ行くだけ。ずっとまっすぐだよ。……ワイナリーの看板を右に曲がって、またすぐ右折。そこに自販機がある。そこでいい」
 ワイナリーの看板、と少女は簡単に言ったが、そこまでは軽く三キロはある。とんでもない距離を徒歩移動してきた少女には舌を巻くしかなかった。現がいままで暮らしてきた街なら、電車が止まる。
 現から受け取ったヘルメットを大人しくかぶり、少女は「寒そ」とつぶやく。
「寒さと花粉で蕁麻疹出して夜間かかったのに、いやがらせじゃない?」
「うっせえな。薬ぐらい塗ってもらってんだろ。寒いならこれかぶって黙ってろ」
 ばす、と自身の上着を殴るように渡す。少女はにおいを嗅いで、それに袖を通した。
「このあたりは春が遅いんだな。しっかり掴まれよ。ちゃんと腰に手ぇまわせ」
「うん……」
 ぐ、とバイクをまたいだ身体から、腕が胴にまわる。背中にしっかりとしがみついた身体を確認して、バイクのエンジンをふかした。夜空には赤い月がのぼっていて、見張っているかのような威圧感がある。それの方向にバイクをひたすら走らせる。道は広い農道だった。周囲は広大な畑で、作物の植え付けにまだ早い今の時期はただ耕された土が舞い上がる。バイクでなくても、近くの山からおりる風は容赦なく吹きつけた。
 言われた通りの場所で右折して、また右折。言われた通りの場所にバイクを滑らせて止めた。バイクを降りた少女は「ありがとう」とは言わず、「噂になってる」と言った。
「から、知ってた。イズミさんのこと」
「なんの噂」
「若先生の恋人だって。……みんな言ってる。大先生がああいう人だから大目に見られてるけど、あの家はおかしいよっていう人もいる。いずみ姉ちゃんのことも、若ちゃんのことも」
「くだんねぇ話だな」
「でも、本当なんでしょ」
「あの家はおかしくねえよ。まともな家だ。おかしいのは、おれだろ」
「……」
「都会から訳ありで逃げてきた男が地元の医者と噂になってる。そういう話は常盤の奥さんもしてるし。でも送が気にしてねえから、おれも隠さない」
 そういうと、少女はヘルメットの金具を外しながら目線を逸らした。
「……わたし、ちっちゃいころからずっと、若ちゃんにかかってるの。大先生じゃやだ、若ちゃんじゃなきゃやだ、って駄々こねて泣いたぐらい」
 風は強く、ヘルメットを脱いだ少女の軽やかな髪をさらに荒らす。
「小学校を卒業するときに、若ちゃんに言った。若ちゃんがこのまま結婚しないならわたしがお嫁さんになるって。……そしたら若ちゃん、苦笑いして、うん、って言った」
 ――おれは女のひととは結婚しないんだ。だからあかりのその気持ちは、今後出会う大切な人に向けてあげな。
「……こんな中途半端な年齢のガキにさ。若ちゃんはちゃんと真面目に取り合ってくれた。だからわたし、イズミさんのこと、いやだって思ってる。やさしくされればされるほど、いやな気持ちになんの。今日みたいなこと、もうしないで」
「別におれは、そんなの知ったことじゃない」
 あかりからヘルメットを受け取り、そのまま煌々と明るい自販機に寄ってコーヒーを買った。
「ただ、中学生が夜道をひとりで歩くのはまずいだろうと思っただけ。少なくとも、おれが前に暮らしてた街では、場所によっちゃ成人女性でもなんでもそうだった。……送は立場上おまえを送ってはやれないだろ。それさえいやなら、薬の管理はちゃんとして、もう夜間になんかかかりにくんな」
 あかりの分の飲料は買わなかった。そこまでしてやる義理もない。あかりは上着を脱いで、現にそれを投げつけた。
「なによばか!」
「……」
「若ちゃんのにおいのする上着なんか寄越さないで。だいっきらい。だいっきらいだいっきらいだいっきらい……!」
 あかりは叫びながら涙をぽろぽろとこぼした。こうされて、思う。これは姉に、自分がされたかったことだ。だが姉は現を信じたままだったから。
 このまっすぐさが、ひねくれた自分に、どれだけ羨望として映るか。
「でもわたしは、若ちゃんが嬉しそうだから、いずみ姉ちゃんのことで塞いでないから、大先生が笑ってるから、ああこれはいいことなんだって収まりをつけるしかないんだ……!」
 あかりは泣いた。ぼろぼろ泣いて、何度も目元をこすった。現は投げつけられた上着を羽織り直して、空いた缶をダストボックスに投げる。
 いい子なんだな、と思った。まっすぐに感情をぶつけられることは、大人じゃなかなか叶わない。そして自身の感情をきちんと客観視しようとしている。とんでもなくいい女に成長するんじゃねえか、という予感は、姉を思い出したからだった。
 思春期の姉に、義兄との関係を知られていたら、きっとこうだったんじゃないかと思う。そして現と義兄はずるかったから、こんなに堂々と非難されたら、あっという間に知らない関係になっていた。
 この少女は、現が目を逸らしてきた過去を、正しさと清さで突きつける。
「ばかはおまえだ」
 ヘルメットをかぶり、カブのエンジンをかけた。
「気をつけて戻れ。じゃあな」
「うっさい、あんたにはなんだって言われたくない! 黙ればか!」
 ありったけの罵倒を背にして、来た道を戻る。

→ 後編



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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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