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辰巳さんは会社をサボることになりました。わたしが起こさなかったからです。わたしもシャワーを浴び仮眠を取って、昼過ぎ、ぼんやりと居間へ下りてゆくと、辰巳さんもやはりぼんやりとした佇まいでソファに座っていました。
「ひどいじゃないですか、ママ。――さぼっちゃいました」
「たまにはいいのよ」
ふたり揃ってベランダの向こうの空を見あげました。爽やかな秋晴れで、良い天気です。今年はこんな日は珍しいです。雨が多いのです。
「ママには恋人、いるんですか」
ふと辰巳さんが訊ねます。
「いまは、いないわ」
「ええと、過去付きあって来た人は――男、ですよね」
「ええ、そうね」
「男が男を好きになるのは、どういうことだと思いますか?」
「どういう、とは?」
「その、……間違ってる、まともじゃない、っておれは思うから」
「そうかしらね?」
「え」
「って、思うようにしているのよ、あたしは。あたしぐらいあたしを認めてあげなきゃあたしが可哀想じゃない。おまえアタマおかしいぞ、ってあたしは中学のころから言われてた。でもどう考えても、あたしはちゃんとあたしなのよ。あたしはあたしの道を歩めることが、正しいの」
「……」
「昨夜、鳥居さんが仰ったこと、そうだと思うわ。世の中の大多数から外れたから間違っている、ってことはないと思う。辰巳さんには、好きな方がいらっしゃるのね」
「……ええ」
「男性なのね」
「そう、です……」
「それで悩んでいらっしゃるのね」
「……」
辰巳さんはうなだれ、手で顔を覆いました。肩が震えています。「こんなはずじゃなかった」と指と指の隙間からため息が漏れ出ます。
「――いままで付きあったことのある人はみんな女性です。男が気になったことなんかなかった。でもいま、どうしてもどう考えても好きなのはあいつなんだ。あいつもおれが多分、好きだ。このあいだ、酔った勢いでキスをしました。気持ちが良かった。あと数秒かけてたら、多分、止まらなかった」
「止まらなくて良かったんじゃない? お互いに好きなら」
「おれはね、愕然としたんですよ。まさかおれが、男相手に恋をするとは思わなかった。そういうのは別次元のとち狂ったやつらの話だと思っていて、……すみません、ママのこと悪く言いたいわけじゃないけど」
「分かるわ、大丈夫。続けて?」
「……あいつって言うのは、大学の時の同期です。あのころから仲が良くて、いまでもよく一緒に飲みに行ったり、温泉行ったりしてたんです。あいつは頭の出来が良くて、というよりそれしか取り柄がなくて、大学院に進んだ後はそのまま研究室の助手になりました。ずっと同じ大学にいて、――それが今度、講師として地方の私立大学に迎え入れられることになったんです。もうじき引っ越しちゃうんです、あいつ」
「遠いのね」
「そう。それを聞いたとき、おれはすごくショックだった。淋しかった。怒りも沸いた、なんでおれを置いて行くんだ、って。あいつは、苦しそうな顔をして、呻いた。淋しいね、タツ、とか言って、……聞いたこともないような声音で、それがたまらなくって、抱き寄せて、キスを、」
「うん」
「もう片時だって離したくない、と思うのに、あいつは行っちゃいます。おれの心の整理もつきません。おれの田舎はものすごい山奥で、農家で、おれは長男だから跡取りです。いまはサラリーマン勤めなんかしているけど、そろそろ帰って、嫁さん探さなきゃいけない。嫁さん取って、家継いで、子ども作って、育てて、――そういうことが、なんにも、出来なくなるんですよ、男に恋をしたら。親や弟妹を裏切ることにもなる。特に、……じいちゃんは頑固で厳しい人だから、認めてはくれない。親父もおふくろも、もう還暦が近いってのに、おれに期待してるのに、今更、……好きな男がいるから実家戻りませんとか、そんなの、言えない」
辰巳さんの震えがひどくなりました。わたしは喉を塞がれたような気がして、呼吸が上手くゆきません。必死で辰巳さんの背中をさすってやります。どうかこの人が温まりますように、楽になりますようにと。
ああ、ああ、なんということでしょう。なんていう重圧を、辰巳さんは背負っているのでしょうか。田舎の、澄んでクリアな分だけ純化してずしりと重たい空気をつきつきと肌に感じます。淋しいでしょう、好きな人が遠くへ行くことは。苦しいでしょう、こころが追いつかないことは。重いでしょう、身内からの厚い信頼や期待は。
辰巳さんは痙攣するように身体をこわばらせて泣いていましたが、やがて「ちょっと顔洗って来ます」と言って、わたしの手を払って立ちあがりキッチンで顔を洗いはじめました。わたしはタオルを出してやります。しっかりと顔を拭って、そのまま、辰巳さんはキッチンのシンクに背を向けて、ずるりと腰を下ろしました。
またうなだれます。
「すみません、誰に話したらいいのか分からないけど、誰かに話したくなって」
「気にしないで」
「おれは多分このまま、……あいつにはなにも言わないで、実家継ぎに戻ります」
わたしはなんと答えてよいやら、首をわずかに傾げました。
「なかったことにするの?」
「それがいちばんいい。被害が最小限で済む」
「被害、ねえ。……ね、おなかすかない?」
わたしの申し出に、辰巳さんは顔をあげました。
「ゴハン、食べに行きましょう。ついでに少し買い物もしたいから、付きあってくれる?」
「……いいですけど、」
「じゃあ決まりね。向こうで髭剃ってらっしゃいな。着替え、用意しておくから」
前の男のために用意してあった衣類が、新品で押し入れに仕舞ってありました。おそらくサイズはちょうどよいと思います。秋物だったかどうかはちょっと定かではありませんが、今日は極端な気温の日でもなさそうです。
「ありがとうございます。でも――着替えって、女物?」
いたく真面目に聞いた辰巳さんの、これにはわたしは笑ってしまいました。
*
店の営業は夜の八時から始発がはじまるまで。宵っ張り営業をしています。鳥居さんとお連れの辰巳さんは深夜一時ころまで粘りましたが、やがて帰ってゆきました。
秋は夜長。早々と夜の帳を下ろします。朝も遅くなりました。夜間、薄着でいれば寒いと感じるような季節です。わたしは秋が好きです。あなたの誕生月が秋でした。
営業を終え、佐々木くんと別れ、わたしはお店のシャッターを下ろします。タタンタンタンタン、と電車が走る音が遠くから聞こえます。と、背後に影を感じてとっさに振り向きました。驚きました。鳥居さんと別れたはずの辰巳さんが、そこに立っていました。
「――夜通しいらっしゃったのかしら?」
「その、……行くところが、この辺はよく分からなくて、」
「やだ、風邪引くわ……お店に戻って来られても、良かったのに」
どうせ始発まで営業している店です。辰巳さんはひどく疲れた顔をしています。眠れずにさまよったのでしょうか、このしょうもない風俗店ばかりの界隈を。
「あたしの家、すぐそこなの。来る? 温かいスープがすぐ出るわ」
「行ってもいいんですか? 鳥居さんが、ママには主義があると言っていました。公私を絶対に混同しないと」
「主義はあるわよ。でもあなた、――本当にひどい顔」
「……」
「放っておけないのよ」
行きましょ、と言ってわたしは辰巳さんの一歩前を歩きます。辰巳さんは大人しくついて来ました。
お店から徒歩三分でわたしのマンションへ到着します。「ちょっと片付いてないけどいいわよね、どうぞ」と、辰巳さんを中へ促しました。インテリアはモダンに、白黒グレイでまとめています。元からそういう色あいが好みなのです。お店でこそスパンコールのついた赤やサテンのピーコックブルーと言った派手な色あいのドレスを選びますが、家に帰ればオフホワイトのニットにグレイのスカート、そんな風です。
辰巳さんをソファに座らせ、わたしはすぐにキッチンへ向かいました。わたしだってずっと立ちっぱなしの仕事で疲労困憊ですが、辰巳さんはそれ以上に疲れている風でしたので、まずは温かいものを、と思ったのです。缶詰のコーンや乾燥わかめと顆粒コンソメをカップに入れ、お湯を注ぐだけで簡単なスープが出来上がります。お出しすると、辰巳さんは「本当にすぐ出てきた」と少しだけ表情を緩ませました。
「飲んでて。ちょっとあたし、着替えてくるから」
超特急で化粧を落とし、着替え、おろしていた髪をまとめあげて再び居間へ戻ります。辰巳さんはソファに深く沈んで、ぼんやりと宙を眺めていました。わたしに気付くと、少しぎょっとした風でしたが、「その方が自然です」と言いました。
「なにが、かしら?」
「化粧落としている方が。女装してるけど、違和感が減りました」
「やあね、化粧落としたらますますおっさんよ。ただ慣れてきたってことよ、きっと。これからあたし朝食だけど、一緒に食べる?」
「いや、あまり腹は減ってなくて。ていうか最近、減らなくて」
「あらだめよそれ。まあでもスープ飲んだものね。いいわ」
くあ、と辰巳さんはあくびをし、それから「失礼」と言いました。
「そのソファで良ければつかって頂戴。毛布出してあげる。少し寝るといいわ」
「でも、会社。……いったん家に戻らないと、」
「戻れないからあんな風に夜通しさまよってたんでしょう? よく分かんないけど、寝なさい。会社には間に合うように起こしてあげる」
「じゃあ、……三十分」
「ええ、分かったわ」
辰巳さんはわたしから毛布を受け取ると横になりました。何度か寝返りを打ちましたが、すぐに健やかな寝息が聞こえてきます。三十分後に起こす気は、わたしはさらさらありませんでした。明らかに疲れている、それも精神的に疲労している人です。家に帰れないでいる人です。昨夜鳥居さんと話していた、男を好きになったことと関連するのでしょうか。分かりませんが、休息を必要としていることは分かりました。
辰巳さんの寝息を聞きながら、わたしはトーストとハムエッグとサラダを用意し、ミルクティーを淹れます。次第に明けていく空、鳥の鳴き声が渡ります。
わたしも眠くなってきました。
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*
わたしのことを「ホモ」と言い出したのは誰だったでしょう。あまりにも的確で、指摘されてわたしは、ああそうだったのか、と自覚したほどです。わたしはぼんやりした子どもで、ホモ、と呼ばれてものうのうと学校へ通うぐらい、繊細な心を持ちあわせてはいませんでした。
あなただけはわたしのことを「渡部(わたべ)」と呼びました。周囲の男子が言うように、「おい、ホモ」とは言いませんでした。それにしても一体どこで彼らはわたしをそうと思ったのでしょうか。態度? 目線? ものの喋り方? わたしは連城くんのことを好きだと誰にも打ち明けたことはありません。
体育祭のフィナーレで踊られるフォークダンスの練習の日でした。男女ペアになりますが、男子の数が多すぎてうまく輪が出来ません。そこで先生は(思えば先生も面白がっていたでしょうか、わたしの、「ホモ」の存在を)男子をひとり女子役にまわすことにしました。当然、一致でわたしが決まりました。「名簿のいちばん最後なんだし」と。
女役でわたしは踊ります。練習だし、当日は男子にまわすから、悪いな、渡部、と先生は申し訳なさそうに言いながらも、輪がまわってゆきます。わたしはありとあらゆる男子と手を取りあい、ステップを踏みました。あなたともリズムが躍って、わたしはしあわせでした。
事件は放課後起こりました。当時、わたしは文芸部で、人数の都合で二年生ながらにも部長も務めておりました。部長らは生徒らの最終下校を見送った後に見回りをして、戸締りの確認と異常の有無の報告を行うのが常でした。通常の生徒らよりも下校が遅くなります。
数人の生徒らが自転車置き場に残って談笑していたのを、早く帰ってください、とわたしは注意しました。ひとりは同じクラスで、もう二・三人は違うクラスでした。彼らは舌打ちをして、「なんだよホモ」とわたしをなじりました。「女ったらしくて気持ちわりぃ。今日だって男と踊って喜んでたろ」「えー、まじで?」「まじまじ」「まじホモなんだな」
攻撃対象は誰でも良かったように思います。わたしは当惑していました。そこへヒーローのように現れたのが、あなたでした。あなたもまた、二年生ながらに野球部の副部長を務めていたのです。「なにやってんだよ、早く帰れよ」とその時はまだ友好的に、グループを帰そうとしました。
「知ってるかあ、連城」
「なにがだよ」
「このホモはさ、おまえのことが好きなんだよ」
この時ほど、わたしの感情が真っ赤に膨らんだことはありませんでした。彼らは続けます。
「連城とホモ、なかなかお似合いだぜ。くっついちまったら? どうせ連城、おまえは二宮と最近うまく行ってないんだって? 二宮、清水のやつにこぼしてたらしいぜ。連城が積極的で困る、って」
「それってえっちいことですかー」
「そうでーす」
ゲラゲラと品のない笑いが響きます。あなたは目を丸くし、そのまま顔を真っ赤に、なにも言い返せずに下を向いて耐えていました。わたしに沸くのは、怒りです。あなたを侮辱したことに対して。わたしのことはどうでもいいのです。ただ、好きな人が虐げられている事実に、我慢なりませんでした。
「連城くんをからかうな!!」
気付けばわたしはリーダー格の男子にそう言っていました。
「この人はなあ、おまえらよりもよっぽど真面目に、真摯にものごとを受け止めて考えてるんだ。世界のからくりを分かろうとしている真っ最中なんだ。軽々しくからかえるか! おまえらの方がばかだよ、大馬鹿!」
「うるせぇな!!」
ひとりがわたしに向かって来ます。それをあなたは庇うように、わたしの前に立ちました。
「なンだ、連城! ホモかばって、やっぱり出来てんのかよ、おまえら!」
「おれのことは悪く言ってもいい。ただ二宮と渡部は関係ないだろ」
あなたは普段出さないような低い声で言いました。
「ああ!?」
「いつもいつもあることないこといちゃもんつけやがって。なんならここでケリつけてやろうか、って言ってるんだよ!」
そう言ってリーダー格をねめつけ、臨戦態勢を取ります。いよいよ、彼らの目線で火花が散るようでした。
この件で、結果を言えば、誰よりも暴れ誰よりも罰を食らったのはわたしでした。
わたしを庇うあなたをさらに庇い、体格の良さを生かして先制パンチを食らわせたのです。わたしは身長だけはびよびよと高い男子で、ウイングスパンがありました。放ったパンチは簡単に相手の男子に届き、顎をヒットしました。
やがて先生が来るまで、わたしは無鉄砲に手を振り回し続けました。この件でわたしは三日間の謹慎処分を受けます。親が呼び出され、学校長も含め相手親と相談の後、自宅待機、反省文提出。これぐらいはどうってことありませんでした。ただあなたのことが気になっていました。
明日は登校する、という日の夕方、あなたはわたしの家に顔を見せました。
それだけでわたしの馬鹿な胸は歓喜でふるえます。あなたはフルーツゼリーの箱を持たされていました。それをわたしに寄越し、「悪かった、ありがとう」と言いました。
本当は禁止されているはずの外出を、あなたとしました。と言っても近所の公園までです。団地でしたので、誰に見られてもおかしくありませんでしたが、このことは誰にも学校には告げられませんでした。
「おれ、あんなふうにあいつらに立ち向かえなかった。――渡部は、すごいな」
とあなたが言うので、わたしはぶんぶんと手を振りました。
「そんなこと、ないよ」
「いや、すごいよ。……おれは怖くて、なんにもできなかったし、震えてた」
公園のベンチで、ふたりで座ってぼんやりと空を見あげました。細い月が空に引っかかっています。その月を見てあなたとふたりでいる事実に驚いて、感動がこみあげ、わたしはつい口を滑らせました。
「あいつらの言ったこと、本当だよ」
「え?」
「ぼくが連城くんを好きだってこと」
「――」
「大好きなんだ。二宮なんかに、渡したくない」
わたしの、たまらなくなった手があなたの手に伸びます。そっと掴むと、あなたは身体をびくりと強張らせました。しばらくそのままでしたがその手を振り払うと、勢いよく立ちあがりました。
「キモイんだよっ、ホモっ!!」
あらん限りの力を込めてあなたは叫び、走り去りました。
← 2
→ 4
*
酔っぱらったサラリーマンが店に入ってきました。ふたり。カウンターしかないバーは、先ほどまでいらっしゃったお客さまとちょうどよく入れ替わりで、ふたりは席に着くことが出来ました。ひとりは常連の鳥居(とりい)さん。マッチョを見るとたまらない、筋金入りのゲイです。ひとりは店では見たことのない顔でした。ひどい顔色でした。挨拶もそこそこに、鳥居さんにわたしは「お連れの方、大丈夫?」と訊ねます。
「あ、それともあたしがダメかしら。一見さんね、ノンケ?」
「いやそれは分かんない。その話聞くために連れて来たけど、前の店でずいぶん飲んだからなァ」
ひとまずわたしはグラスに水を注いで出します。ぐったりした連れの方はそれを飲んで、少し落ち着いたようでした。
「……女装バー、ってやつですか、先輩」
発した第一声がそれでした。
「普通のバーだよ、バー。ただ、ママの趣味が女装ってだけ。もうひとり厨房にいるけど普通の格好してるし、ゲイでもないぜ」
「まあでも、あたしが女装好きで男も好きな男だから、そういう客は多いかしらねえ」
と、わたしは微笑んでみせます。誘惑しよう、というのではありません。客に手を出すことだけはわたしはしません。わたしはすべてのお客さまに対して公平なマザーでありたいのです。
「お連れさん、なんてお名前?」わたしは笑顔を崩さず訊ねます。
「辰巳(たつみ)、って言うんだ。おれの後輩よ」
「そう。辰巳さん、なに飲まれます? ソフトドリンクの方がいいのかしら?」
喋りながらも、鳥居さんのためにわたしはジントニックを作ります。鳥居さんは必ずこれを飲むのです。
「……じゃあ、アルコール薄めで、喉を通りやすいもの、作ってもらえますか」
「フルーツは大丈夫?」
「なんでも好きです」
「ちょっと待っててね。なにか、つまむ?」
「あー、そうですね。なにか。腹いっぱいだけど入るようなやつ」
「OK」
もうひとりの従業員にして厨房担当の佐々木くんに、わたしは簡単なスナック類を盛り合わせるよう指示を出します。
ここは、わたしのお店です。十席しかないような狭いバーですが、それでも食いはぐれないぐらいには繁盛します。地方都市のゲイバーで働きひととおり覚えた後に、店を構えたのは二十六歳のころでした。駅から徒歩十分、という好立地を見つけてくれたのは当時のわたしの恋人でしたが、いまは別れてひとりです。ですが淋しいと思ったことはありません。いつだってわたしの心を慰め、癒してくれるのは日々やって来るお客さまです。
中学を卒業したわたしは、堂々とゲイの道を歩むことになります。それも女装が好きな、ゲテモノと称されておかしくない部類の性嗜好です。実際、お客さまの中にはわたしのことがどうしてもだめ、と言ってなにも飲まずに出て行く方もいらっしゃいます。オカマ、カマ野郎、などとなじられることもありました。それでもわたしは、こんなわたしでも立派に自立出来ていることの方が嬉しいのです。仕事は苦ではなく、むしろ喜びでした。
鳥居さんにジントニックを、辰巳さんにはグレープフルーツベースのフルーツカクテルを出して差し上げます。スナックをつまみながら、彼らはなんともなしに話をし始めました。
「――で、おまえ、ゲイなの?」
鳥居さんの言葉は直球でした。先ほどまでいたという居酒屋の続きの言葉でしょうか。
「これまで付きあって来た人は、みんな女性です」
「じゃあ、バイだな」
「……分かりません」
「だっていま好きなのは、男なんだろう?」
「……そうだと思います。どうしても目で追ってしまう。見ていると性衝動に似た感情が膨れ上がる。一緒にいると、心臓が鳴る、痛い」
「じゃあ、恋だ」
「男です」
「男に恋しちまったんだよ、おまえは」
と鳥居さんは辰巳さんに投げやりに答えます。辰巳さんは下を向いて、鳥居さんの言葉に必死に耐えている様にも思えました。
わたしはそれを黙って聞いていました。他のお客さんもちらほらいらっしゃいます。そちらの方と会話しながらも、ふたりの話には注目していました。
いままでノンケだと思っていた方が、ゲイかもしれない、というのは、興味深いお話でした。見たところ、辰巳さんはごく一般的な、きっと女性にもてるであろう顔つきの、サラリーマンのようです。鳥居さんの後輩、という話が、会社の後輩、という意味であるなら、彼もまた高給取りのはずです。そういう会社に、鳥居さんは勤めていらっしゃいます。
「男に恋して、どうなるって言うんですか」と辰巳さんは訊ねました。
「先がない。結婚できないし、子ども、持てないんですよ。親にも言えない。男に恋したら親も子も、全部捨てなきゃならない」
「んなの知るか」
「生物として正しくない、と思います」
「生物として正しいか正しくないかだなんて、誰が決める。ただその人を、相手を好いてしまっただけでじゃあなにが滅ぶんだ。おまえひとりで世界が救えるか? 結婚できて子ども生めたやつが正解か? 驕るなよ、おれたちがそれぞれに出来ることは――ほんの少しだ」
そう言って、鳥居さんはほんの数ミリ残ったグラスの底を持ちあげ、ぷらぷらと振って見せました。
「でも、微々が重なって降り積もれば、山になる」辰巳さんは、真っ直ぐです。
「まあな、おまえは正しいよ。――きっと、おまえみたいなやつが社会を作るんだろうよ」
鳥居さんはお手上げ、という風に話を乱暴にまとめました。
← 1
→ 3
わたし女の子扱いでした。
中学生のころです。わたしたちのクラスは女子の人数に比べて男子が二名多く、よって名簿番号のいちばん後ろだったわたしは女子の列のいちばん後ろに席を置かれたのでした。隣はもちろん、男子でした。わたしよりもひとつ名簿番号が前だった男の子。連城(れんじょう)くん、と彼は言いました。凛々しい眉、はっきりとした目鼻立ち、黒々とした髪は、後で聞けば彼のルーツは沖縄にあるとかで、ああ南の血が入っているからなのだと、わたしはそのとき納得したのでした。
彼は目立ちました。頭が良く、回転も速く、物怖じしない性格で、はっきりとよく通る声はがらつきのない綺麗なテナーでした。足も速く、所属する野球部では盗塁が得意と聞いていました。バランスの良い体つきは、今後もしなやかに伸びやかに成長していくのでしょう。その高止まりを、いつか見てみたいと思いました。少年期から青年期へ、出来れば傍らで見つめ続けたい、と思ったのが、恋のはじまりだったように思います。
好きな人が隣の席にいる、というのは、とても心地よく、嬉しく、恥ずかしいことであります。
わたしは常に隣を意識して学校生活を送りました。あなたはいつでも凛々しく、隙を見せない人でもありました。授業中に眠ることはなく、むしろ嬉々として先生の話を聞くあなた。あくびのひとつもしませんでした。授業は積極的で、質問があれば手を挙げて訊ねたし、授業後も先生を追いかけて準備室や職員室へ向かうような人でした。とても素敵でした。当然ながらあなたは女子生徒によくもてました。
あなたが追っていたのはわたしではなく、クラス一足の速い、二宮(にのみや)、という女生徒でした。陸上部の彼女はクラスのリーダー的存在で、女子に嫌われるけれど男子には受けがいい、というタイプの典型でした。二宮は当時私が暮らしていた団地の、向かいの家に住んでいました。登下校がかぶる日もありましたが、私と二宮は一緒に学校へ向かったことはありません。
二宮が女子から受けが良くないならば、あなたは男子から少し距離を置かれていました。異性にもてるタイプというのは、時にそんなふうにもなるものです。仲間らと仲良く喋っているところは見るけれど、なんとなく、あなたはひとりでした。おそらくは優秀で、目立ちすぎたからでしょう。冗談を言えるけど本心は真面目で、誠実。そういうあなたのことが、わたしは好きで好きでたまらなくなります。
その日は体育の授業で、スポーツテストを行いました。
と言ってもわたしは見学でした。いま思えばあれは成長痛だったのだろうと察せられますが、原因不明に膝が痛かったのです。わたしは後日膝の治った放課後に、ということになりました。その日は先生の補助をしてくれと言われ、生徒の記録係になりました。
行ったのは長距離走でした。男子が先に走ります。女子はペアになった男子のタイムを記憶し、私に報告してきました。先生の笛が鳴り、男子が走りはじめます。残りのトラックはあと一周半、というところで、あなたは勝負に出ます。いきなり加速し、トップ集団から抜け出したのです。
わ、と女子生徒の悲鳴があがります。私も瞳をまんまるにひらきました。あなたは走りながらジャージの上着を脱ぎました。昔、いつかのオリンピックでマラソンの女子選手がサングラスを公道に投げ捨てたように、ジャージをトラックの内側に放ります。女子から歓声が聞こえます。連城くん! あと半周! 連城くん! わたしも一緒になって叫びたい気持ちでいました。
あなたは一位でゴールしました。断トツのタイムで、短い前髪をかき上げながら笑顔を見せます。白い歯が光りました。あなたの目線の先には二宮がいて、一瞬だけふたりは視線を交わします。それをわたしは見逃しませんでした。
わたしは誇らしかった。好いた相手がこんなにも素晴らしいこと。二宮も同じ気持ちだったかもしれません。わたしは誇らしいと同時に、とてもせつなかった。あなたは間違ってもわたしに恋をしないのです。
それでもわたしは良かったのです。だってあなたの隣の席はいつだってわたしでしかあり得なかったからです。
あなたは本当に素敵でした。
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問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。
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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。
2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
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短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
短編「冬の日、林檎真っ赤に熟れて」
2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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