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成人女性を対象とした自作小説を置いています。
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 暁登が早の家にやって来る、その時間を特に定めてはいない。作業内容もこれとはっきり決まっているわけではないからと、早が決めなかった。暁登にはなんでもやってもらっている。主には夫の遺品の整理だったはずだが、早のひとり暮らしぶりを見て暁登が自分から申し出てくれた。日々に必要な買い物、電球の交換、庭木の落ち葉掃きや選定、たまに来客があった日などはその対応までしてくれるので、暁登の存在は介護ヘルパーに近い、などと早は思う。
 何時でも都合の良いときに来て下さい、と言ってはあるが、暁登はおおむね昼前にやって来る。そして早めの昼食をともに取るかちょっとした軽食を取るかして、少しお喋りなんかも楽しんで、作業をするのは主に午後だ。
 その日も暁登が持参した菓子でまずはティータイムとなった。早も暁登もあまりお喋りが得意な方ではないのだが、だからと言って嫌いな訳ではない。暁登に「樹生さんと最近はどうですか?」とルームシェアの塩梅を尋ねると、暁登は「それなりに」と答えた。
「岩永さんはいま、忙しいみたいで」
「お仕事が?」
 と訊ねてから、早は我ながら愚問だったなと思い直した。お歳暮の配達に年賀状の販売、そして仕分け、配達。樹生の仕事はこれからがいよいよ繁忙期であることを、長年の樹生を見ているからよく知っていた。
 暁登は動作だけで頷いてみせた。
「暁登さんはどうですか?」
 と訊ねる。暁登はしばらく考えて、また「それなりに」と言った。
「新聞配達の仕事が、配達区が増えました。ここの区間も配ってほしいと言われて、地図とにらめっこしています」
「そうなのですね。でも、地図を読むのは得意でしょう」
「……まあ、慣れました」
 暁登の前職は樹生と同じく郵便配達員だった。辞めた理由を聞いてはいないが、地図読みは業務上必要最低限に身についているだろう。
 しばらく間が出来た。早は暁登の空になった湯呑みにお茶を注ぎ足す。暁登はそれをひとくち口にしてから、ぽつりと「こんなんでいいのかな、と思います」とこぼした。
「こんなん?」
「岩永さんと暮らしているから余計にそう思うんだと思うんですけど……いまの生活でいいのかな、と」
「不満がありますか?」
「不満というか……ちゃんと、働かなきゃな、って」
「暁登さんも働いていますよ。立派に新聞配達のお仕事を務められて」
「そうじゃなくて、……なんか、ちゃんと、」 
 と言うので、早はその真意を図りかねた。
「正規雇用で、とか、フルタイムで、とか、そういうことですか?」
「……なんか、うまく言えないんですけど……」
 と言ったきり、暁登は黙ってしまった。
 塩谷暁登という青年と対峙するとき、いつも早はこの青年の焦りや憤り、不安、そういったものを感じ取る。いまの生活に満足してはいないのだ。しかし満足していないからと言って、だったらどんな生活であれば良いのかを、おそらくこの青年は思い描いてはいない。漠然とした不安だ。本人がうまく言えないということはそういうことなんだろう。
 その点、暁登と樹生は正反対だ。樹生には確かに描く夢があり、野望があり、理想がある。彼はそれを手にしたくて必死だ。そのことをこの若い同居人には伝えていないと聞く。なぜこのふたりが同居生活など始めたのかを早は訊ねたことはなかったが、樹生が言わないことを自分から話すのは違うような気がして、早も暁登に告げてはいない。
 黙している間に、古い掛け時計がボーンと一音だけ音を鳴らした。正午を知らせたのだ。この掛け時計は早の父から結婚の際に譲り受けたものだった。これはsomething fourになぞらえている。なにか古いもの、なにか新しいもの、なにか借りたもの、なにか青いものを身につけて結婚式を行うと幸せになれるという遠い国の習慣だ。
 掛け時計は当然だが身につけられない。だがそもそも早たち夫婦は晩婚だからと披露宴自体を行わなかった。ならばなんでもよかろう、ということになり、父から何が欲しいと訊かれたときに早は時計を所望した。この古い時計が時を刻む音を聞く時間が、早は本当に好きだった。
 音の鳴る時計は、盲の父にとっても重要なものであった。彼はこの時計の音で時刻を確認していた。早が、これが欲しいけれど父さんには必要だものね、と遠慮しようとしたとき、父は「もうおれはそんなに長くは生きないだろうから」と言い、快く早に時計を譲った。そのころの父は末期ガンに冒されており、いつまでも嫁に行かぬ長女のことを心配していたが、ようやく良い人が見つかったと喜んでいた。だから尚のこと、自分にとっての大切なものを娘に譲る時が来たと嬉しそうにしていた。彼は満足して遠い空へ旅立った。早が入籍してから半年後のことだった。
 時計の音を聞いて、早は「そろそろ始めましょうか」と暁登に告げた。
「早くしないと樹生さんが来てしまいますから」
「今日はなにを?」と暁登が訊ねる。
「書斎の整理をお願い出来ますか? 私の生活に関しては、今日のところは大丈夫ですので」
「分かりました」
 ごちそうさまでした、と暁登は頭を下げ、早の分の湯呑みや小皿を引き取って食器を片付けはじめる。男ふたりで雑な暮らしです、といつか樹生が言っていたが、そうは言っても必要最低限のことはこなしているのだろう。暁登が食器を濯ぐ手つきはなめらかで、洗われた器を早はふきんで拭う。
 終わると暁登は家の奥に進んだ。廊下の突き当たりには夫が使っていた部屋がある。書斎と執筆部屋と以前はふた部屋だったのだが、本を取りに行くのにいちいち扉を開け閉めするのが面倒だと言って、夫はリフォーム業者を呼んだ。ふたつの部屋の壁をぶち抜いてもらい、半地下にまた書斎まで作ってしまったから、とても広い。広いがそこは夫の収集した大量の本と資料、執筆した論文などで埋まっている。
 今日の暁登は、それらを整理するのが仕事だ。


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二.先生


 草刈早(くさかりさき)の家系はいわゆる「めくら」の人間が多かった。遺伝性のもののように思う。早の父が目の見えない人で、早の六人いる兄弟のうち早の兄と弟ふたりは、生まれたときには見えていたけれど、後に失明した。早と早の妹ふたりは視力に問題がなかったが、彼女らの息子はひどい弱視で、ゆくゆくは失明するだろうと言われている。これだけ身近に盲の人間がいると、これはもう間違いなく血のせいだと思えた。男性にだけ遺伝する、めくらの血。だから早は子どもを産まない選択をした。子は授かりもの、けれどもし男児が生まれて、彼が失明するようなことがあれば、早の方が息子を導けない、と思ったのだ。それはもう恐怖でしかなかった。
 結婚が遅かったことも関係する。夫とは三十代の終わりに知りあい、四十代のはじまりで入籍した。お互いに初婚で、子どもは無理だろうというのは言わなくても通じた。いまのように高齢出産が当たり前で、妊活が、不妊治療が、などとは言わない時代だった。夫とは始終穏やかな日々を過ごし、満ち足りたまま、夫は静かに息を引き取った。それが三年前のことだ。
 大学教授だった夫と中学校の美術教師だった早が知りあったきっかけは、教え子だった。早の教え子が中学校を卒業し、その後の進路で夫のいる大学に進み、夫が指導するゼミで学んだのだ。その教え子が結婚するときに、早は式に呼ばれた。そのときに同じテーブルについたのが、やはり式に呼ばれた夫だったのだ。
 夫と出会えて、早は本当に幸福だったと思っている。だが夫との出会いを回想すると、いつも教え子の披露宴を思い出す。あのときこぼれんばかりの笑みを浮かべていた教え子と花嫁は、果たして幸福な結婚をしたのだろうかと。その後のことを思うとやるせなくなる。
 湯を沸かしていると、ポン、とインターフォンが鳴った。火を止めて早は玄関へと向かう。解錠して扉を放つと、そこには痩せた男とのっぽの男が立っていた。痩せている方が塩谷暁登、確か二十代のはじめの年齢で、背の高い方が岩永樹生、彼はちょうど三十歳になったと夏前に聞いた。
「樹生さんが一緒に来るなんて、珍しいですね」と早が言うと、樹生は照れ臭そうに頭の後ろを掻いた。
「今日、用事があるので。ついでに暁登を送りに」
「あ、じゃあ今日、暁登さんはバイクではないのですね」
 そう言うと、暁登は「ええ、まあ」と答えた。
「どうしましょうか。持って行ってもらおうと思って、銀杏のおこわと五目いなりを作ったのですけど」
 それらはすでに重箱に詰めてあった。この男ふたりはルームシェアをしていて、男ふたりだから食事は適当になりがちだと聞いている。だからというわけではないが、夫を亡くして子どももいない早は、食事を作る喜びを、このふたりに当てている。
 樹生が「用事が済んだら、暁登を回収しに来ます」と言った。
「そのとき持ってけばいい。あ、もし先生さえよければ、ここでめし食ってってもいいですか? その、銀杏のおこわといなり」
「ああ、いいですね。今夜もひとりの食事だったんです」
「よかった。じゃあ、おれはなにかおかずになるようなもの、買ってきます。夕方には顔出せると思う」
「今日はどこへ?」
 と言ってから、早はすぐに愚問だったと気付いた。その戸惑いに樹生もまた気付いただろうが、しれっと「姉に会うんですよ」と言った。
「ああ、そうなんですね」
「どうしても『いづみ』の干菓子を買って来いってうるさくて」
 樹生は微笑んだ。これは彼本来の笑みではないと早にはわかる。もう何度も作って馴れてしまったから、自然と出てしまう厭な笑みだ。
「じゃあ、おれは行きます。あき、またな」
 そう言って樹生はブルゾンのポケットから車の鍵を取り出しながら身をひるがえした。早はその背中に「お姉さんにもよろしくお伝えくださいね」と声をかける。彼は振り向かないまま、手だけ挙げて応えた。
「さて、まずはお茶にしませんか?」
 と、暁登に声をかける。はじめて彼がこの家を訪ねて来たときも樹生が一緒だったが、樹生は用事があるからと言って一足先に帰った。あのとき、暁登は置いて行かれたという思いが強かったのだろう、ひどく心細い顔をした。いまでは早に馴れたか、家に馴れたか、そのような表情は見せなくなった。
 暁登は、「出がけに『いづみ』へ寄ったから、早先生にお土産があるんです」と言った。
「一緒に食べようと思って。栗餡のどら焼きと、落雁」
「気を遣ってくださってすみません。好きですよ、『いづみ』のお菓子」
「よかった」
「中へどうぞ。暖かいですよ」
「お邪魔します」
 暁登を伴って玄関をくぐった。

 暁登が早の元を訪れるようになったのは、一年半前にさかのぼる。
 街は新緑のころだった。亡くなった夫のものを片付けなければならないと思いつつどうしてよいやらほったらかしている、という話をいつか樹生にしていて、それを思い出したのか、「先生の助手を務められる人間がいるんですけど」と申し出があった。
 それが暁登だった。はじめて樹生に伴われてこの家にやってきた暁登は、痩せていて、目線をうまく合わせられず、緊張していただろう、出したお茶の湯呑を持つ手が震えていて、ぎこちなかった。樹生が「そんなに緊張しなくてもさ」と暁登の背を叩いた、あのときのやわらかなまなざしを早は覚えている。
 樹生の年齢と暁登の年齢とを考えると、なぜこの組みあわせなのかが早には疑問だった。それを率直に尋ねると、樹生が「おれの前の職場の部下というか、後輩です」と答えた。
 当時の樹生は、正社員になって異動し、新しい職場になって一年か二年か、そんなころだったと思う。前の職場ということは、樹生が非正規雇用社員のころから勤めていた集配局のことで、だから早は暁登も郵便配達員なのだと思った。
「でも、お勤めがあるでしょう」と早は暁登に問いかけた。すると暁登は困った顔をして、樹生を見た。
 樹生は苦笑した。
「おれが転勤したあとわりとすぐのタイミングで、辞めちゃってるんですよ。だから、フリー」
「そうなのですか」
「時間はいくらでもあります。買い物でも掃除でもなんでも、使ってやってください」
 と樹生は言ったが、そうですか、ではよろしくお願いします、というのは気が引けた。樹生が頼んでくるぐらいなので悪い人間ではないのだろう。だが、いくら時間に余裕があったとして、まるきりボランティアでお願いするのはどうかと思った。
「申し出はありがたいのですけど、……あまりたいした額は出せません」というと、樹生と暁登は揃って目をまるくした。そしてお互いの顔を見合い、また揃って早の方を見た。
「金が欲しいんじゃないです」と言ったのは暁登の方だった。
「いや、あるに越したことはないと思うんです。けど、小遣いぐらいだったらおれは稼いでますので」
「あら、そうなのですか?」
「朝二・三時間ぐらいですけど、新聞の配達をしています」
「まあ、……郵便配達を辞めて新聞配達なんて、配達のお仕事が好きなのですねえ」
 というと、暁登は苦く笑った。ちいさな声で「これぐらいしかできないので」と呟く。
「先生、おれはさ」
 と会話を引き継いだのは樹生だった。
「新聞配達以外で外に出なくて、ずっと家にいるこいつに、先生を会わせたかったんです。多分、おれと先生よりも仲が良くなると思う。話も合いそうだし」
 樹生は暁登の好きなものを羅列で説明した。小説を読むのが好きなこと、英語が得意でとりわけリーディングに長けていること、映画鑑賞も好きなこと、夏から秋には登山もすること、最近はバードウォッチングにも興味があること、など。
 早が「私も亡くなった主人とはよく、山に登ったものですよ」と答えると、樹生は暁登に「な」と言った。
「そうですね、樹生さんはゲームや漫画ばかりが好きで、……正直、私や主人とはまったく合いませんでしたねえ」
 そう言うと、樹生は「はは」と笑い声をあげた。
「分かりました。あなたにお手伝いをお願いすることにしましょう。正直ね、とてもありがたいのです。最近は腰痛がつらくてね、主人の残した本やら論文やらをまとめたいのですけど、重たいものは持てなくて」
 そうして暁登が定期的に早の家に足を運ぶようになった。


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「あっ」と暁登は声を漏らし、同時にびくりと腿を引きつらせた。内部に樹生を迎え入れるまではひと言も漏らすまいと拳を握って必死で枕に顔を押し付けていたが、樹生が確かな質量で侵入して動き始めると、鼓膜を溶かすような甘い声で啼きはじめた。もう暁登の体には何度も猛った雄を押し込んできていて、体は樹生のかたちを覚えてぴったりと隙間なく抱きあえるようになった。だというのに暁登の反応は常に硬い。体は素直だ。気持ちがよいことを突き詰めようと樹生をねっとりと咥え込む。心だけが未だに樹生に馴れてくれない。
 そういう態度をされると、樹生の胸の内では意地の悪い気持ちが浮かぶ。もっと啼かせて落としたくなる。だから樹生は声などお構いなしに体を揺する。
 何度もしていることだから、暁登の気持ちの良い場所はわかるし、どうされると泣きだすかも知っている。きっと暁登ですら分かっていなかった芽みたいなものを自分が芽吹かせたのだと思うと心臓がきゅっと締まる。一拍呼吸を忘れて、苦しくなる。
 荒く息を吐きながら暁登の細い腰をしっかりと掴み、背後から暁登のよい場所を探った。この辺り、と思う場所を穿つと、暁登が切ない声をあげた。はじめは強めに押して、あとは小刻みに動く。しばらくそうしてたわむれに幾度か押すと、暁登は観念したかのようにびしゃびしゃとシーツの上に射精した。
 ぐったりと放心する体を、やさしく扱うつもりはなかった。ゆっくりと自身を引き抜いてから暁登の体を仰向けに転がす。そうして膝を掴んで足を開かせ、再び自身を押し込む。また内部をこすられて、刺激に、暁登はついに「やめろ」と言う。
「いやだ、少し待って、……つらい、」
「残念。こっちはそうもいかない」そう言いながらぐるりと暁登の内部を掻きまわすと、暁登はまた嬌声をあげた。それが悔しいのか、腕で口元を覆い、手首を齧る。暁登がいつもする癖だ。
 早く終わらせてあげたいとは思う。だが暁登の痴態を見ていたい気持ちも沸く。沸騰に届くか届かないかのぎりぎりのところをいつまでも味わっていたい欲だってある。とにかく暁登の肌が気持ちよい。冬でも荒れない、みずみずしく若い体だ。
 腰を抱えなおし、足を胴に巻き付けさせてぴったりと添う。暁登が噛んでいる手首のちょうど裏側に唇を這わせ軽く食むと、暁登の内部がきゅっと蠢いた。
「あき、」と、耳元で暁登に囁く。「悪いな」
 それから先はすべて自分のタイミングとリズムで動いた。暁登は相当に辛そうだったが手加減はできない。暁登のこらえきれない声が漏れる。暁登自身に手を伸ばすとまた硬く立ちあがっていて、それを掌で刺激しながら、夢中で男の体をむさぼった。

 風呂に入り直し、あがった後で今度はしっかりとクリームを塗ってもらい、ふたりでリビングに移った。髪を拭いながら少し遅い食事の支度をする。面倒なので米とインスタントのスープでもあったらいいかと思う。暁登を見ると、誘っておいてかなり疲労したようで、リビングのフローリングにじかに寝ころんでいた。
「あき、そんなところで寝たら風邪ひく」
「んー……」
 声をかけたが、暁登の反応は薄かった。仕方がないので朝炊いた白米の残りを電子レンジにかけているあいだに、暁登の傍に寄って腕を取った。
「ほら、……少しは食った方がいい、絶対に」
 声をかけながら暁登を椅子まで運ぶ。取った腕が視界に入り、そこには暁登が行為の最中に噛んだ痕がうっすらと残っていて、なんだかやるせない気持ちになった。
 暁登の生活そのものが、言ってしまえば生き方が、樹生にはむなしく、淋しく思える。
 いつ死んでもいいとでも言うような、投げやりな行動ばかりしている。食べる気がしないから食事をしないとか、雨の日はただひたすら昏々と眠るとか。樹生が教えたから性衝動だけには正直で、でもこれも樹生が教えなければなかったことにして過ごしていただろうと思う。
 電子レンジが温め終了の電子音を鳴らす。器にそれをよそい、ちょうどよく湧いた湯でインスタントスープを入れたカップに湯を注いだ。暁登はぼんやりとそれを見ていたが、「食おう」と椅子に腰かけながら言うと、彼も箸を取った。
「明日は先生のところだろ」と食事の合間に尋ねる。暁登はゆっくりと白米を噛みながら、うん、と頷いた。
「おれも明日出かけるからさ。時間が合うなら車で送るよ」
「別に時間が決まっているわけじゃない。いつも通り」
「じゃあ、乗ってけばいい。おれは十一時に駅前で待ち合わせ」
 暁登はしばらく無言で食べ物を咀嚼していたが、しばらくして「どこ行くの」と聞いてきた。
「いや、姉貴に会うだけだよ」
「ああ、月一の定例会」
「まあね。帰りに買い物して帰る。なにか必要なものある?」
「……わかんない。トイレットペーパーの買い置きがなかった、気がする」
 暁登は目を閉じてぼんやりと喋った。また眠りが彼の内に押し寄せているんだろう。まだ雨はやまない。
「――ま、いいや。めし食って寝ちまおう」
「うん」
「……今夜、」
 と言いかけて、樹生は口をつぐんだ。本当は「一緒に寝ないか」と言いたかった。もしくは「おれの部屋に来るか」でもいい。暁登をあのままひとりの部屋に帰したくなかったし、あるいは樹生自身が、こういう夜はなにか温かなものを抱いて眠りたかった。
 だが言えない。体を合わせることは出来ても、睦むことを暁登は拒絶すると分かっていた。
「冷えてるから、あったかくして寝ろよ」
 結局言えたのはそんなどうでもよい言葉だった。それでも暁登は言葉に素直に頷く。
 食事は、樹生の方が先に食べ終えた。けれど自室に引き下がるのも嫌で、暁登がゆっくりと食事を終えるのを待つ。
 明日は姉に会う。嘘はついていない。月に一度は姉に会う約束でいるし、暁登も承知しているぐらいに日常に組み込まれたことでもある。
 ただ、言わないことはある。
 明日は墓参りに行く。


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 帰宅しても明かりは灯っていなかった。
 玄関に靴があったので、出かけていないことはわかる。寝ているんだろうな、と見当をつける。雨の日だし、今日暁登に出かける用事はなかったはずだ。
 部屋は2LDKのつくりだ。ひとまずリビングの明かりをつける。腹が減ったと思いながら冷蔵庫を開けると中身は朝、樹生がいじったままでなんの変化もなかった。めしすら食ってないのか、と樹生はちいさく息をつく。そんなんだから体はいつまでも薄いままで、それを樹生ははがゆく思う。
 仕事で雨に濡れて冷えたので、ひとまず風呂を沸かして浸かった。樹生は風呂が好きだ。ぬるめの温度に設定して、いつまでもぼんやりと浸かっている。一日の疲労のかたまりが緩み、ほぐれ、溶け出しいく、そんな想像をよくする。
 明日のことを考えた。休暇を申請しており、出かける予定だ。約一か月ぶりに姉に会う。正直億劫で仕方がないが、こればかりは逃げてはいけない。
 ああ、あの日もこんな雨の日だったな、と思い出す。雨の日の記憶は暁登に上書きされて、思い出すことはずいぶんと減った。
 風呂には、小一時間ほど浸かった。ふやけた体を乾いたタオルで拭い、下着と長袖のシャツだけ身に着けて暁登の部屋の扉をノックする。返事はなかった。しばらく待ってから、もう一度ノックする。「暁登?」と声をかける。「入るよ」
 部屋の中まで暗かった。ベッドの上に塊があって、それがもぞもぞと動き、手が伸びる。ベッドサイドの机の上から眼鏡を持ちあげて、塊はようやく人のかたちとなって樹生の目に映った。
「悪い、寝てるかな、とは思ったんだけど」
「……うん」
「電気つけるよ」
「うん」
 パチンと音をさせて、入り口のすぐ脇に設置されたスイッチを押し室内灯をともす。蛍光灯が白々と暁登の体を浮かびあがらせる。急に明るくされて、暁登は目をこすっている。体には中途半端に毛布が巻き付いており、伸びかけの髪には寝ぐせがついていた。そのあどけない姿を見て、樹生はふとやさしい気持ちになる。同僚になにを思われて言いふらされても構わないから、この気分を味わいたかった、そう思う。
「おかえりなさい、だよね」と暁登が時計を確認しながら言う。「雨に濡れて帰って来たところ?」
「いや、雨に濡れて帰って来たから風呂に入ってあがったところ。薬を塗ってもらおうと思って」
「ああ、」
 手にしていた薬の容器を暁登に渡す。いつものようにシャツを脱いで、背中を向けて暁登の前に立つ。
 樹生にはアトピーの気がある。幼いころからのもので、なにかのきっかけですぐに肌を荒らしてしまう。この季節で言えば、低温と乾燥だ。つめたい体が温まってくると猛烈にかゆくなる。乾いた風に吹かれるともうだめだ。
 薬で抑えられるのだが、仕事の忙しさに理由をつけて医者には行っていなかった。その生活を改めさせたのは暁登の存在だ。かきむしった痕ばかりの体を見た暁登は「おれが塗ってやるから医者から薬をもらってこい」と言った。うるさいな、と思うぐらいに言われて、観念して医者にかかった。医者は飲み薬もあると言ったが、せっかく塗ってやると言ってくれる人がいるのだからと、塗り薬を処方してもらって現在に至っている。
 背後で薬の瓶の蓋を開ける音がした。すぐにひやりとしたやわらかなものが当てられる、と思っていて、その冷たさはなかなか与えられない。不思議に思っていると、コトンとなにかを置く音とともに暁登の細い腕が背後からまわされた。
「やっぱこれ、後でもいい?」
 寝起きの掠れた声がたまらない。耳元で囁かれて、樹生は思わず身震いした。
「あんたの背中見てたらしたくなった。しよう、樹生」
「……疲れてるから早めに休みたかったんだけど」そう言いながらも、期待で心臓が余分に血を巡らせはじめる。
「あんたはなんにもしなくていい。立たせるもん立たせといてくれれば」
「そんな器用なことは無理……」
 思いきり体重をかけて後ろに引っ張られ、暁登のベッドに沈まされた。暁登は背後からするりと抜け出ると、倒れた樹生の上に四つん這いで跨った。普段は醒めている目がこういうときだけは強い光を放つ。また心臓が鳴る。
「だめ?」
 唇が触れるか触れないかの距離で尋ねられると、もう「だめ」とも言えない。
 無言を肯定と受け取った暁登はうすく笑うと、唇を樹生の体に熱心に押しつけ始めた。唇の横をかすめ、顎の先、首筋、胸やへそへ。右手は樹生の下着の中へ潜りこんできた。触れられると気持ちがよくて、すんなりと勃起した。
 暁登はそれを唇で辿ってから、口の中に含む。ねっとりと熱い舌で舐めまわされて、樹生は「あー」と情けない声を吐息とともに吐き出した。
「塩谷(しおや)くんはこんな子じゃなかったのになあ」
 暁登の名前を、わざとそう呼ぶ。出会ったばかりのころ、暁登のことをそう呼んでいた。
 暁登は愛撫をやめない。こんなことを、いつの間に覚えたのだろう。
「物静かで、真面目で、清潔で。男も女もなんでも、セックスなんか知りませんって感じだったし、実際そうだったのに」
 下腹から下へしびれるような快感を誤魔化しながら喋ると、暁登は先端をアイスクリームでも舐めるかのようにべろりと舌で嬲ってから、顔をあげた。
「あんただよ、あんた」
 暁登は強い瞳のまま、言った。
「あんたが教えたことしか、おれは知らない」
「……そうなんだよな、」
 樹生は上半身を起こすと、暁登の顔に手を添えた。眼鏡をそっと外す。それから暁登の体に手をまわして、思い切り抱きしめた。
「おれなんだよなあ」
「そうだよ、あんただ」
 男も女も知らなかった暁登を抱いたのは樹生だった。合意とはいえはじめは痛くて泣いて、行為の中断ばかりだった体をここまで淫乱にしたのは、自分以外に誰もいなかった。
 樹生は思い切り息を吸う。暁登の首筋のにおいを嗅ぐ。「今日、なに食べた?」
 唐突な質問に、暁登は戸惑った風だった。数秒の間をおいて、暁登は「今日は雨だったし、休みだったから」と言いにくそうに答える。
「また食ってないのか」
「でも、いつもこんなもんだってあんた知ってるだろ」
「うーん」
 暁登の肩に顎を乗せたまま、手は勝手に動いて暁登の着ているシャツの下の素肌に触れる。あばら骨の出っ張りを熱心に撫で、そのまま胸の先端に指を這わせると、そこはもうぷくりと硬く尖っていた。
「おれも今夜はめしまだなんだ」
 暁登は黙っている。
「これ終わったら一緒にめし、食おう」
 そう言い終わるか終わらないうちに、暁登の体を反対側に押し倒す。下になった男を見下ろして、めくれたシャツを引っ張りあげて胸を晒す。膨れたそこを口に含むと、暁登はなんともなまめかしい吐息を漏らした。


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一.こんな雨の日


 雨の日はそんなに嫌いじゃない。確かに億劫ではある。けれど嫌だとか煩わしいとかましてや暁登(あきと)のように眠くなるとか、そういう不調はない。岩永樹生(いわながたつき)の仕事はほぼ外回りなので、雨のことをこんな風に思える自分はラッキーなのだと思う。
 立冬を迎えたその日も、一日中雨が降りしきった。冷たい雨で、雨足もわりと強かったから樹生も含めて同僚らはみな震えて帰局した。濡れた雨具や靴や鞄を乾かすためにストーブが焚かれた。長くつかっていなかったブルーヒーターからは埃が焦げるようなにおいが漂ったが、冬のはじまりみたいで、悪くないと思った。
 唸るストーブを背に、区分棚付きの机で帰局後の処理をする。今日は書留をいくつ配ったか、いくつ持ち帰ったか。実際に手元に残った通数と個人に渡される携帯端末機に入力された件数とを比べて合わせて、数字を出す。サインをもらった配達証の数をかぞえる。作業をしていると「さみー」と言いながら同僚も帰局した。書留専用の鞄から雫が垂れている。
「おつかれさん。リーダーはまだ?」
「うん、戻ってない。バイクなかっただろ。なに、用事?」
「バイクの不調。おれの乗っていたヨンマルハチキュウ、また調子悪いの。整備頼みたいんだけど、あの人おれらが勝手にやると怒るじゃん。全部自分でやりたがる」
 と、同僚は不満をあらわにした。樹生は「だよな」と頷いてみせる。
 春先に上司が替わったのは、いままでこの集配局でリーダーを務めていた老年の社員が定年退職となったからだった。新しくやって来たリーダーは四十代半ばとまだ若く、若いがゆえに行動力が自慢で、自ら率先してものごとを進めたがる傾向があった。そのくせ、途中でやめて後を部下に放り投げるのだ。手を出すなら最後までやる、任せるなら任せるで見守りに徹する、そういうことが出来ない。いままでのリーダーとは真逆のタイプで、そういう意味で新しいリーダーは大いに不評を買っていた。
「いいんじゃない?」と樹生は同僚に言う。「頼んじゃえよ、修理」
「いいかなあ」
「おれが言っとくよ。バイクの不調なんてうちらの仕事じゃ生命線だろ? 早い方がいいんだから、さすがに文句も出ないだろ」
「まあそうなんだけどさ」
「修理、いつものところだろ。ムラタ自動車整備工場」
「そうそう、村田のおっちゃん」
「頼んじゃえ。おれがうまく言っとく」
「サンキュー、悪いな」
 そう言って同僚は早速電話を手にした。コール数回で電話はつながったようだ。同僚の声を遠くで聞きながら、樹生はまた作業に集中する。
 樹生の仕事は、郵便配達員だ。ほぼ毎日バイクに跨り、雨の日も風の日も雪の日も真夏の炎天下の日も、郵便物を配達する。この仕事に就いてもう十二年、はじめは非正規雇用の身であったが、数年前に正社員登用試験を受けて合格し、待遇が変わった。そうこうしているうちに肩書きもちょっとずつ上がり、いまでは小さな集配局とはいえ、サブリーダーの任をまかされている。
 サブリーダーとは言っても、たいして偉いわけではない。給料だってほかの同僚らと変わらないし、むしろ非正規雇用社員の方がもらっている。とりわけこの集配局は、前のリーダーの方針でまんべんなく仕事ができる。正社員だからこの仕事ができるとか、非正規雇用社員だからあの仕事ができないとか、そういう壁があまりない。正社員も非正規雇用社員もひっくるめて「同僚」という感じで、部下だとか後輩だとか、個々の差を感じない職場だった。
 以前いた集配局では、こういう雰囲気は考えられなかった。正社員は正社員、非常勤雇用は非常勤で明らかな差があった。いまの職場は一部を除けばわりと仲が良い。あまりストレスを感じず働けることは、よいことだと思う。
 先ほど修理依頼をした同僚が通話を終えて戻ってきた。すぐに修理工が来てくれる旨を樹生に伝え、そのまま椅子を引っ張り出して体を丸め、ストーブに手をかざした。
「今日は定時であがんの?」と同僚が尋ねる。
「ん、特に残ってやる仕事もないしね。なんで?」
「いや、雨だからさ。雨の日って岩永はほぼ必ず定時であがるじゃん。なんかあんの?」
 この同僚は状況や人をよく観察している。雨の日、確かに樹生は早く家に帰りたいと思う。色々と理由はあるが、ひっくるめて自分が淋しがりだからだと結論づけている。
 暁登と再会したのもこんな雨の日だった。
「別に理由はないよ」と同僚に答える。同僚はなにか言いたげに口を開きかけたが、結局にやりと意地の悪い笑みを浮かべただけでなにも言わなかった。なにか下世話なことでも考えているのかもしれない。
 そのうち配達員が次々と帰局した。その中にはリーダーも混じっていたので、彼を捕まえてことの事情を説明する。雨で難儀したせいなのか、リーダーもさすがに疲労しているようで、樹生の言うことに同意した。今日は雨天だったが、みなの帰局はそう遅くはなかったし、トラブルも特にはないようだ。仕事が終わったのだから帰る。樹生は着替えるべくロッカールームに向かう。


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プロフィール
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粟津原栗子
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自己紹介:
成人女性に向けたBL小説を書いています。苦手な方と年齢に満たない方は回れ右。
問い合わせ先→kurikoawaduhara★hotmail.co.jp(★を@に変えてください)か、コメント欄にお願いいたします。コメント欄は非公開設定になっています。

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2022*08*11-21
暑いですね。番外編短編、ちょこっと更新しています。

2021*12*04-2022*03*17
お久しぶりです。短編長編更新。
短編「さきごろのはる」
短編「月の椅子」
短編「みんな嬉しいお菓子の日」
長編「ファンタスティック・ブロウ」
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2021*08*16-08*19
甘いお菓子のある短編「最善最愛チョコレート」更新。
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